ユーミンという才能はいかにして生まれたのか? 『ここは退屈迎えに来て』の山内マリコ氏が徹底取材!
公開日:2022/11/27
大変な労作、そして傑作である。『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(マガジンハウス)は、松任谷由実氏(以下ユーミン)の生い立ちからプロ・デビューまでを振り返った重厚な本だ。その成り立ちは特異で、小説家の山内マリコ氏がユーミンに徹底取材を行い、本書を書き上げたという。小説ともルポルタージュとも微妙に違っており、あえて言うなら、「ノンフィクション・ノべル」といったところだろうか。
ユーミンは、八王子の裕福な呉服屋の娘として生まれた。幼い頃からピアノに触れ、三味線音楽を学び、中学から立教女学院に入学。勉強はしなくても成績は良く、文化祭ではプロ顔負けの芝居を演出して見せる。だが、それだけでは物足りなく、60年代に一世を風靡したグループ・サウンズ(以下GS)のバンドを見に、中学時代からジャズ喫茶に通う。
本書のGSのライブにまつわる記述や、彼らの音楽性は、戦後日本がどのようにして外国のロックを受容してきたかを浮かび上がらせる。芸能界主導で起こったGSは、ルックスが重視され、若い女性ファンがライブで失神する光景に耳目が集まった。一方そのサウンドは、ほとんどが英米のロックの既発曲に日本語の歌詞を乗せたもので、日本オリジナルの音楽ではなかったと言える。それは、ベンチャーズに影響された日本のインストゥルメンタル・ミュージックも同じことだった。
そうした中、オリジナルの日本語詞で日本発のロックを発信したのは「はっぴいえんど」だった。そして、そのメンバーだった細野晴臣や鈴木茂は、ユーミンのレコーディングに参加している。最先端の音楽を欲してきたユーミンが、GSに傾倒するのみならず、はっぴいえんどのようなバンドのメンバーと協働したのは、必然だったと言えるだろう。
当時のGSに関する印象的なエピソードがある。ユーミンはザ・スパイダースのライブ後に出待ちをし、最先端の洋楽のレコードを渡そうとする。メンバーの堺正章も井上順もレコードに一瞥もくれないが、音楽マニアのかまやつひろしだけは立ち止まって、レコードに見入ったという。かまやつはGSでは珍しく、ザ・スパイダースでオリジナル曲を作っていた。両者の心は最新の音楽を通じて響き合ったのだろう。
また、言及されているページ数こそ少ないが、黒船の来航にも喩えられるビートルズの登場も当時の過熱ぶりを伝えている。自分たちで曲を作っているのはもちろん、全員がヴォーカルを取りシャウトし、コーラスを重ねる。ビートルズは不良の音楽だと保守的な大人が批判すればするほど、ユーミンら少女たちは彼らに夢中になった。その熱狂ぶりは行間の端々から滲み出てくる。
そして、ユーミンがいかにしてミュージシャンになったか、という記述も興味深い。元々彼女は作曲家になりたいと考えており、10代にしてデビューするのだが、音楽を専門的に勉強するつもりはなかったという。ユーミンは音を聴くと色彩が見えるそうで、視覚的イメージが作曲上での大きなヒントになっていた。だから、音楽教育や音楽理論を下手に学び、型にはまってしまうよりも、絵に色を付けていくような感覚で音楽を作っていくことを選んだ。いわば完全な我流だが、新しい表現は往々にしてそうした無手勝流なところから生まれてくるのではないか。
著者の山内氏は小説家になる以前はライターだったことがあり、入念な下調べとインタビューをまとめた本書を担当するのに、これ以上ないほど適した人物だ。本の掉尾に参考文献・資料一覧として、『日本のきもの』『GSグループ・サウンズ 1965~1970』『ムッシュ!』『平凡パンチ』『細野晴臣と彼らの時代』等々、30冊を超える本が列挙されている。
本書が、時代ごとの流行や空気を鮮やかに切り取っているのは、山内氏が、膨大な資料を参照しながらユーミンの青春時代を綴ったからである。型破りな異端児だったユーミンの果敢な行動力に感じ入ってしまう本書だが、その裏には、山内氏の粘り強いユーミンへのインタビューや時代考証があった。ユーミンのはちきれんばかりの好奇心や天才ぶりを、熱のこもった筆致で綴った山内氏に賛辞を送りたい。
文=土佐有明