「あれは誘拐だよ」妻が突然子どもを連れて消えた――『今朝もあの子の夢を見た』作者・野原広子さんが語る、子どもに会えない父親の深すぎる悲しみ

マンガ

公開日:2022/11/30

今朝もあの子の夢を見た
今朝もあの子の夢を見た』(野原広子/集英社)

『消えたママ友』『妻が口をきいてくれません』などの著者・野原広子さんが新たに刊行した最新作は、“父と娘”をテーマにした切ない物語『今朝もあの子の夢を見た』(集英社)。描かれるのは、娘が7歳の時、妻が娘を連れて出て行ってしまい、娘に会えないまま10年以上過ぎてしまったというバツイチの42歳、タカシの物語だ。

 昼逃げ、誘拐、洗脳…と穏やかではない言葉とともに登場するのは、できれば知らないでおきたい悲しい世界。でも、きっとそれは自分たちの生活の延長線に確実にある日常。怖いもの見たさと手に汗握る緊張感の中、読めば読むほど緻密に描かれた展開に引き込まれ、ページをめくる手が止まらない一作となっている。

 読み終えて、この作品に込められた作者の想いを確かめたくなった読者も少なくないのではないだろうか。ここでは、作者・野原広子さんのインタビューをご紹介する。本作の奥深さに改めて興味をそそられ、また繰り返し読みたくなるようなインタビューを、ぜひご一読ください。

(取材・文=吉田あき)

advertisement

朝方に子どもの夢を見て涙が出る

今朝もあの子の夢を見た P59

——ウェブメディア「よみタイ」での連載中は、常にランキング上位に入っているのを拝見していました。何が読者の心を動かしたと感じていますか?

野原広子さん(以下、野原):描き始めた当初は、多くの方に受けいれられる作品にはならないだろうと思っていて。それでも描きたかったのですが…。思いがけず、多くの方に読んでいただいて嬉しかったです。「これはなんだろう? どういうことなんだろう?」という思いで描き進めたのですが、読者の方々も同じように、子どもに会えない父親の想いと謎を、登場人物の鈴木さんと共に追ってくれたのではないかと感じてます。

——“鈴木さん”はタカシの職場に新しく入った女性で、タカシと交流を深めながら、タカシの過去を知っていくことになる人物ですね。

野原:はい。このお話をタカシ目線から描き始めてしまうと、会えない子どもへの悲しさと元妻への怒りばかり前に出てきてしまって、それは直球すぎるなと。一歩引いた当事者以外の視点から入らないと、多くの方には読んでもらえないと思ったんですね。そこで、“何も知らない”鈴木さんが案内役としてタカシの現状を知っていく、という流れにしました。

今朝もあの子の夢を見た P10

——これまでの作品ではママ友や離婚が題材となってきましたが、今回「父親なのに父親でいられない」という男性を描こうと思った理由とは?

野原:以前から、離婚後にお子さんに会えていないお父さんの存在は知っていたのですが、ここ数年の間に、身近でも同じような方々に出会ったことがきっかけです。どういうことなんだろう? と思ったものの、深く話を聞いてはいけないような気がして「そうなんだね」くらいのリアクションで終わっていたのですが、たまたま深く話を聞く機会がありまして。

 すると、それぞれに「ある日突然連れ去られた」とか「裁判しても会わせてもらえない」と同じことをおっしゃっていて。なぜ、我が子なのに会いに行ってはいけないのか? 会えないのか? 理解できないことが多かったんです。そして、みなさん揃って「朝方に子どもの夢を見て涙が出る」っていうんですね。それを今回のタイトルにしたわけなのですが…。お話を聞いた時、私は想像が追いつかず、その深すぎる悲しみについていけなかった。それで、頭を整理するような気持ちで、伺ったお話を数行の箇条書きにしていたら、それがこの作品のプロットにつながりました。

 ただ、この話を友人知人に投げかけても、ほとんどの人に興味を持ってもらえず、それが引っかかるところでした。このテーマは本人以外の人たちに興味を持ってもらえない、というのが一番の感想。でも、それも含めてどうしても気になり、今回漫画に描かせていただきました。

父親は子どものことをこんなに愛おしく思っていたんだと

今朝もあの子の夢を見た P46

——物語では、どうやらタカシの妻は昼逃げをしていて、子どもが父親に会いに来ないのは、妻が娘に“洗脳”をしているからだ…という展開が描かれます。「昼逃げ」「洗脳」のようなワードをどのように知りましたか?

野原:子どもに会えない父親の悲しみは知る機会がありましたが、連れ去った側の妻の気持ちや、突然父親と引き離された子どもの気持ちはどうなのかと気になり、探るうちに出てきたワードです。すぐには理解できませんでしたが、自分が子どもだった頃の経験を重ねると、腑に落ちるところがありました。

 母親の影響力は子どもには非常に大きくて、母親が言葉にしなくても、その後ろ姿から伝わってくるような気持ちって、ありますよね。私自身、洗脳された覚えはないのですが、「洗脳」という言葉を追っていくうちに、洗脳は言葉がなくてもできるものかもしれない、と感じるようになりました。洗脳した側も、洗脳しようと試みたわけではなく、無意識だったのかもしれないなと。

「昼逃げ」についても同じように、子どもに会わせない側の声がなかなか聞こえてこなくて、探っているうちに辿り着きました。ようやく相手側の親の気持ちを知ることになったのですが…。どの立場の人も、必死に生きていることを実感しました。

——タカシは鈴木さんの結婚式で、妻がいなくなった理由をよく理解しているような言葉を投げかけていましたが、離婚する前の自分の振る舞いをどのように振り返っていたのでしょうか。

野原:本当のところ、タカシは鈴木さんに全部を話していないと思うんです。でも、子どもに会えない長い時間の中で、妻との間に何があったのかを一生懸命に考え、「もしかしたら、ここが悪かったのかもしれない」と思い当たるところが、少なからずあったのではないかと。私が話を聞いた方々も「自分のこういうところが悪かったのかも…」と振り返っているところがありましたね。

今朝もあの子の夢を見た P64

——この物語で、野原さんご自身が最も共感するのはどの人物でしょうか。

野原:「なんで? どうして?」という気持ちで追いかけた、という意味では、鈴木さんでしょうか。他人の夫婦の話に首を突っ込んでしまう突拍子もない人物のようですが、鈴木さん自身も、結婚生活の中で新たに気がつくことがあるかもしれませんね。

 また、共感とは違いますが、タカシにしろ、鈴木さんの父親にしろ、父親は子どものことをこんなに愛おしく思っていたんだと知りました。一昔前は、父親は仕事第一で子どものことなどお構いなし、といった感覚があったのですが、父親だって子どもと一緒にいたい、成長を見守っていたい、ということが伝わってきました。

漫画という枠の中だけでも希望を描きたかった

——一つひとつのシーンに野原さんの想いが感じられます。必ず入れたかったという場面や、仕方がなく省いたシーンを教えてください。

野原:夫婦間にはさまざまなことがあり、離婚の理由はそれぞれ。夫婦の間に何が起こっていたのか、本当のところはわかりません。けれど、「子どもに会えないことや、成長を見届けることができない悲しみ」は決して嘘じゃない、ということは描きたいと思いました。

 省いたシーンは、具体的に、妻とタカシの間に何があったかというところですね。当初は描く予定でしたが、描き進めるうちに、それを描くと”戦いの話”になってしまう、と思いました。描いている私がつらいということは、子どもの立場だったら…と考え、描くことをやめました。

今朝もあの子の夢を見た P27

——表紙には傘を持ったタカシの姿が描かれています。雨の日は娘のことを思い出し、晴れの日は悲しくなる…天気でタカシの心を映し出したところに、どのような意図がありましたか?

野原:子どもに会えないというお父さんのお話を伺った時に、とても朗らかに笑っているのですが、少しずつお話を進めていくうちに、心の中は土砂降りの雨の中にいるような感じが伝わってきたんですね。どうしてこんなことになったのか? これはいつまで続くのか? という行き場のない悲しみ。でも、気持ちを切り替えて明るく生きていこうとしている姿もあり印象的で。それが、晴れの日と雨の日に表れたと思います。

——描き下ろしには、タイトルにもつながるような結末が描かれています。どのような気持ちで、この結末を描かれたのでしょうか。

野原:この結末が本当かどうかはわからないし、現実にはこういう未来ではないのかもしれない。けれど、悲しい結末にはしたくなかった。あくまでも、タカシと、娘のさくら、元妻のお話なのだけど、漫画という枠の中だけでも希望を描きたかった。なぜ、何が本当で正しいのかがわからないこの作品を描き始めてしまったのかと後悔した日もありましたが、私自身、過去の自分と重なることが多く、この作品を読んだ方も、それぞれに何かを思っていただければそれでいいと感じています。

“2本の毛”でタカシを明るく描けるような気がして…

今朝もあの子の夢を見た P122

——作品によって、線の描き方などに変化を加えることもあるそうですが、今回はいかがでしたか?

野原:今回に限ったことではないのですが、つらい話を、つらく、悲しく、深刻になりすぎないように描くということは意識しています。今回の話は、子どもに会えない悲しみから心を病んでしまうという方もいらっしゃるくらいの内容なので、少しでも絵を和らげるポイントとしては…え? と思うかもしれませんが、タカシのつむじの部分に毛を2本描いたというところでしょうか…。この“2本の毛”で、ほんの少しだけですが、タカシを明るく描けるような気がして。

——たしかに、悲しい時も笑顔の時もタカシのつむじには“2本の毛”が立っていますね。今回お話を伺って、この作品は誰も責めることができないお話なのだと感じました。「毎回これが最後」と感じながら作品を描いているそうですが、今後の活動についてはいかがでしょうか。

野原:「絶対完成させる!」という想いでデビュー作に挑んでから、こんなに長く描かせていただくとは想像もしていませんでした。エゴサーチをしないので感想を目にすることは少ないのですが、たまに作品を読んでくださった方にお会いした時、その表情を見ていると「描いてよかったのかも」と感じますね。描かせていただき、読んでいただけるのはありがたいことです。

 とはいうものの、最近は体力も気になりますし、相変わらずこれが最後かな…? と思っておりますが…。今回のように「なんで? どうして?」と追って描いてみたくなることが、また降ってくるかもしれません。