「本ってWi-Fiいらないのよ」「本棚は読んでない本だらけ」又吉直樹×ヨシタケシンスケが語る、本の面白さとは【後編】

文芸・カルチャー

更新日:2022/12/12

 11月6日に開催された「秋の読書推進月間」の一環となるイベントに出演した、芥川賞作家の又吉直樹氏と絵本作家のヨシタケシンスケ氏。2人が2年間打ち合わせを重ねて完成させた奇跡の一冊『その本は』(ポプラ社)は、30万部超えのヒット作となっている。

 【前編】でお伝えした『その本は』の制作秘話に続き、【後編】では2人が愛してやまない“本”にまつわるお話をレポート。普段の本への向き合い方や最近おもしろかった本など、他ではなかなか聞けないトークに注目を。

(取材・文=吉田あき)

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紙の束なら何でもいい。読まなくても、作り手の想いを愛でていたい

 お題に合わせて対談が進められた今回のイベント。『その本は』制作秘話の後、2人に向けられたのは「本は好きですか? なぜ好きなのですか?」というお題だった。

ヨシタケシンスケ氏(以下、ヨシタケ):こういう仕事ですけど、読書量は大したことないんです。又吉さんが読む担当で、僕が読まない担当。買うのが好きなんですね。外に出る時は本屋に行く時くらいで、散々悩んで選んだ本を「俺、今日はこんな本を選んじゃうんだよね」って顔をしてレジに持っていくんですけど、あの瞬間が一番楽しい(笑)。本って黙っていてポンと出てくるわけじゃなくて、作りたい誰かが企画書を作って上司を説得してる。誰かの想いがないと世に出てこない紙の束なんですよ。

又吉直樹氏(以下、又吉):はいはい(うなずく)。

ヨシタケ:だから、読まなくても手に持っているだけで何かしらの想いが伝わるというか、なんでこの本を作ろうと思ったんだろうって、その想いを愛でていたいというか。本自体が好きで、読まなくても楽しめる。本当は長い本を読むのが大変なんだけど(笑)。紙の束なら何でもいいみたいで、何語か分からないような本もあって、本棚は読んでない本だらけ。いつか読んで俺は変わるぜ、みたいな自分の未来を勝手に託した本がいっぱいあるんだけど。

又吉:実はそうですよね。僕も海外旅行先で本屋さんに行くのが好きで、英語読めないけど、文字と絵を見てるだけで幸せな気持ちになるというか。このイラスト、ここにいきなり出てくるんやーとか嬉しくなりながらレジに持っていくんだけど、ちょっとだけ、その国の言葉で読める雰囲気を出してしまいますね。読みますよーみたいな。読めないんだけど。本って独立した物語がありますけど、手に持った時の気持ちよさとか、物質としてこの本を自分の本棚に置きたい、みたいな気持ちがあると思うんですよね。

全然違う見方で読む人がいることの嬉しさ

 話題は「最近買った素敵な本」について語り合う流れに。2人は「答えるのが難しいタイプの質問ですね」と頷きあうが…。

又吉:ヨシタケさんが仰った、誰かの想いで誕生した本でいうと、屋上の写真を一冊に収めた本があるんですよ。

ヨシタケ:それ、ニューヨークの屋上ですか? ニューヨークの屋上の本なら僕持ってます。

(会場笑)

又吉:(笑)。僕は屋上が大好きで、でも、この本が欲しい人は限られてるなあと。その編集者さんにお会いする機会があって、よく作りましたねって伝えたら、反対されましたよーと。小説はもちろん、写真集や画集も好きですね。

ヨシタケ:僕も特定のテーマを持つ写真集が好きで、1930年代の胡椒入れを集めた写真集とか、どこにニーズがあるんだろうと思いながら、同じテーマの写真を見ているとだんだん笑えてきて。最近好きなのは飛行機の写真集。ここに扉があってネジがあって…ってそればっかりで、それしか載ってないんだけど、ふ~ん…ってどんどん心が静かになるっていう。思想も物語もないし、僕にとっては意味が分からなくて、読めてもいないけど、エンジニアの人に言わせれば意味があるんですよね。この本を全然違う見方で読む人がいるってことが嬉しい。『ヴォイニッチ手稿』もそうなんだけど。

又吉:何語で書いてあるかさえ分からない本で、時々読めたっていう人が出てきて…。

ヨシタケ:そう。その度に、いや違う違う…って潰されるという。

喫茶店で50ページまで止まらずに読む

又吉:(笑)。どんな本でも、読み始めるためのアプローチを大事にすると、面白くなると思います。僕は発売日に買いに行くのが好きで、発売日の朝とかに買いに行って、どこで読むのかはもう決めてるんです。この喫茶店で50ページまで止まらずに読む。まだいけそうなら100ページいっちゃう、で一回カレーを食べながらおさらい、みたいに。小説の最後の50ページや100ページはまとまった時間に読むようにして。たまに電車の中なんかで、「残り6ページなのに、この人一回畳むんや、よくないよ、それ」って。高校生くらいから、残り20ページとかなら駅から降りてホームとかで読んじゃってました。どの本が面白いというより、向き合い方でどの本も割と面白くなる、って思いますけどね。

ヨシタケ:全部用事を終えて、家族も寝た後に開封式、みたいな感じとか。

又吉:触ってみておぉ~となり、ちょっとこう置いてみて、じゃあ読むか…っていうのを毎回。本の全情報を楽しみたいほうですね。

ヨシタケ:本って、僕にとってはないと困るものだし、部屋にありすぎても困る。どっちにしても困るものだなと。

又吉:本のおかげで退屈っていうのがなくなりましたね。映画も音楽も好きだけど、いつもひらけた物語があって言葉が並んでるっていうのが、僕からしたら最高の時間の過ごし方。自分の体調によってもまったく違うものになる、本そのものに幅があって、物語は固定されてるはずやのに動く、というのも面白いですね。

合わへんかった本は友だちとトレードする?

 会場のファンからの質問では、読書の仕方や、子どもの読書習慣にまつわる質問が投げかけられた。

——どうしても入り込めない本があるんですが、おふたりなら最後まで読みますか?

ヨシタケ:難しいですよね…。最後までぴったり合うと思ってる自分の図々しさよ…ってあるので、最後まで読んで“こういう考えもあるよな”って芸の肥やしにするというか。

又吉:難しくて理解できないなって本を置いておいて、今なら読めるかなって読み返したら面白かった、って経験が2回くらいあるんですよ。お金がなかった10代の頃は、最初の5行くらいを読んで、この文章なら、ただ時間が過ぎていくだけの内容でも読み続けられるわっていう本を買っていたから失敗がなかったんですけど。買った後に新鮮な気持ちで1行目から読みたいっていう時もあるから、難しいですね。合わへんかった本を友だちと定期的にトレードするとかね?

ヨシタケ:「ここ変じゃない?」っていうと「そうお?」ってなるし、「ここ最高じゃない?」っていうと「そうお?」ってなるから、人によって感じ方に振り幅があって、なかなか良さと合わなさを共有できない。紙の束に翻弄される生身の我々っていう面白さはすごくあると思いますね。いや、すごく分かります。

本ってWi-Fiいらないのよ、すげえ!みたいな

——絵本を読み聞かせて育てていた子どもが、小学生中学生になってからは動画ばかり。私が小さい頃はお小遣いをもらえば小説を買いに行ったのですが。今どきの子どもについてどう思いますか?

ヨシタケ:うちの子もそうですよ。近くで見ていて不安になる気持ちはよく分かります。我々も、小さい頃にYouTubeがあったら見てたと思うんですよね。本であれ、動画であれ、そこから何を読み取るかなので、心配したところで仕方がない気がして。でも、気が向いた時に本のある状態にしておけば、本ってWi-Fiいらないのよ、すげえ! みたいな、グルッと回ってたどり着くこともあると思うので、焦らなくてもいんじゃないですかね。

又吉:本の面白さと豊かさを一番近い存在に伝えたくなる気持ちは分かりますよね。最近は音楽のイントロは短いほどいいって話があったりとか、すぐに摂取できる作品が好まれやすいとしたら、本ってすぐひらけるけど、物語や活字を毛穴から吸収してる感覚になるまでには、訓練が必要な気がするんですよ。乗れるようになったら快適な自転車と同じで、10冊20冊読んでいくと、だんだん感覚が分かる瞬間が何段階かあって、そっからすごく面白くなる。今はスーパー面白いジャンルがいっぱいあるから、その準備期間をどう設定するか…。

母が「ぶんぶくじゅんじゅうの花火、読んだよ」って

ヨシタケ:近くで自転車に乗ってたら乗ってみたいと思うわけで、本を楽しんでる人が身近にいたら、将来違うと思うんですよね。10年後、20年後、お母さん、お父さんは何読んでたんだろうって。本のいいところは未来に託せるところ。子育ての後、子どもの人生は何十年も続きますから。

又吉:僕の父も人生で一冊も本を読んだことがないです。僕をずっと守ってくれた姉も「そろそろ直樹の本読もうかな」と言ってくれて、まだ読んでくれてなかったんや…と。でもね、夏休み前に小説を10冊くらい重ねてる国語の先生がいて、この夏休みに読むねんって嬉しそうに言ってたんです。それ聞いて、読書に心を持ってかれたというか、なんか楽しそう!って。

ヨシタケ:僕の奥さんは読みませんけどね。生きる上で本を必要としないのは逆にすごいなと。なんで読まないんだっておせっかいしたくなりますけど(笑)。

又吉:唯一、家族で僕の本を読んでくれた母でさえも、「ぶんぶくじゅんじゅうの花火、読んだよ」って。文藝春秋の『火花』だから。全部間違えてる…。