4枚の訃報記事のミステリを祖父に問うと、はっきりと目を開け「今、"絵"が見えたよ」と語り出して…/名探偵のままでいて⑦

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/5

「あはは。今そこで――モンシェリのテーブル席で、本の元所有者は憧れの瀬戸川猛資氏と話し込んでいるよ。今夜はとことんミステリ談義に付き合わせるつもりらしい」

 また幻視だ。

 だが――このいっぷう変わった幻視は、いったいなんなのだ。

 楓は息を飲んだ。

 

「なにもかもが昔と一緒だ。珈琲の香りが沁みた杉の木造りの壁に、また新たな謎の息吹が沁み込もうとしている。カウンター席では暇を持て余した店主が学生相手に本気で将棋を指している。おや、とつぜんバイトくんが慌てて立ち上がったぞ。どういうことだろう」

 

 一瞬だけ真顔になった祖父は、すぐにまた相好を崩した。

 

「やぁ、これは慌てるのも無理はない。こんどはクイーンとクリスティのお出ましだ。おやおやいつの間にか、カーも談義に加わっているじゃないか。本格ミステリ御三家が揃い踏みのお茶会だ。いや、クイーンは合作作家だから四天王と呼ぶべきかな。クリスティが厨房を借りてデヴォン州伝統、ご自慢の紅茶を淹れ始めたぞ。瀬戸川先輩たちも大喜びだ。カーはカーで、われ関せずとばかりに真顔でお茶のポットを穴があくほど見詰めている――なにやら新しい毒殺トリックを思いついたに違いない。いやはや、みんな実に楽しそうだ」

 

(なんなの)

(これはなんなの、おじいちゃん)

 物語の幸福な結末を希求する、祖父の無意識下の優しさのなせるわざなのだろうか。

 楓の目に、また涙があふれ出た。

 だが今度は、かすかな笑みを伴うような温かい涙だった。

(おじいちゃんが今見てる光景は、間違いなく〝事実〟だわ)

 まるで根拠はないのに、そんな気がした。

 

 そのとき――

 煙草が水をたたえた灰皿に落ち、じゅっと音を立てた。

 窓の隙間から、優しい秋の風が吹き込んでくる。

 取り込みはぐれたTシャツが、風に揺れた。

 

 祖父はTシャツに向かって何度も頭を下げた。

「どうもどうも、今度は敬老会の皆さんですか。大勢でわざわざおいでくださって」

 

 ゴロワーズの火が、かき消えるのと同時に――

 祖父はまた、恍惚の人に戻っていた。

<続きは本書でお楽しみください>

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