17歳で家出。シングルのまま「私」を産んだ母親に焼かれた肌を刺青で隠し……母親に迫る死の気配を感じながら、消えた2人の友人を思う――鈴木涼美『ギフテッド』を読んで
公開日:2023/1/15
生まれつき優れた才能を授かった人のことを“ギフテッド”と呼ぶ。だが、第167回芥川賞候補にノミネート(※)された社会学者・鈴木涼美さんの初小説『ギフテッド』(文藝春秋)は決して、才気あふれる人たちを描いた物語ではない。17歳で母を捨てて家を出て、ホステスとして働く「私」と、彼女が引きとった余命いくばくもない母親の関係を淡々と静かに描き出す。
(※第二作『グレイスレス』は、第168回芥川賞候補に。発表は2023年1月19日)
結婚せずに子どもを産んだ母親は、かつて娘である「私」に今なお跡の残る火傷を負わせた。おそらく事故ではなかったのだろうことは、物語の冒頭で察せられる。「私」が17歳で家を出たのも、それが理由なのだろうということも。母に焼かれた肌を刺青でコーティングし、どうにか“平気”になろうと生きてきた「私」を、母親は頼り、ときどき甘えるようなそぶりも見せる。対して「私」が一貫して淡々としているのは、蓋を開ければ激流のように噴き出す感情の渦に飲み込まれてしまうからかもしれないし、母親を激しく憎むことも愛することもできない自分をもてあましているから、のようにも感じられる。
何冊か詩集は出したものの売れなかった、元劇団女優である母は、かつて小さなステージのある店で歌い、生活費を稼いでいた。そのときの客だった、という男が病院を訪ねてきて、「私」は、母がいかに女性として魅力的だったか、同時に、性的に扱われることをいかに拒絶していたか、と聞かされる。〈高飛車ですね〉と「私」は言う。〈高飛車とは思わなかったけどプライドが高そうだとは思ってましたよ〉と男は笑う。
そして男は、当時の恋人であった「私」の父親とは結婚せず、ひとりで子どもを育てることになった母親が、どのように身を張って誇りを守ろうとし続けたのかを語る。そんな母親の姿には、どこか、ひとりで生きてきた「私」の姿にも重なってみえる。だがそれを、母娘だからとか、同じ女だからと、くくられることを「私」もまた拒絶するだろう。母親を完全に否定することも肯定することもできない、そのままならなさが母と娘の関係を複雑にするのだと、読みながら思う。
母親に迫る死の気配を感じながら「私」は消えた2人の友人のことを思う。ひとりは、唐突にぱったりと消息を絶ち、今どこでどうしているのかもわからない人。もうひとりは、死にたいが口癖で本当に死んでしまった人。それまでの喧騒が嘘のように、人は唐突に、そっと、消える。残された心のざわめきを落ち着かせるように、消えた人の足跡をたどっても、わかることは一つもない。でも生きているときは、わかろうと思ったって、できることは限られているのだ。だから、わかりたいなら、そばにいるしかない。「私」が母親に死が訪れるまで、そばで見つめ続けたように。
商品として値段をつけられる女の体。消えた友人たちが「私」の心に残したもの。母親が「私」に残した火傷の跡。記憶。思い出。「私」がこの世に存在していること。そのすべてが、自分の意思や欲望の介在しない、誰かから与えられた“ギフテッド”だ。それは決して、優れたものばかりではない。だが何一つかけても「私」は「私」たりえない。
静かに言葉を積み重ねて「私」を描き出す本作。行間の隙間からは、「私」の抑えこんだ感情がぽろぽろとこぼれ落ちてくるような気がする。それを受け取った私たち読者の心に生まれる感情は、どんなかたちをしているのか。本を閉じたあとも考えずにはいられない。
文=立花もも