旅先で出会った人々との思い出を、低速で丁寧に切り取った『スローシャッター』
公開日:2023/1/31
新型コロナウイルスがパンデミックと表明された2020年3月以降、「旅」への扉は容赦なく閉ざされた。そんな最中、WEBプラットフォーム「note」で、旅の思い出を綴りはじめた人がいる。2022年12月に刊行された『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)の著者、田所敦嗣氏である。
水産会社に勤務する著者が、出張を通して訪れた各国で出会った人々との交流を描いた紀行エッセイは、note連載当初から大きな話題を呼んでいた。旅先の景色や海外の文化、社会情勢にも触れているが、何よりも出会った「人」にフォーカスして書かれた本書は、旅の本質を改めて問いかけてくる。
トレーラーハウスで世界地図を片手に旅をした、アラスカにある集落チグニックに住むアプー。小さくも美しい村で、己のなすべきことを淡々と続けるマウリシオ。QC(クオリティーコントロール)の職務における重責を担いながらも、強さと優しさを手放さなかったフェイ。テキサスの片田舎に住む、口は悪いが強い信念を持つフレック。全20章からなる本書には、印象深い人物が数多く登場する。
旅先で出会った人とのエピソードを通して、著者が抱いた心情が丁寧に綴られている点も、本書の魅力といえよう。学生時代の著者がテキサスに住んでいた頃、近隣に住むフレックと、車のパーツショップへ出かけた。その際、アルバイトの店員から思いがけぬ人種差別発言を受け、著者は固まってしまう。その際、怒りを露わにして守ってくれたフレックと店主の行動を受けて、著者が感じた想いが以下の一節である。
“上手く言えないけど、世界の平和は、星の数ほどある小さな町にいる、信念を曲げない人達の集合体で成り立っているのかもしれない。”
世界に目を向ければ、ありとあらゆるところに社会問題が転がっている。その問題の大きさに圧倒され、「自分ひとりぐらい」と信念を曲げてしまう人も、決して少なくないだろう。しかし、そうではない人もいる。世界に数多ある悲しみを知っているからこそ、半径5メートルの範囲だけでも理不尽や差別を無くそうと、信念を曲げずに生きている人達がいる。
著者は、仕事を通して旅先の人達と出会っているため、“楽しい”だけでは済まない場面も数多くあったことが、本書からはうかがえる。だが、出会った人物と、著者本人の双方が、強い責任感と深い思いやりを持って互いに接し続けたからこそ、温かな交流が育まれたのだろう。それを如実に表しているのが、この一節である。
“人と人は、仕事を通じて交差する。だが、すれ違うのではない。「責任」を負うことで、人間は本当の意味でつながっていく。”
出会い、つながり、育まれた絆が、長い時間をかけて一冊の本になった。ゆっくりと丁寧に切り取られた思い出は、味わい深く、長く心にとどまる。
2023年、旅への扉は再び開かれつつある。コロナ禍を経て、多くの人が旅や人との出会いを求めている今、本書が世に出たことには、きっと意味がある。
“読めば、旅に出たくなる。人に、会いたくなる。”
帯文にある言葉通り、本書は、旅につながる扉への入り口だ。ひとりでも多くの人が、この扉を開くことを、私は日本の片隅でひっそりと願っている。
文=碧月はる