エベレストを登頂したオープンリー・レズビアンが語る壮絶な半生。性暴力の記憶やアルコール依存を乗り越えた先の景色は、誰もが勇気を与えられるものだった
公開日:2022/11/30
『夜明けまえ、山の影で エベレストに挑んだシスターフッドの物語』(シルヴィア・ヴァスケス=ラヴァド:著、多賀谷正子:訳/双葉社)は、のちにオープンリー・レズビアン(レズビアンであることを公にしている人)として初の世界七大陸最高峰登頂を成し遂げることになる登山家の著者が、自身の半生を綴ったノンフィクションだ。本書は、彼女がエベレストの頂上に挑む道行きで幕を開ける。
標高7300メートル──氷壁に固定されたロープに登高器を取りつけて、ぶかぶかの手袋でぎゅっと握る。いい登山用具はいまだに男性用しかなく、一番小さな手袋でさえシルヴィアの手には大きい。空は厚い雲に覆われている。氷壁に吹きつけられた雪が渦を巻き、大きな氷塊がすさまじい勢いで転がり落ちては大破する。今ここで、ロープから手を離したらどうなる? その場面を想像し、シルヴィアは気づく。彼女は山を、「死への願望から自分を救ってくれるもの」だと考えていたことに。
そもそもシルヴィアは、なぜエベレストに挑むことになったのか。その理由を探るためには、彼女の歴史を幼少期まで遡る必要がある。
1970年代、彼女の故郷であるペルーは階級社会で、シルヴィアの生まれた家庭でも、厳格な父に逆らえる者はいなかった。だから幼い彼女は、使用人の男性に「ご両親に頼まれたんだよ」「誰にも言っちゃだめだよ」と言われ、ベッドに連れ込まれることにも逆らえなかった。家父長制的な家庭環境や度重なる性暴力は、幼い心を傷つけた。その傷は、シルヴィアがアメリカに進学、就職してからも、彼女の人生に暗い影を落とし続ける。
アメリカに留まろうとがむしゃらに働き、浴びるほどの酒を飲み、自分の過去を知られないよう、週ごとに変わる相手と寝る。とうとうアルコールへの依存状態に陥ったシルヴィアは、セラピーの場で、彼女の中の傷ついた心が、自由に歩き回ることのできる大きな場所──山を必要としていることを知る。こうして山に興味を持ったシルヴィアは、キリマンジャロの登頂を皮切りに、ますます山に惹かれていくのだが……。
自分のためだけにエベレストに登るのはやめよう。ひとりで登るのはやめよう。征服者のように、頂上に自分の旗を立てたりするべきではない。コミュニティに──私のような女性たちに──私ができることをしなくてはいけないのだ。私は必ずエベレストに登る。でも、それだけでは足りない。みんなを連れていくべきだ。私のような女性を。サバイバーを。
登山家になったシルヴィアは、自分の人生を再生しようと、彼女と同じく性暴力サバイバーで登山初心者の女性たちと、エベレストのベースキャンプまでを歩く旅に出る。シルヴィアたちは、寄り添い合い、たがいの心の傷を見せ合って、自分たちの足で目指す場所に向かう力を取り戻していく。そして、そんなシスターフッド(女性同士の連帯)から得た力を胸に、シルヴィアはひとり山頂に臨む。山はまるで、シルヴィアの半生だ。逆らうことのできない厳しい天候、キャンプに染み込んだマッチョな意識、そして、肉体を死に追いやるような、危険な挑戦の数々……シルヴィアは、女性たちの希望とともに登るエベレストで、いったいなにを目にするのか。
目の前の山が大きすぎると、そのふもと一帯は影になり、わたしたちは自分が影の中にいることにすら気づけない。しかし近年、その山の頂に登り、あるいはその影を出て、自分の立っているところに気づいた人たちが、次々に声を上げている。性暴力サバイバーとして、女性として、性的少数者として、周囲を励まし、ともに悩み、連帯して前進しようとするシルヴィアも、そんな人物のひとりである。彼女がここまで自分をさらけ出せるのは、世界に向けた強いメッセージがあるからだ──「あなたはひとりではない」。
目を背けたくなるほどに壮絶な過去と現在進行形の苦闘を経て、胸のすくような景色を見せてくれるシスターフッドの物語は、乗り越えるべきものに臨むすべての人に、勇気を与えてくれるだろう。
文=三田ゆき