「マカロニえんぴつ」が初の歌詞集を発売。「いい歌詞って、恥ずかしい歌詞だ」ボーカル・はっとりの作詞の裏側インタビュー
更新日:2022/12/19
日本レコード大賞では最優秀新人賞、優秀作品賞を2年連続で受賞し、バンド結成10周年を迎えたツアーではさいたまスーパーアリーナ2DAYSを完売する人気ロックバンド「マカロニえんぴつ」。そんな彼らの楽曲が、デビュー10周年にして初めて「歌詞集」として先日発売された。その名も『ことばの種』(双葉社)は、結成時からこれまでの全76曲の歌詞をたっぷりと収録。さらに、当時の思い出やその歌詞に込めた想いを解説した「用語解説集」まで含めた、贅沢な一冊となっている。
遊び心に富んだメロディと、弾むような歌声に乗せて届けられる、真っ直ぐで正直な「ことば」たち。それらはいったい、どのようにして生まれているのか。
刊行にあたり、著者であり作詞とボーカルを担当するはっとりさんに、作詞への想いや、「ことば」を強く意識するようになったきっかけ、過去の楽曲との向き合い方について話を伺った。
「歌詞だけ」でも成立する、マカロニえんぴつの世界
——本の重みを手に感じながら活字を追ってみると、耳で聴くのとはまた違った印象を持つ楽曲がいくつもあり、とてもおもしろく読ませていただきました。今回このような形で歌詞を一冊にまとめられたのには、どのようなきっかけ があったのでしょうか?
はっとり:紙をめくりながら歌詞を味わうのも、またいいですよね。ぼくは常々「歌詞だけ読んでも成立するもの」を目指して書いてきたんです。だから、こんな形も成立するのかなと思いました。それに、なんと言っても今年はマカロニえんぴつの結成10周年なんです。表現者としての自信もついてきたタイミングでもあるので、これまで制作した曲をまとめてお届けできれば、という想いで取り掛かりました。
——76曲全てに、はっとりさんがコメントをつけられていて、とても贅沢な一冊になっていますよね。10年分を振り返ってみてどうですか? 大きな変化はあるでしょうか。
はっとり:音楽を通してやろうとしていることや、伝えようとしていることは、根本的には変わってないかなと思います。ただ、表現の仕方は時期によってだいぶ違っていますね。その都度考えていたし、悩んでいたし。振り返ってみても「ああ、このときはこんなふうに考えていたな」と思い出すことがたくさんありました。
——1曲1曲との思い出が蘇ってきたんですね。
はっとり:そうですね。ぼくはどこか、「器用貧乏」みたいなところがあるんですよ。良く言えば、表現の幅が広いということかもしれませんが、何色にも染まれちゃうような柔軟性や個性の弱さが、ずっとコンプレックスだったんです。「情けないなあ」と思っていましたが、だったらいっそ型にハマったりせず、そのとき影響を受けたものをそのまま自分なりに還元してアウトプットを続けていこうと。「ここが個性だ」なんてことは考えず、いつも素直に心に従って音楽作りをしてきました。その跡が、歌詞を読んでも見えるかなと思います。
いい歌詞は、翌朝恥ずかしくなるもの
——作詞を重ねるうち、2017年のアルバム『CHOSYOKU』の「MAR-Z」や「girl my friend」からは、あまり推敲をされなくなったというお話もありました。それも、心に従うことを大切にされた結果でしょうか?
はっとり:そうですね。部分的に修正を加えていくということが、ぼくにはどうしても「ワンポイントアクセントでおしゃれしてる」みたいに思えちゃうんですよね。全身に洋服を着てから、「ここに色を足してみよう」とか「ここに個性を出してみよう」とか取り替えるようなイメージです。それってちょっと、余裕がありすぎる気がしませんか?(笑)。「言葉をファッションにしたくない」という気持ちが常にあります。だから、修正して着飾る、かっこつけるようなことは、できればしたくないんですよね。
小説家の中島らもさんは「シラフで本を書いたことがなかった」らしいんです。「書けねえ、書けねえ」って言いながら酒を煽って、翌朝目が覚めたら「誰が書いたんだ?」って原稿が綺麗にまとめてあると。さすがにそこまではできませんけど、それぐらいリラックスして素直に書ききることができればと思っています。そうすれば、ちゃんと完成するし、後から読めばしっかり恥ずかしいものになるかな、と。やっぱり、翌朝読んで恥ずかしくないといけないんですよね、歌詞って。
——少し経ったあと、自分で読んでみると「恥ずかしい」のが、いい歌詞。
はっとり:そう。自分をさらけ出してるわけなんで、恥ずかしくない方がおかしいんですよ。
——そうすると、10年分の歌詞を一息に振り返る今回の試みは、はっとりさんにとって「恥ずかしい」の集大成のようなものではなかったでしょうか?
はっとり:たしかに(笑)。だけど、10年前のものに関しては、さすがに「恥ずかしい」って感覚はなかったですね。時間が経過することで、「恥ずかしい」は「うらやましい」に変わるのかもしれない。だって、もう今は書けないものばっかりだから。だから、この本の中でぼくは「これは、ちょっと表現になってない」だとか「あまり良くない」みたいな言葉で解説をしている曲もあるんですけど、どの時代もどの曲も間違ってはいないんですよね。その時その時のものですから。
原点は、「現代文の問題」と「落語」
——はっとりさんにとって、「ことば」というものを強く意識したきっかけ、今につながる「ことばとの出会い」はどんなものだったでしょうか。
はっとり:そうだなあ、実はぼくは本をろくに1冊も読みきれたことがない学生だったんですよ。だけど、唯一「楽しい」という感情で向き合えていたのが、現代文の設問でした。小説や随筆文の一部分だけが掲載されていて、「この文章の感動の中心はどこですか?」とか「筆者の気持ちを答えよ」みたいな問題があったじゃないですか。あれって、作者の名前も知らないけどすごく読み応えがあって。だけど時間内に理解して問題を解かないといけませんから、難解すぎるものはないんですよね。ある程度わかりやすくて、短い中にもちゃんと起承転結がある。歌の中でも、ぼくは常にそういったことを意識しているし、「全体として、気持ちのいい流れ」があって然るべきだと思っているし。「現代文の問題」は、ひとつのルーツになっているかもしれないですね。成績もよかったですから(笑)。
——知らず知らず、そこで起承転結の在り方や構成 の基礎のようなものを学ばれていたんですね。
はっとり:そうかもしれません。あとは、落語。親父が好きで、よく車の中で流れてたんですよ。その影響で、ぼくは特に柳家小さんさんが好きで、CDを自分の部屋に持ち込んで繰り返し聞いてました。落語にも、ワクワクさせる冒頭があって、展開があって、オチがある。短い間で納得させられるラストがちゃんとありますよね。やっぱりそういうことを大切にしてるんだと思います。
ぼくは、歌詞の導入部分を書くのがすごく得意なんです。だからマカロニえんぴつの曲は「続きが気になる入り口」が多いはずです。それに、ラストを盛り上げるのも自信がある。最後には本でいうところの読後感のようなものをちゃんと感じてもらえるんじゃないかなと。そうだといいなと思いながら、曲を作っていますね。
誰かの歌を歌うのは、緊張すること。
——他の方が書いた歌詞にも感銘を受けたり、学ばれたりすることは多かったですか?
はっとり:もちろんもちろん。CDを買ったら、まずは歌詞カードを読んだり、オールイングリッシュの曲は訳してみたり。今年、ELLEGARDENのトリビュートアルバムにも参加させてもらいましたが、山梨の高校時代、登校中にずっと聴いてたんですよ。いいな!かっこいいな!しかもなんでこんな英語の発音いいんだ? と思ったら、細美さんは海外で仕事してたような人なんだ!すげえ! みたいな。
——ご自身で書いた歌詞を歌うのと、他の方が書いた歌詞を歌うのとでは、また全然違った心地がするものですか?
はっとり:全然違いますね。誰かの曲を歌うのってすごく緊張するんですよ(笑)。間違えられないし、テキトーなことはできないじゃないですか。気も遣いますよね。だけど、アレンジを考えさせてもらうのは、すごく楽しい。誰かが書いた曲にちょっと自分たちらしさを加えさせてもらう、っていうのは自分たちの曲を作るのとはまた違って、めちゃくちゃおもしろい作業なんです。
「ありがとう」に溢れた10周年
——普段は、どのような場所で作詞をされているのでしょうか?
はっとり:机に向かうときもありますけど、基本的にはスマホのメモ機能を使っていろんなところで書いてますね。凝り固まっちゃうのも良くないので、外に出てみたり。
たとえば「たましいの居場所」という曲は、街を歩きながら考えました。夜の東京を眺めていたら、ふと「バンドの10周年は、俺にとっては上京して10周年でもあるな」ということを思ったんです。山梨から出てきて、大学に入学してバンドを組んで。やっぱり未だに自分は東京の街に似合っていないと思いますし、気は張っているし、恥もたくさんかいた。それでも腐らずに、高校生の頃と変わらずなんとか音楽をやっているな、と。それがなんだか無性にうれしくなったんです。どこに行ったって、心の拠り所や大切にしたい場所は自分の中にある、むしろ増えていくんじゃないかと。そういう想いを込めた一曲ですね。
——「よくここまで来たな」とご自身のこれまでを振り返られたんですね。はっとりさんにとって、やはりこの10周年というのは大きな節目でしたか。
はっとり:そうですね。本当にたくさんの方に「おめでとう」と言ってもらえましたし、ぼく自身も人生でいちばん「ありがとう」と言った年だったと思います。漠然と口にするわけじゃなくて、感謝したい人の顔をしっかりと見たり、頭に思い浮かべたりしながら。そうすることで改めて、「ありがとう」っていくら言っても言い足りないんだな、ということもまた痛感しました。自分で選んだ道だけども、自分の力だけでは到底ここまで来られなかったと思うので。
——感謝の想いを再確認されたんですね。まだ伝えられていない人はいますか?
はっとり:ああ、コロナ禍ということもあって、九州に住んでいる親戚にはまだ面と向かって言えていないんですよね。それが心残りで。鹿児島にじいちゃんが住んでるんですけど、早くにおばあちゃんを病気で亡くしちゃって、1人で元気に頑張ってるんですよ。ちょいちょいテレビ電話はしてるのですが、なかなか会えていなくて。曲も聞いてくれて、テレビも全部チェックしてくれてるのに。親戚のみんなにもじいちゃんにも正月には会えたらいいなと思いますね。顔を見て「ありがとう」をちゃんと伝えたいです。
知っている曲とも、もう一度出会って!
——最後に、この『ことばの種』は読者のみなさんにどんなふうに楽しんでいただきたいでしょうか?
はっとり:やっぱり楽曲を聴いてほしいというのがいちばんなので、この一冊が曲と出会うための入り口になってくれればうれしく思います。マカロニえんぴつをよく知らない人にも、読んでもらえれば「いい詩だな」「どんな曲なんだろう」と思ってもらえるという自負はあるので。ぜひこの機会に、ザクザクと気になる曲に出会ってもらいたいです。
それに、どれも活字になっているものを本で読むと、本当に入ってくる印象が全然違うはずなので。普段から聴いてくださってる方にも改めて読んでもらいたいですね。知らない曲との出会いも、知ってる曲を一層知るのも楽しいと思います。「全部歌えるぜ」って人にも、「いや、それはどうかな!」と(笑)。「もっと深いところまで味わってみては?」 と。 そんなことが言いたくなる一冊ですね。
取材・文:中前結花