熊本の建物を知り尽くした人気建築家の着眼点が新鮮! 普段のまち歩きが楽しくなる
公開日:2023/1/2
「もしも建物が話せるとしたら何と言っているのか」と考えながら町を歩いてみたことがあるでしょうか。建物というのは、人が出入りをして様々な営みをおこなうという実用的な存在です。ですが、建物が木のように生きていて、さらに周辺環境も含めて考えたときに、町や都市というのは建物が集まっている森のようなものとして捉えることができます。
筆者がそう思うようになったのは、『建築の森・熊本を歩く』(彰国社)の著者・田中智之氏の建築ツアーに参加したことがきっかけです。2005年に熊本大学に赴任して以来、関東出身の田中氏は熊本県内各所の建築の世界観に魅了され、都市計画の様々なシーンに関わりながらその変化を見守ってきました。その膨大な知識のアーカイブが、本書では惜しげもなく披露されています。
地元紙・熊本日日新聞で2011年から2014年にかけて計35回連載、70の建築が特集されたコラムがまとめられただけではなく、2018年に本書が出版されるのに際して「タナパー」と呼ばれている田中さんのドローイングが追加されました。「タナパー」とは、建築をX線で透過したかのような手描きドローイングで、熊本県を中心に「タナパー」ワークショップが開催されたり、田中さんが使用しているPILOT社の青ペン(HI-TEC-C/HI-TEC-05)がコラボ商品として販売されたり、より詳しく知りたい人向けに『超建築パース 遠近法を自在に操る26の手描き術』(学芸出版社)という本が2021年に出版されるほど注目を集めています。
建築を勉強している方や興味がある方は間違いなく役立つはずの本書ですが、少し変わった切り口の観光ガイド本としてもより多くの方に手にとっていただければと思い、建築分野外のいちファンとして、本書を紹介できればと思います。
目次を開くとほぼ9割が動詞(うつろう、つむぐ など)、残りは例外的に副詞(りんと)やオノマトペ(もくもく)が書かれていて、各言葉に関連した熊本県内の建築が2つずつ紹介されています。
たとえば「わける」の章では、「県営山の上団地」と「熊本駅新幹線口(西口)駅前広場」が紹介されています。私たちはついつい、たとえばタージ・マハルに案内されたとしたら「わぁ、これが教科書にも載っているあのタージ・マハルか」と、その案内された対象物のみに目が行き、印象を決めてしまいがちです。しかし著者には、今見ている建築を遠くから見たらどう見えるか、まわりの建築とどんなバランス関係になっているかなどという、鳥が建物を上空から見ているような目線が備わっています。
一般的によい景観の条件として、近景・中景・遠景のバランスがあります。例えば30メートル以内の近景、250メートル以遠の遠景、そしてその中間の中景といった教科書的な距離区分はありますが、まずは“見え方の違いによる区別”があることが基本です。
しかし普段私たちが歩道を歩く際、その区別を感じることはあまりありません。乱雑な駐輪から突出看板や建物までが一緒くたとなり、近景と中景の区別ができないのが現状です。
また、「はいする(配する)」というなかなか普段は使わない言い回しの章では、「甲佐町やな場」と「宇城市立豊野小学校」が紹介されています。建造物を敷地内に配置するときに、余白に特に留意がなされた2つの場所ということです。特に前者、川に梁簀(やなす)を張って流れてくる魚を受けて捕る「やな場」は、魚を食べてみたいという理由と、その場を見てみたいという理由、ダブルで行ってみたくなりました。
鮎を捕るしかけである、竹で編んだスノコ状の「やな」を取り囲むように、5棟の茅葺きあずまやが数珠つなぎとなり“コの字”状に配置されています。それはまるで上流に口を開けて鮎を待つ大魚の如く。
それにより中庭のような親密さと、豊かな川の流れによる清々しさが同居した、特異な余白空間ができあがっています。ここでは京都の川床とはひと味違った親水性を味わうことができます。
都市部から郊外まで網羅的に紹介されている本書を携えて、2023年は熊本の旅にでかけてみてはいかがでしょうか(一部現存しない建築や、立ち入りができない建築も紹介されているので、訪れる際には事前にインターネット等で調べられることをオススメします)。
文=神保慶政