映画『すずめの戸締まり』入場者プレゼント第3弾は新海誠監督の書き下ろし小説! 文芸評論家・榎本正樹が解説する小説ならではの人物描写

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/26

©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

 映画『すずめの戸締まり』劇場入場者プレゼント第3弾として、新海誠監督書き下ろしのスピンオフ掌編小説『小説 すずめの戸締まり ~環さんのものがたり~』(以下、『環さんのものがたり』)が2022年12月24日(土)より配布されている。『すずめの戸締まり』には、これまでの新海作品には見られなかったユニークな人物が多く登場する。中でも観客の心に強く印象づけられるのは、ヒロイン・岩戸鈴芽の叔母の岩戸環ではないだろうか。姪の成長を見守る保護者として、鈴芽に深い愛情を注ぐ心優しい環は、思い切りよく積極的な性格の女性でもある。『環さんのものがたり』では、「母親」として家出娘を迎えに行く環の上京までの時間が描かれる。

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小説 すずめの戸締まり』(新海誠/KADOKAWA)が、主人公の鈴芽(「私」)の一人称によって語られる物語であったのと同じく、『環さんのものがたり』も環(「私」)による一人称小説である。一人称小説とは換言すれば、語り手が見た風景の主観的叙述であり、語り手の内面や心理を吐露するモノローグであり、語り手自身の「言い分」である。幼い頃に生まれ故郷を離れることになり、叔母の住む九州で彼女と生活を共にする鈴芽にとっての十二年間は、二十八歳の時に四歳の鈴芽を引き取り、親代わりとなって鈴芽の世話をし続けてきた環の濃密な十二年間でもある。環の苦労の一端は、彼女が語るエピソードのそこここから伝わってくる。鈴芽のすべてを優先させる生活は、環自身の人生の可能性を狭めもする。環の中に抱えこまれた葛藤が、言葉の端々ににじみ出ている。

『環さんのものがたり』は、新幹線を乗り継ぎ東京に向かう環の現在の状況と、「鈴芽が最初の誕生日を迎えるまでのほんの二ヵ月間」の回想が交互に示される形で進行する。回想シーンの中でも特に印象に残るのが、鈴芽の五歳の誕生日の深夜、環が号泣するシーンである。誰にも打ち明けることができない日々の苦しみを「猫語」によって子供椅子に訴えかける環の感情の爆発は、読者の心を強く揺さぶる。このシーンは、きわめて「小説的」であることにおいても特徴的だ。

 新海誠はすぐれたアニメーション監督であり、小説家である。同一の作品タイトルを映画と小説の両方で、ほぼ同時に発表するクリエイターは、現代日本において希有である。たとえば新海において、小説はアニメーションの各シーンを単純に言葉に置き換えたものとして意図されていない。小説とアニメーション、それぞれのメディアに最適化された表現が目指されている。

『小説 すずめの戸締まり』の中には、小説ならではの表現が散見される。たとえば、新幹線で東京に移動中の鈴芽が「窓の外をびゅんびゅんと流れていく風景」を見て、自分があの場所に立つことが一生ないことを、驚きと寂しさの感情とともに自覚する場面。小説のみで描かれるシーンだが、鈴芽が旅を通して得た「気づき」が彼女にとって貴重な内的体験になっていることが示される。環と鈴芽と二匹の猫を乗せて運転してきた芹澤の車が事故を起こし、見切りをつけた皆がその場を去った後、一人取り残された芹澤が「俺はたぶん、なにかの役割を果たしたのだ」と感慨にふける感情描写の場面も、小説のみで描かれる。なにかの終わりとなにかの始まりを自覚する芹澤の達成感を、小説は映画以上の緻密さで描く。登場人物の内面に寄り添った小説の言葉は、各人の抱えた事情や、感情の揺れや、葛藤をこまやかに描きだし、彼らの人間的な本質を明らかにするのである。

 私たちは『環さんのものがたり』を読むことで、本編では窺い知ることができなかった、岩戸環という人物の心の深層=真相に触れる体験をする。そこには未知の情報も記されている。たとえば子供椅子の秘密に、環は保護者ならではの直感で気づいている。環の行動が、あちら側・・・・の世界に誘引しようとする子供椅子から鈴芽を取り戻すべく動機づけられていたことが理解される。

『環さんのものがたり』が描くのは、東京駅に到着した環が、力強く改札に向かう場面までである。この後、鈴芽と対面した環は奇妙な旅へと誘われることになるのだが、この時点での環はまだそのことを知らない。小説家・新海誠は、鈴芽を追いかけて九州から東京まで新幹線を乗り継いで移動する環の移動のプロセスに、環自身の劇的な内面のドラマを重ねあわせてみせた。そのような物語の「間隙」は『小説 すずめの戸締まり』の中に、まだ多く存在するように思われる。章ごとに視点人物を替え、リレーのように物語を織り紡いだ『小説 言の葉の庭』のように、草太や稔や千果やルミや芹澤や宗像老人など、彼ら一人ひとりの言い分に耳を傾けてみたい気がする。新海監督への無い物ねだりの個人的な希望として、最後に記しておきたい。

文=榎本正樹

えのもと・まさき●1962年、千葉県生まれ。文芸評論家。専修大学大学院文学研究科後期博士課程修了。博士(文学)。著書に『電子文学論』『大江健三郎の八〇年代』(ともに彩流社)、『Herstories(彼女たちの物語) 21世紀女性作家10人インタビュー』(集英社)、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。全話完全解読』(双葉社)、『新海誠の世界 時空を超えて響きあう魂のゆくえ』(KADOKAWA)など。