他人と比較するのをやめるには? 福岡の人気学習塾塾長が考えるポスト・コロナの倫理
公開日:2022/11/28
「学校や親が重くてしんどい人へ」と帯に書かれた本を、大人が手に取ることはなかなかないかもしれません。ですが、『君は君の人生の主役になれ』(鳥羽和久/筑摩書房)は青春小説の感覚で読めるので、幅広い年齢層におすすめしたい一冊です。実際、福岡市の学習塾「唐人町寺子屋」の塾長である著者の鳥羽和久氏は、子どもたちに宛てるという体裁をとりつつ、どこかで大人に宛てて文章をしたためているのではないかと思います。それだけ、大人にとってはグサッときて、背中に定規を入れられるかのような心地がする言葉に満ちています。
本書の冒頭で著者は「学校が好きですか?」という質問とともに「大人になること」とはどういうことなのかを説いていきます。きっと塾の受講生の中には「大人になるのが楽しみだ」というタイプの生徒も、「大人になんかなりたくない」というタイプの生徒もいるのでしょう。両方のタイプを前提にした上で、著者は子どもたちが「うまく生きようとする」中で、自身の固有の言葉を失っていってしまうことを危惧しています。
うまく生きようとするのは、決して悪いことではありません。いつまでも好き勝手なダダッっ子のままでは、他人と手を取り合いながら生きていくことができなくなりますから。でも、そうやってうまく生きること、言い換えれば、損得勘定を優先することばかりにこだわって、自分独特の生き方を手放す人が多すぎるのです。
「ヤバい」という言葉と同じぐらいのポピュラリティを得て、かつ、多義性を帯びるようになった「ワンチャン」(ワンチャンスの略語)という言葉に象徴されるように、変動的・不確実・複雑・曖昧な現代社会を生きる子どもたちは、「たぶん」「もしかしたら」という状況の確実性が増すことに惹かれ、安心を得る傾向があるといいます。コロナ禍で特に「確実な情報」を人々がえんえんと探し求め、時にけなし合い、憎しみ合いが起きる状況からも、その傾向は顕著だと著者は分析しています。
学校の先生と生徒の関係においては、穏便さを最重要視するフラットな関係を子どもたちや保護者たちが望み、それに照応して、先生という大人の主体性やオリジナリティも剥奪される傾向にあるといいます。言葉が思考をつくりだす(思考が言葉と別にあるわけではない)ので、そのように当たり障りなく過ごすことが最上位に置かれる暮らしを「変える」という発想自体が子どもにも大人にも欠落している状況を、著者は日々目の当たりにしています。
冒頭にも引用した通り「うまくいくこと」や穏便に物事が運ぶことを、著者は否定しているわけではありません。本書で繰り返し説かれているのは、「うまくいくこと」と相反した経験も、人生の重要な潤滑油になるのだということを覚えていてほしいという切なる願いです。
例えば、オリジナリティというのは、「既にあるものを磨いた末にできるもの」だという思考回路が一般的なところ、著者は「壁にぶつかってぶつかって、わかりあえなかったり他人から理解を示されるのが難しいという体験の中で、ボロっとこぼれ落ちたものから生まれてくる」という性質のものでもあると考えています。後者の方向性を志向する人は特に、やがて競争しなくなり、その「競争していないこと」によって、競争に勝つことになる。言い方を変えると、「差異」という資本主義の「もっともっと」という欲を刺激する常套手段が気にならなくなるということです。子どもだけではなく大人にとっても、おおいに参考になり、すぐ心に実装できる思考回路ではないでしょうか。
人間は自分の人生が動き続けることに負担を感じます。だから多くの人は大人になるにつれて、安定と安心を求める方向に進むものです。それに対し、自由というのは常に自分自身が揺れ動くことを許容することであり、安定と安心とは真逆の価値観なのです。
自分の代替不可能性に自覚的でいることで、自分固有の言語が練り上がっていき、変化が続き、自分の意志で動く。スキルアップのためだけではなく、懐疑的な精神を身に付け、流されずにいる。コロナ禍の混沌を経た私たちに、あらためて「勉強とは何か」を教えてくれる一冊です。
文=神保慶政