西尾維新デビュー20周年記念ロング・ロングインタビュー 20タイトルをキーに語る、西尾ワールドの変遷(第1回)
更新日:2023/2/17
2002年2月、『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社)で鮮烈なデビューを飾った西尾維新。以来、驚異の執筆スピードでさまざまなジャンルの小説を発表し、多くの世界を創り出してきた作家は、昨年20周年を迎えた。それを祝して、【西尾維新NEXT20】なる企画が現在進行中だ。このロング・ロングインタビューは、その一つでもある「戯言シリーズ」新作の『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』(講談社)の発売直前に敢行。セレクトした20タイトルを手掛かりに20年の道程を振り返り、西尾自身に当時のエピソードを訊いた。初出しも満載の貴重な本インタビューは全5回。第1回は、作家誕生以前の話からスタート!
(取材・文=吉田大助)
ロングインタビュー 第1回
⓪デビュー前
――なぜ、メフィスト賞だったのか?
──西尾さんには作家生活20年を総括する「キー作品」、20作を事前に選んでいただきました。セレクトや並び順が非常に興味深かったのですが、20作のリストはすんなり決まりましたか?
西尾維新さん(以下、西尾) 基本的には編集者さんにセレクトしていただいて、それを受けて僕から「これは入れたいです」と2、3項目入れ替えました。20年の節目となった時期に選んだという意味では、この並びになるんじゃないかなというふうに思っています。
──20作リストの1作目はもちろん、『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』。2002年2月に講談社ノベルスで刊行(のち文庫化)された、第23回メフィスト賞受賞のデビュー作です。内容について詳しくお話を伺う前に……今やメフィスト賞といえばエンターテインメント作家の登竜門の一つとして認識されていますが、当時はだいぶ雰囲気が違いましたよね。メフィスト賞を投稿先に選んだ理由とは?
西尾 20年前のメフィスト賞は、僕に限らずたぶん全応募者が「自分のために設立された賞だ」と思っていた気がします。広く作品を募集している賞というよりも、「私からの一作を待ってるんだろう」と思っていました、勝手に(笑)。今ではそういう賞も少なくありませんが、編集部が全応募作を読んで、賞の母体となる雑誌『メフィスト』の巻末で必ず何かしらのコメントをくれる。自分の原稿がちゃんと届いたのか、誰かに読んでもらえているのか手探りの中で、応募しているという手ごたえがある、当時としては非常に画期的で独自性の強い賞だったんです。
──編集部からのコメントが励みになった?
西尾 励みどころか(苦笑)。あの頃のメフィスト賞は……「あの頃は」ですよ? コメントが結構辛辣だったんです。20年前の、血で血を洗う文芸界の話ですからね。今は改革も進んでどうにか「一緒に文芸界を盛り上げていきましょう。書こうと思った瞬間皆さん作家です」という世の中まで持ってこられましたけど、当時は応募数自体が少なかったので受賞確率は今より高かったはずなんですが、作家になるための関門としてはむしろ厳しかったかもしれないですね。
──ミステリーの多様性を広げる個性的な作家が大勢誕生しています。
西尾 この賞のもう一つの特徴は、受賞しても賞金が出ないことでした。その代わり、受賞作は確実に本になる。しかも、講談社ノベルスで出せることは大きな魅力でした。大前提として僕はミステリーが好きで、中でも講談社ノベルスのミステリーが大好きでした。偏愛しているレーベルから本を出せるという点は、非常に魅力的でした。これも今では少しわかりづらくなっているかなと思うんですが、いわゆるノベルス(新書)の形式がミステリーの中心にあった時代がかつてあったんです。なおかつ、先ほどメフィスト賞の受賞作はミステリーの多様性を広げた……と言っていただきましたが、メフィスト賞以前から講談社ノベルスの作品はそうだったんですよ。僕もその多様性の一員になりたい、という思いで書いたのが『クビキリサイクル』なんです。
①『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』
――週一投稿をたしなめられ、2カ月かけて書いたデビュー作
──天才たちが集まる絶海の孤島で、密室首斬り殺人事件が起こる。19歳の大学生いーちゃん(「ぼく」)が、自分をここへ連れてきた天才の友人・玖渚友とともに事件解決に乗り出すと、さらなる事件が起こり……。物語としては王道とも言える、堂々たるミステリーですよね。ただ、天才たちが集うクローズド・サークル、という設定がいま振り返ってみても斬新です。この着想を得たきっかけは?
西尾 これはいつか克服したい僕の弱点なんですが、脇役、あるいはバイプレイヤーを書くのが非常に苦手だったんです。非常に苦手かつ、なんなら書いていて苦痛ですらあった。話を進めるためだけに配置されるキャラクターって、ミステリーでよく出てくるじゃないですか。「お隣さんは昨日の夜、帰ってこなかったよ」と証言するアパートの隣人、みたいな。書かないわけにいかないと試行錯誤していたんですが、書けないものは書かなくていいんじゃないだろうかと方針を転換し、全キャラクターを主人公級にしたんです。全員スピンオフが書けるぐらいの人物だけで構成し、孤島という隔絶された空間で密室殺人を、という発想だったんです。
──それまで応募した他の作品ではなく、本作でデビューしたことに必然や運命を感じる部分はありますか?
西尾 メフィスト賞には週一で原稿を送っていた時期もあるので、応募総数は自分でも把握できません(苦笑)。ある時選評で、その投稿態度をたしなめられたんです。一作にもっと時間をかけて取り組むべきと言われ、まだ素直な10代だったのでその言葉を受け止めて、そこから2カ月かけて書いたのが『クビキリサイクル』でした。実は18年ぶりに「戯言シリーズ」の最新作(2月8日刊『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』)を出すことになり、「戯言シリーズ」の全作を読み返す機会があったんですが、『クビキリサイクル』の重厚さは別格でした(笑)。さすが2カ月かけて書いているだけのことはある。時間をかけて書くのって大事です。
──時間をかけて書いたことで、どんな変化が起きたのでしょうか。
西尾 事件が起きるまでの、前段階の描写を丁寧にする試みを『クビキリサイクル』から始めましたね。だから、『クビキリサイクル』はなかなか事件が起きない。正直、僕が読者として推理小説などを読んできた歴史を振り返ると、事件は一刻も早く起きてほしいと思う派だったんです。ただ、自分で書いてみると、前段階を書いている時が楽しい。その傾向は今も続いていて、お話の3分の2までは前日譚でいいんじゃないかなと思っています。3幕あるとすれば、2幕までは前日譚。後日譚は次回作。事件が起きるまでをメインに書いてるみたいなところはどうしてもありますね、今でも。
──長い前日譚の中で、登場人物たちの性格を把握したり彼らに感情移入したり、特殊な世界設定の理解が進んでいく。だからこそ、事件が起きた時に大きく感情が動く。西尾作品がミステリーに持ち込んだ「キャラの強さ」は、前日譚の長さが影響しているんですね。
西尾 今はもうあまり言わなくなったんでしょうか、「ミステリーは人間を書けていない」という指摘が昔はありました。ただし言わせてもらえるなら、ミステリーは人間が書けていないのではなく、人間を書かない美しさがあったんです。なのに、僕はミステリーには本来不要とされるかもしれないもの、キャラクター性や人間性を物語に持ち込んで肉づけしていきたいと思ってしまったのでしょう。ストーリー上の必然として、誰かが殺されます。その場合、「被害者」という記号として殺されていくお約束がありました。最初の頃、「戯言シリーズ」は主要キャラクターが死んでいく、殺されていくという部分で注目されることもあったんですが……。
──感情移入させたところで殺す、「キャラ殺し」の異名がありました。
西尾 僕としては、キャラクターが殺された時に、まともな推理ができなくなるくらい、特別な感情を持てるようにしたいとは思っていました。そのためには、前提部分をどれだけ書き込めるかが大事になってくる。キャラクターを立てたり、育てたりする工程が必要になってくるんです。それはミステリーには本来必要のない部分であり、肉づけというならば筋肉ではなくぜい肉だったと思うんです。筋ではない、ぜいたくな部分。そこがなくても、ミステリーとして美しく成立しますから。でも、これは繰り返しになりますが、結局そういう部分を書いていくのが楽しかった。言い訳するならば、こういう世界観でこういう人たちの中で話を書こうとしているよという、僕自身への設定の刷り込みでもあります。その反面、指摘を受ける点で言えば、「終わりがジェットコースターすぎないか?」と(笑)。真摯に向き合って、最近はちゃんとエピローグを膨らませるようにしています。
②『零崎双識の人間試験』
――ミステリーのロジックでバトルを描いた、「戯言シリーズ」のスピンオフ。
──デビュー作を皮切りに、いーちゃん&玖渚友のコンビは「戯言シリーズ」として書き継がれていきます。当時のことはよく覚えているんですが、実は2作目の『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』のインパクトが激烈だったんですよね。2作目から1作目の存在に気付き、シリーズにハマったという読者が続出しました。
西尾 さっき話した通り、『クビキリサイクル』は腰を据えて、2カ月かけて書いたんですよ。その甲斐あってデビューにつながりました。にもかかわらず『クビシメロマンチスト』は確か3日くらいで書いたんです。反省してないじゃないか(笑)。ところが、『クビシメロマンチスト』の反響は大きかった。そのおかしな成功体験が、今に至る「最速で書いてしまうほうがいいんじゃないか?」という考えに繋がってしまいました。よくないですよ(笑)。
──『クビシメロマンチスト』で初登場した連続殺人鬼の零崎人識は、殺人鬼集団「零崎一賊」の一員だった。20作リストの2作目『零崎双識の人間試験』は、零崎一賊の長兄・零崎双識をタイトルロールに据えた、「戯言シリーズ」のスピンオフ作品です。
西尾 何か新しい挑戦をしよう、という流れの中での企画だった気がします。いろいろな意味で、早すぎるスピンオフですね。デビュー年の年末に連載が始まっていますし、しかも、ウェブ連載だったんです。書き下ろしではない連載形式で、1話ごとに楽しんでもらうことを心がけて書くのは初めてで面白かったです。
──零崎双識の前に、次々と敵が現れる。異能バトルとミステリーの融合を、たっぷり堪能できる一作になっています。
西尾 出発点としては、『クビシメロマンチスト』で出てきた零崎的な要素、言うならバトル要素を「戯言シリーズ」から分離しておこうと思ったんです。「戯言シリーズ」では書けないことを、こちらでやりたかった。結局、バトル要素はその後「戯言シリーズ」に合流していくんですが、一応そういう思惑がありましたね。ただ、講談社ノベルスのミステリーばかりを読んできたので、何を書いても最終的にはミステリーになる。『零崎双識の人間試験』にしても、ミステリーのロジックでバトルが描かれているかなと思います。
──今回久しぶりに読み返してみて、こんなにも感動する作品だったんだ、と驚きました。「戯言シリーズ」にもそういう側面はありましたが、家族愛の話ですよね。しかも、血の繋がらない家族の話です。
西尾 家族の描き方が、この頃と今とでは違うなと思いますね。『零崎双識の人間試験』やその後の「人間シリーズ」、あるいは「戯言シリーズ」でも、家族を表現する時は兄弟姉妹など、横の関係が多いと感じます。若干、親の姿が見えづらいところがあった。でも、最近は縦の関係、親子を書くことが多いんです。これは単純に、年齢を経ての変化だと思います。親から見た子どもという視点が、若い頃はやっぱりまだよくわかっていなかった。年齢を重ねたことで、書いてこられなかったものがようやく書けるようになった。どのあたりから変わったのかはわからないんですけれども、『ヴェールドマン仮説』(2019年)を書こうとした時に、家族についてはちょっと考えました。
──いーちゃんと玖渚友の子どもが登場する、『キドナプキディング』はまさに家族がモチーフになっていますね。同作は20作リストにも入っていますので、のちのち改めてお伺いしようと思います。
③『人類最強の初恋』
――「戯言シリーズ」の最強ヒロイン・哀川潤が活躍する西尾流SFミステリー。その背景にあったのは――。
──「戯言シリーズ」の零崎一賊は人類最悪でしたが、哀川潤は「人類最強」です。文字通りに最強であり、あっという間に事件を解決してしまう名探偵でもある。『人類最強の初恋』は、彼女が主人公のミステリー短編集です。名探偵が人類最強の立場にあるからこそ、謎のスケールや自由度が究極まで高まっている。昨今では「特殊設定ミステリー」と呼ばれたりしますが、西尾流SFミステリーの真骨頂だと思います。
西尾 SFミステリーと言うならですね、僕は西澤保彦先生を非常に推したいと思います。西澤先生が講談社ノベルスで「SF新本格」と呼ばれる作品を数多く刊行されていた頃の直撃世代だったんですよ僕は。例えば、死人がよみがえる世界であったり、体が入れ替わる中で起きる殺人事件といった推理小説を、西澤先生は次々に開拓されていた。「こんなミステリーがあるのか」と特に驚かされた作品は、ループものとミステリーを掛け合わせた『七回死んだ男』(1995年)です。あれは講談社ノベルスだからこそ生まれた作品だと僕は思っていますし、僕もいつかこういうミステリーが書きたいと思わされた作品でした。
──どの作品も西尾さんは楽しんで書いていると思うのですが、この作品は特に快楽がみなぎっているように感じるんですよ。哀川潤というキャラクターの存在も大きいんでしょうか?
西尾 哀川潤さんは第1作の『クビキリサイクル』から登場しているので、愛着もありますし、キャラクターの変遷が感じられますよね。『クビキリサイクル』の頃の哀川潤さんは、戯言遣いを始め、他の人たちをエンパワーメントし自分のところまで引き上げようという姿勢が見えるんです。非常に怒りっぽいし、もっとみんな頑張ってこっちに来いよと言っている。ただ、『人類最強の初恋』の哀川潤さんはだいぶ優しくなっていますよね。自分の強さに対する諦めがある(苦笑)。他人を理解した、と言ったほうがいいのかもしれません。人間は強ければ強いほどいいわけではなくて、強い者もいれば、弱い者もいる。強いも弱いも結局、個性でしかない。僕自身、そういう解釈ができるようになったからこそ、哀川潤さんの一人称視点がここで初めて書けたんだと思います。
──ここまで伺ってきた三作の中には「天才」たちが登場し、才能というテーマが色濃く刻み付けられています。ご自身が当時、興味があったということなのでしょうか。
西尾 全員が主役を張れるミステリーにするためには、全員が特殊な才能の持ち主で、天才であり、ギフテッドでなければならないと考えました。そこから、才能というテーマが自然と小説の中に出てきたんだと思います。ただ、20年間その姿勢でやってきたわけですが、このところ「世の中そんなに、変わり者ばかりじゃないですよ」というもっともな指摘を、内なる西尾くんがしてくるんです(笑)。キャラクターたちそれぞれの個性を重んじるようなことを言っているけれど、それは本当に個性に対する理解なのですか、と。無個性に対する無理解なんじゃないですか、と。確かに「戯言シリーズ」はギフテッドの生きづらさみたいなところを書いていますけれども、一方で、ギフテッドではない大多数への無理解があったとも言えるんです。もっと言うと、個性ある人物の個性のない部分だって大切にするべきなんじゃないかと。そういった内なる西尾くんの忠告を真に受けた結果、『怪盗フラヌールの巡回』(2022年)あたりから個性偏重主義を越えた新しいことをやろうとしました。20年間書き続けてきたものが「どんな個性でも生きていけるよ」というような話だとすると、最近目を向けているのは「個性なんてなくても生きていける」ということで……と、締めみたいな話になってしまいました。まだ20作リストの3作目でしたね!(笑)
(第2回に続く)
西尾維新
にしお・いしん●1981年生まれ。第23回メフィスト賞を受賞し、2002年『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』で作家デビュー。同作から始まる「戯言シリーズ」ほか「世界シリーズ」「〈物語〉シリーズ」「刀語シリーズ」「最強シリーズ」「忘却探偵シリーズ」「美少年シリーズ」など、著書多数。
▼西尾維新デビュー20周年特設サイト「西尾維新???」
https://book-sp.kodansha.co.jp/nisioisin240/