電気も水道もトイレも使える地下建築――使っていたのは過激派かあるいは…/方舟③【2022年話題のミステリを試し読み!】

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/30

『週刊文春ミステリーベスト10』国内部門で第1位に輝き、『このミステリーがすごい!2023年版』国内編第4位にランクインしたミステリ小説『方舟』(講談社)。著者は2019年に『絞首商会の後継人』で第60回「メフィスト賞」を受賞した、夕木春央氏だ。

 舞台は、山奥の謎めいた地下建築。大学時代の仲間5人と従兄と地下建築を訪れた主人公。さらに偶然近くにいた3人家族もともに過ごすことになるが、やがて一行は地下に閉じ込められてしまう。そんななかで殺人事件が発生! 脱出するには1人の犠牲が必要で、生贄は犯人がなるべきだ。 タイムリミットはおよそ1週間――。

 有栖川有栖氏、法月綸太郎氏など、名だたる作家や書評家が絶賛する傑作ミステリの冒頭を、全8回で試し読み!

方舟
方舟』(夕木春央/講談社)

 一安心の雰囲気で、僕らは狭い機械室を出た。

 この地下建築には無数の謎があった。明るくなった屋内の探索をしてみたい気がしていたが、今は好奇心よりも疲労が勝っていた。

 裕哉はみんなを引き連れ、廊下を入り口側に少し戻って、機械室と反対側の106番のドアを開けた。

「ここがさ、食堂になってんだけど、ちょっと休憩する?」

 何十畳もある大きな部屋だった。縦長の室内に長テーブルが置かれ、それに沿って椅子がぎっしり並べられている。数十人が入れる食堂である。

 花は、手近な椅子を引いた。

「うわ、汚っ。――大丈夫なん? これ」

 椅子は学校に置いてあるような安っぽいものだった。しかも、長く地下に放置されていたせいで、背板は黒いカビが生え、腐りかかっている。

 座面をはたいてから、花は恐る恐る腰掛けた。壊れることはなかった。

 よく見ると、長テーブルの天板も、ベニヤの化粧板の安っぽいものだった。やはり傷んでいて、上に立ったりすると危険そうである。

 食堂の奥には流しが備わっていた。蛇口を捻ってみると、ゴポゴポと音がしてから、赤黒い水が飛び出した。しばらく出しっぱなしにすると、やがて水は透明になった。

「へえ、水道使えるんだ」

 思わず僕は呟いた。

 流しの上には食器棚が備わっている。古そうな肉厚の皿やコップが大量に並んでいた。

 さやかは、壁際に膝をついて、何かをいじっている。

「あ、すごい。コンセントも使えますよ。ほら」

 彼女は、スマホの充電器を、剝き出しの配線のコンセントに差し込んでいだ。

 しばし僕らは食堂に留まり、伸びをしたり、あくびをしたりして過ごした。

 ろくに会話はない。縦走登山で宿泊する山小屋にたどり着いたときのような、ひたすら疲労を発散させる時間である。昨日集まったとき以来、一番学生時代が懐かしくなる瞬間だった。

 しかし、吞気に体を伸ばしているには、この休憩所は不穏な気配を湛えている。しばらくして、翔太郎が僕の肩を叩いた。

「柊一、少し建物の中を調べてみようか? これはかなり面白い建築だよ」

 何か食べておこうかと思い始めたところだったが、この地下建築も気になる。

 すると、なんだか気まずそうにしていた裕哉が割り込んできた。

「あ、翔さん、だったら俺ちょっと案内とかできますよ? 前来たとき結構いろいろ見て回ったんで」

 彼も同道することになり、僕らは食堂を出た。三人で、地下建築の探索を始めた。

 

 低い天井に、薄暗い蛍光灯の明かり、汚れた床や安っぽい地味な建材で作られた壁、そこに張り巡らされた配線など、総合してこの建物は古い貨物船の雰囲気を持っている。

 雰囲気だけではなく、広さや構造も貨物船に近かった。建物は、縦横に巡らせた鉄骨に、鉄板を溶接して造られている。三層になっていて細長く、廊下の左右には倉庫らしい部屋や、鉄パイプの簡素な作りの二段ベッドが置かれた部屋が並んでいた。

 各々のドアには、アパートのように、部屋番号の札が貼ってある。出入り口のところまで戻り、鉄扉を背にすると、右側の部屋が101号室である。左が102号室。廊下を奥に行くにつれ、番号は103、104、と進んでいく。倉庫にも居室にも、用途にかかわらず全部の部屋に番号が付されていた。どのドアにも、壁との間にいびつな隙間がある。全体に無骨な造りである。

 食堂の隣の104番がトイレになっていた。公共施設にあるのと同じような、個室が四つのトイレである。使う気にはならないが、一応シャワーブースが併設されていた。

 臭気が籠もっているが、不快になるほどではない。しばらく使われていなかったせいで、排泄物の分解が進んでいたらしい。

「ここ、下水なんかないよね? 汲み取りはどうしてたんだろ」

「多分、一旦便槽に溜めて、ポンプで地上に汲み出していたんだな。生活排水も同じ仕組みだろう」

 翔太郎は、和式便器の中を覗きこみながら、僕の問いに答えた。

 トイレはそれくらいにして、廊下に戻った。

 107番の機械室を行き過ぎると、廊下は左に曲がる。曲がり角のところには、地下二階に降りる、鉄製の階段があった。

 階段は一旦無視して、廊下をさらに進む。するとそれは、五メートルほどですぐ右に曲がっている。そこからの廊下の左右にも、やはりドアが並んでいた。機械室の続きの108番から、一番奥は120番だった。

 屋外側の壁には、黒っぽい岩肌が露出しているところもあった。入り口から降りて来たときの洞窟と同じ手触りである。所々から水が染み出しているようで、湿り気を帯びていた。

 どうやらこの地下建築は、地中に生じた天然の空洞の形を整え、階層を作り、仕切りの壁を配置して、建物に仕立てたものなのだった。廊下が不自然に曲がっているのは、もともとの地形を尊重した結果らしい。

 突き当たりまでやって来ると、翔太郎は博物館の陳列を見終わったような感慨を込めて言った。

「二十部屋もあるのか。金も掛かっただろうに、まあ、よく造ったね。ウルトラ違法建築ではあるが」

「これだけじゃないっすからね。まだ地下二階もある」

 裕哉は先に立って、廊下を階段のところに引き返す。

 地下二階も、おおよそ階上と同じ造りになっていた。稲妻形をしたフロアの廊下の左右にドアが延々並んでいる。こちらには食堂のような大きな部屋がないが、地下一階のトイレの下が便槽になっていて、一部屋分が占領されている。やはり201から220まで二十部屋があるのだ、と裕哉は説明した。

 地下二階の廊下にも、やはり蛍光灯が点いている。しかし、階段を降りて左の、部屋番号が若い側の一帯は暗くなっていた。照明器具は設置されているので、どこかで電線が切れているのか? 一番奥には明かりが点いているから、そこは配線の系統が違うのかもしれなかった。

 階段を降りると、部屋の探索を始める前に、翔太郎が訊いた。

「裕哉君。君は、どうしてこんな場所を見つけたんだったかな?」

「あ、えっと、半年くらい前にたまたま見つけたんすよね。俺、そのときソロキャンプしようとしてて、ぜってぇ誰も来ないとこ行こうと思って山奥まで来たんですけど、そしたらあの上げ蓋を見つけて。で、入ってみたらものすごかったんで」

 廊下の真ん中で、裕哉は両腕を広げた。

「ここって、結局何なんすかね? 誰が何でこんな建物造ったんすかね? 正直、明らかにヤバいことに使われてたっぽい感じするじゃないっすか」

 少し考えてから、翔太郎は答えた。

「多分ここは、五十年前の過激派のアジトだな」

「――マジか。過激派っすか? 七〇年代とかの話?」

「パッと見、建てられた年代はそれくらいだね。あの入り口の途中に、かなり大きい岩があっただろう? 鎖の巻きついたやつが。あれはどう見ても、いざというときバリケードにするために、あえて置いといたものだな。あの岩で鉄扉を塞ぐんだろう。

 だが、その過激派の後も、別の犯罪グループだかが使ってたみたいだな。割と最近、せいぜい二十年くらい前に付けられたらしい配線もある。過激派がそんなころまでこんなところで頑張ってはいないだろうからね」

 僕も、薄々そんな気はしていた。

 なぜこんな山奥の、それも地下に建物を造るかといったら、それは人目を避けるために決まっている。しかし、はっきり口にされると、不気味さは増す。

 翔太郎は明るく言った。

「まあ、どんなものだか、もう少し詳しく見てみることにしようか」

<第4回に続く>

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