戦地のドイツ兵が送った手紙。そこから読み解く人間心理とは
公開日:2023/2/5
徴兵された兵士は、主体的に、つまりどこまで自分の意志を働かせていられるのだろうか? この疑問の答えを明確に出すことは難しいが、過去の戦争から推察することはできるかもしれない。
『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」』(小野寺拓也/山川出版社)は、第二次世界大戦期の、職業軍人ではないドイツ兵が書いた家族などへ綴った手紙5477通から彼らの心を探った労作。1944年から1945年の東部戦線の兵士たちの手紙にスポットを当てたものとなっている。ちなみにこの東部戦線とは、ドイツとソ連が対峙し、前線がソ連からドイツに向かって後退、二国に挟まれた東欧諸国が踏み荒らされていた戦場のことだ。
まず前提として、本書で取り上げる対象となった手紙について。ある程度の高等教育を受けた兵士が自分の心の内側を表現できている、いわゆる文章力のある手紙を選んでいるため、どうしても偏りがあるということをご留意いただきたい。
本書ははじめに、徴兵されたばかりの兵士の心情が書かれた手紙を読み解いている。徴兵されたからといってすぐに戦場に投入されるわけではなく、兵士としての集団生活と規律が叩き込まれる。手紙の文面に表れるのは、家族に囲まれ良き市民として生活していた者が、どのように兵士になっていくのか、その心の葛藤だ。
具体的には、プライベートのない兵舎生活への不満や、ものにした女の数とかつての蛮行自慢しか話さない周囲の者たちへの軽蔑、組織に馴染めない孤独感など。加えて、上官の暴力が集団を支配しており、ここで生きていくためには自己を殺さざるを得ず、頭を使って何かを考えることが億劫になってきている、といった内容も見られる。
実際に戦場に身を置くようになると、手紙には戦闘の非人間性に大変なショックを受けている様が書かれる。死と隣り合わせの恐怖と、人を殺すその時がこないように祈る気持ちだ。
そして敗戦の色が濃くなった頃の手紙には、敗けたら自分や家族がひどい目に遭うのではないか、早く故郷に帰りたい、といった情緒不安定なものが多くなる。一方で、殺戮・略奪といったかつての自分なら目を背けていた行為に対して、それを実行することに躊躇がなくなっている内面の変化もわかる。戦果自慢や、前線が最も尊敬される場所なので怖いが自分も志願した、といった手紙からだ。
また、ドイツ国民は文化的で清潔であり、近隣国民よりも優れているといったイデオロギーに関わる記述が増えてくる。この自国の優越意識は、徴兵前から市民の間に共有されていた意識なのだが、ここにきて記述が増えることには驚かされた。
こうした手紙に表れた内容を簡単に総括することはできないが、心の変化という面を見ていくと、兵士の環境が厳しくなるにつれ、自分の行動に対して責任や主体性といったものはほとんど感じられなくなってくる。この状況に身を置くことは選択の余地がなく、コントロールできるものではないという、諦めの気持ちと主体性の放棄……。
実際にそうせざるを得なかったのは確かで、このような心の変化は当時のドイツ兵に限ったことではなく、戦場にいる兵士ならば誰でも経験することで、私たちもその立場になったらと考えると恐ろしい。
そして著者は本書をもとにした研究報告を行っている。その時に指摘された言葉のひとつが「この構造って現代のサラリーマンでも同じですよね?」だったそうだ。確かに学校や会社での経験を思い返すと、兵士たちの心の変化は特別なものとはいえないと感じる。とはいえ、やはり戦争は決して許されるものではない。本書を読んであらためてそのことを考えるきっかけにしてほしい。
文=奥みんす