不器用すぎる売れっ子作家・燃え殻氏と、彼の本音を引き出す二村ヒトシ氏の対談本。労働観などを巡るクロストーク
更新日:2023/1/12
テレビの美術制作会社で働きつつ、小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』で2016年に作家デビューした燃え殻氏。同作は映画化もされ、続く著作も順調に売れ続けている。そんな燃え殻氏の文章を読んでいて思うのは、どれだけロマンティックな恋愛を描いていても、どこかに苦みや翳りや悲哀が貼り付いている、ということだ。そんな燃え殻氏とAV監督の二村ヒトシ氏の対談を収めた『深夜、生命線をそっと足す』(マガジンハウス)を読んで得心した。こういう人だからこそ、ああいう作品が書けるのだな、と。
小説やエッセイを書いて高い評価を得ても、幸せになれない。著作は順調に売れているのに、燃え殻氏は虚無感と徒労感に苛まれている。見た目もシブくて二枚目の彼のこと、さぞかし女性ファンも多いのだろうと勘ぐってしまう。だが、本書を読むと、本人の体感ではまったくそんなことはないらしい。巧みな聞き手でもある二村氏とのトークで浮かび上がってくるのは、燃え殻氏がとんでもなく不器用で努力家だ、という事実である。
その不器用さがまた、尋常じゃない。仕事に行くのが辛い時は、500mlの赤ワインをコンビニで大量に買って、朝起きたら一気に飲み、酩酊した状態で満員電車に乗っていたという。また、会社で新規事業の立ち上げに携わった際は、営業先の会社を知るために、その会社のあるビルのコンビニでバイトをしたそうだ。二村氏も指摘しているが、こんな努力の人、いる?と思ってしまう。
そんな燃え殻氏の過剰なまでの努力を受けて、二村氏は、真面目でちゃんとしたサラリーマンだからこそアル中になるのだと指摘する。体を壊しても働くことがやめられないのは、もはや一種の労働依存症である、と。二村氏は次のように言う。
人間、よくやっているよ。満員電車だって、乗っている一人ひとりはつらいのに、時間に遅れず電車はちゃんと動くでしょう。駅員さんとかビルを造ってくれる現場の肉体労働の人のおかげで社会は維持されてるんで、こんなこと言ったら申し訳ないけど、こんなにちゃんとしすぎている社会、狂ってるよね。
ふたりの対談を読んで思ったのは、ダメな人やいい加減な人の居場所がなくなり、社会から排除され始めているのではないか、ということ。二村氏が、?田恵輔監督の映画『愛しのアイリーン』を引き合いに出して論を展開する部分では、特にその事実が強調される。同作に登場する人がみんなどうしようもない人たちで、ラストでもそれほど幸せにならない。そういう映画を観ると、自分にも自分の味方にも傷があって、全員どうかしている、と二村氏は思うのだそうだ。
作家で政治活動家の小田実は、生前、「人間みんなぼちぼちや」とよく言っていた。「ぼちぼち」は大阪弁で、要するに「人間皆、たいして変わりない、似たようなものだ」という意味。善と悪を、弱さと強さを、皆がそれぞれ持ち併せている。そして、すべてにおいて完璧な人など存在しない。燃え殻氏も二村氏もそのことを熟知しているのだろう。読んでいて、ここまでたくさん首肯した本は珍しい。自分の主張を代弁してくれた、と思ってしまうのは筆者だけではあるまい。
文=土佐有明