自閉症は個性のひとつ。ダイバーシティが当たり前となった今、「普通」ということの意味を問いかける
公開日:2023/1/25
なにごとも「普通」がいい――日々を無難に過ごすために、自然にこうした思考を持つことはないだろうか。ここでいう「普通」ってなんなのだろう? 何に対して「普通」なんだろう?「普通」じゃないことってなんなのだろう? こんなこと、あまり深く考えたことがないかもしれないが、私たちは知らず知らずのうちに「自分は大半の人たちと同じ」で、それが「当たり前=普通」だと考えがちだ。でも、この世には一人として自分と同じ人間はいないわけで、勝手に自分が「普通」に属すると思い込んでいいのだろうか?
自閉症であるアメリカ人のジョリー・フレミングが自分の頭の中を語る『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(ジョリー・フレミング、リリック・ウィニック:著、上杉隼人:訳/文藝春秋)は、さらにそんな「普通」への意識を揺るがせる貴重な一冊だ。ジョリーにとっては自分とは違う「定型発達者」が「普通」の人であり(定型発達者がマジョリティなので「普通」の基準になるのだ)、小さい頃からうまく話せなかったり、相手の気持ちがわからなかったりしたジョリーは普通の小学校に入れなかった(母を先生にホームスクールで学んだ)。だけど最終的にはサウスカロライナ大学を出て、イギリスのオックスフォード大学院に進み、修士号を取って研究者になるという普通の人の中でも高学歴といえるキャリアを築いている。
本書はそんなジョリーが、聞き手であるリリック・ウィニックの質問にひとつひとつ丁寧に答えながら、世界と人間をどう見て、どう考えて、どうつきあっているかを正直に教えてくれる。確かにジョリーの頭の中は「普通」とされる人たちとはちょっと違う。たとえば普通の人は「あれは木だ」「あれは本だ」のように対象物と言葉を結びつけるが、ジョリーは目にした情報を解釈して、木や本に関する過去の記憶を引き出して認識するので言葉を使わない。あるいは普通は単純な作業は大変ではないと思われがちだが、ジョリーにとっては逆で高度な能力が求められる仕事のほうが楽だったりする……教えてくれる思考はどれもユニークではあるが、「その考え方は違う!」などと判断する筋の話ではない。読みながら自然に「なるほどそういう考え方もあるのか」と、人が持つ思考方法のバリエーションのひとつ、個性のひとつだとわかるはずだ。
なんとか自分なりの方法をみつけて社会と折り合いをつけてきたジョリーだが、現在も普通と同じ思考法をマスターしたというわけではなく、わからないことはわからないし、精神エネルギーを使い果たしてしまうこともあるという。それでも「どのように生きるか? それについては僕の知性がどう判断するかによって決めています。僕を表現するには徹底的に楽観主義を取るのがいいと思います」と前向き。その姿には救われるし、こちらまで前向きになる気がする。
もしかすると本書を読んで、「なるほど自閉症の人はこう考えるのか」とジョリーを自閉症の典型例と捉えてしまう人もいるかもしれない。だが「自閉症は深いレベルで一人ひとり大きく異なる」とジョリーが言うように、安易に類型化するのは無意識の「普通」認識と同じだろう。人は一人ひとり違う。それを当たり前に受け止めることが本当のダイバーシティだと、あらためて教えてくれる一冊だ。
文=荒井理恵