年末年始の脳内大掃除に。流されず「まっさら」に生きることのススメ

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公開日:2022/12/17

成熟とともに限りある時を生きる
成熟とともに限りある時を生きる』(ドミニック・ローホー:著、原 秋子:訳/講談社)

 野心(もう少し控えめかつ年末年始的な感じで言うと抱負)というのは、あるほうがいいのか? 「当然あるほうがいい」という方も「そういうのは自分には必要ない」と思う方もいらっしゃるでしょう。

 年代による悩みというのは人さまざまで、中国の古典『論語』の有名な言葉には「15歳で国に仕えるために専門的な学問を志し、30歳で専門の学問を確立し、40歳でものの道理が分かって迷わなくなり、50歳で完全に何をすべきか理解するようになり、60歳で人の言葉が素直に理解できるようになり、70歳には思うがままに行動しても道理を外すことがなくなった」というものがあります。

 この言葉が引用されるときは、「実際自分は最近そうなってきた」という場合もあるかもしれませんが、「30を過ぎても何も確立していないし」「40過ぎてもめちゃくちゃ迷っているし」というジョークのようなニュアンスなこともあるでしょう。どちらかというと後者の論調にピンときた方にオススメなのが、シンプルで素朴な生き方を提唱・実践して世界中にファンを持つフランス人のドミニック・ローホー氏が「成熟のセオリー」をテーマに記した新著『成熟とともに限りある時を生きる』(講談社)です。

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 著者は本書でさまざまなトピックに触れたり生き方を提唱したりしていますが、「プレーン(plain)」というキーワードに絞ってご紹介したいと思います。ドーナツやスコーンにおいては「チョコがついていたりレーズンが入ったりしていない、そのまんま」というニュアンスとなるこの単語ですが、人のパーソナリティについて話す文脈では「控えめ」「素朴」という意味にもなり得ます。

私たちが現在生きている、傲慢さや成果重視の社会においては、控えめといったものが影を潜め、逆にこの言葉を「長所」と受け止めることもできるでしょう。
「プレーン」は「普通」と訳すこともできます。「普通」はフランス語ではordinaire。これはordreという言葉からなり、秩序、整理、整頓の意味。それは、頭の中や室内、交流関係を整理整頓するという意味にもとれます。

 何か「しなければ」「つくらなければ」「残さなければ」など、野心に牽引されるようにキャリアや人間性が形成されると、ともすると現代社会では思ってしまいがちです。しかし著者が提唱するのはその逆で、「まっさら」でいることです。絵の具のパレットに色を思うがままに散らばすようにできるために、しっかりとパレットをこまめに洗って白い状態で準備しておくような感じとでもたとえれば、「プレーンさ(まっさらさ)」が確固とした個性であることがご理解いただけるのではないかと思います。選り好みしないことで、与えられた機会を最大限に活かして、自分の感受性の範疇に飛び込んでくるものを、なるべく濾(こ)さずにキャッチできるからです。

 著者は専業主婦のKさんという人物を、「プレーンであること」の好例として紹介しています。「まめまめしく」という言葉で彼女の振る舞いは形容されていますが、大家族の炊事・洗濯を日々こなし、来客にも快い気配りのもと対応する姿に、著者は心地よさを感じるといいます。その心地よさというのは、Kさんの振る舞いや態度から著者が感じていることだけではなく、「プレーンな個性」そのものに感服していることにも由来しています。

逆説的になりますが、細かいことにいちいちこだわらない人は、自由な心で生きていると言えるのではないでしょうか。
なぜならば、大量のものやパフォーマンスによるプレッシャーが四方八方から押し寄せるこの世界において、「自由」とは、結局さまざまな概念や思考に囚われずに、健全な精神を保てる状態のことを言うからです。

「野心を持って強く生きなければならない」という論調が支配的である中で、流されず、平凡であるからこそマネできない人生を生きる自信を持てる本書は、年末年始に脳内の大掃除をするのにピッタリの一冊です。

文=神保慶政