期待の新人漫画家が描く、寒く切ない気持ちがあふれる短編集
公開日:2023/1/31
「同棲していた恋人が自分に愛想を尽かして家を出て行ってしまった。するとストーブが突然話しかけてきて、恋人が行きたがっていた海へ行こうと誘われ、一緒に出かけてきた」
もしあなたが友人からこう言われたら、「あまりのショックに妄想と現実の区別がつかなくなったのか?」と心配になるに違いない。ところがそんな荒唐無稽とも思えるストーリーが、読む人の心にじんわりと沁みるマンガとして『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』に収められている。描いたのは新人漫画家、大白小蟹(おおしろ・こがに)だ。
無機物と人間の心が通い合うのか否かは古今東西の物語で試みられてきたが、その系譜に加えられた新たな作品が、短編集の冒頭に収録されている表題作「うみべのストーブ」だ。主人公スミオ、そして同棲するえっちゃんに関するエピソードや口にされる言葉は少ない。しかしある日始まった2人の生活が確かにその部屋にあったこと、そして登場人物たちのキャラクターと感情の揺れ動きもきちんと伝わってくる。少ない線で構成された直線的な絵とコマは物語が進むにつれ冷えた空気で満ち、読む者に寒さと切なさが。
物語のテーマは「寒さと切なさ」にある。口数が少なく自分の気持ちを伝えることが不得手で、体温が低く寒がりなスミオ、体温は高めだけれど、気持ちをこまめに伝えてくれないスミオに対して寒々しく切ない気持ちが降り積もるえっちゃん。いてくれるだけで満足だったスミオの気持ちは、ある日唐突にえっちゃんから切り離され、身を切るような冬の寒さと切なさに放り込まれてしまう。そこへえっちゃんが来る前からずっとスミオを見守り、暖めてきたストーブがストーリーへと絡んでくる。そこには有機物と無機物の隔たりはなく、寒さと切なさを暖め合う関係が改めて構築されていくのだ。
その他に収録されているのは、トラックドライバーの女性と雪女との交流を描く「雪子の夏」、事故で身体が透明になってしまった夫に困惑する妻の心情を綴る「きみが透明になる前に」、妊娠に戸惑う女性が大雪の日に偶然出会った女性と心を通い合わせる「雪を抱く」、夢を忘れて日常に流され、毎日海の底にいるような気持ちの女性が主人公の「海の底から」、友人が突然亡くなったことがきっかけの出会いが静かに描写される「雪の街」、今の自分に足りないことがな何なのかに気づく「たいせつなしごと」の全7作品だ。これらの物語にも「寒さと切なさ」が通底している。
体感的な寒さは火や暖房などで身体や部屋を暖めたり、熱い湯に浸かることで解消するが、凍りついてしまった心の寒さは自ら、もしくは誰かに火を熾してもらい、ゆっくり溶かしていくしかない。そして切なさは自分ひとりではどうにもならないからこそ込み上げてくる感情だ。側に誰かがいて、言葉をかけてくれたり、抱きしめてもらったりすることでしか解消できない。物語は、その寒さと切なさからの恢復までが描かれる。シンプルな線で描かれる物語たちは、日々自分を誤魔化してすっかり冷え切ってしまった心を静かに、芯まで暖めてくれる。寒さと切なさを乗り越えて手に入れた暖かさは、次に出会う大切な誰かのためのものなのだ。
表紙と裏表紙はすべての物語を読み終えるとつながる仕掛けになっている。次回作にもぜひ期待したい。
文=成田全(ナリタタモツ)