希代のコラムニストが提唱した、定年/諦念してからの第二の人生。選挙への出馬もそのひとつ?
更新日:2023/1/19
『諦念後 男の老後の大問題』(亜紀書房)は、2022年に65歳で逝去したコラムニスト・小田嶋隆の連載をまとめた著作。還暦を過ぎた男性の身の処し方や暇のつぶし方を、軽妙な筆致で綴った一冊である。冒頭、本書はコラムというよりルポルタージュに近い、と著者は述べる。自らが老いさらばえていく過程をそのまま開陳し、包み隠さず明かしていく――。それが本書のユニークな点だ。従って、病気で入院して検査を受けたり、身体が衰弱して連載を休んだりする自身の体調のことも、赤裸々に記されている。
書名にもある「諦念者」は、「定年」と「諦念」をかけた著者の造語。イメージとしては、仕事などの第一線から退いた年長者といったところだ。著者は時間の空いた彼らに、マイペースに趣味や娯楽を楽しむことを提唱する。というか、著者自身が被験者のように実際に色々なことに手を出してみるのだ。そば打ちに挑戦する、ジムに通って身体を鍛える、断捨離に挑んでみる、暇つぶしに麻雀を打ってみる、植物の魅力に開眼する、ギターを買って弾いてみる、等々。
実際に定年を過ぎた読者にとっては、実利的で参考になる本だと思う。著者の実践はトライ&エラーの連続だが、失敗しても何もしないよりは有意義なはず。いわば本書は、仕事を中心に生活を設計してきた人間が、仕事とは別に日々の暮らしを再設計する、その模索と格闘の記録である。
例えば、同世代の諦念者にSNSへの参入を勧めるくだり。老後はただでさえ言葉を発する機会が減るのだから、緩やかなつながりを持っておくことが大事、と読者に諭す。諦念者は、有用な人間との有意義な時間がどれほど疲弊するか、長い社会生活(あるいは、会社生活)で実感しているはずだからだ。著者の表現を借りると「インターネット上に存在するデジタルな交換日記兼サークルノート」であるSNSが、無駄話の足場になるはずだと指摘する。
第二の人生の過ごし方が並ぶ本書にあって、最も意想外だったのが、「政治家になる」というパート。あまりの唐突さに驚いたが、よく読むと、あながちあり得ない選択肢ではない。著者が暮らす北区の区議会議員では、50人が立候補して40人が当選しているのだ。
地元にコネや人脈があれば当選率は高くなるが、そうでなくてもよほど的外れな政策を打ち出さない限り、票数を集めることはさほど難しくない。そう著者は言う。懸念されるのはただひとつ。選挙である。元来シャイなタイプだったり、対人折衝が苦手だったりすると、過度な活発さや快活さが求められる選挙には耐えられないはずだ。
ちなみに、そうした日本型選挙の典型例は、想田和弘監督のドキュメンタリー映画『選挙』を見るとよく分かるし、著者の記述ともダブる。同作の舞台は2005年に行われた川崎市議会議員の補欠選挙。選挙では、自分の名前を連呼してペコペコ挨拶していればOK。東大を出ていれば当選率はぐっとあがる。政策? 公約? そんなものは後回しだ、という感覚が日本の選挙システムの根柢にはあり、その滑稽さを執拗に描いた映画である。
話が逸れたが、意図的に取材を行ったり文献をあたったりしない、というスタンスでコラムを書いてきた小田嶋氏が、最後の最後にルポルタージュ的な著作を上梓したのは瞠目に値する。更に言うと、死の直前には、氏にとって初となる小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス)も刊行されている。亡くなる寸前まで手つかずだった分野を開拓していった、その著者の意気や意欲にあらためて敬意を表したい。
文=土佐有明