“言論って何?”と思ったら読んでほしい――刀を捨て、言論で政治を変えた男・板垣退助、その生き様とは? 門井慶喜さんインタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/8

門井慶喜さん

 歴史上の人物が等身大となり、活き活きとその生き様を見せてくれる、そして歴史という名の現代につながる無数の糸の在りかを示し、読者を唸らせ続ける門井慶喜さん。数多の歴史上の人物を描いてきた門井さんが、5年の歳月をかけ、渾身の力で著したのは日本民主主義の根幹をつくった板垣退助。没後百年に刊行され、大きな話題を呼んだ一作が待望の文庫化!幕末、維新、明治の黎明期と、混迷の時代を駆け抜けた板垣退助という男の魅力についてお話を伺った。

(取材・文=河村道子)

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これまであまり描かれてこなかった
坂本龍馬らの“敵役”、上級武士視点の幕末維新

――“板垣退助”を書きたいと思われたのはなぜだったのでしょうか。

門井慶喜さん(以下、門井)明治維新後、日本を牛耳っていたと言われているのは薩摩、長州、土佐、肥前の四藩ですが、そこでは士族の反乱が勃発しているんです。薩摩なんか最も新政府の中心にいたはずなのに、最後に一番大きな戦争、西南の役を起こしてしまった。けれど四藩のなかで唯一、土佐藩だけが不平士族による反乱を起こしていない。燻ってはいたものの、それが反乱にまで至らなかったのはなぜか?という疑問をずっと抱いていたんです。そしてそこには、幕末から明治にかけ、一貫して土佐藩の中心にいた板垣退助の存在があったからだろうと思い至ったんです。彼はどういう人だったのか? 何をして反乱を未然に防いだのか、という疑問から本作の執筆は始まりました。

――膨大な資料にあたられていったなか、退助の人物像はどのように形成されていったのでしょう。

門井 物語は退助の幼少期から始まりますが、資料を調べていた際も、少年時代にまでに遡り、そこに板垣退助の人格のコアになるものがあるのではないかと探していきました。これはどの小説でもそうなんですけれど、“三つ子の魂百まで”という言葉通り、シチュエーションが変わっても人間って案外変わらないものなので確実性が高いんです。

――幼少期の退助、当時は幼名「乾猪之助」を名乗っていますが、幼馴染「ヤス」(後の後藤象二郎)と連れ立っての「土佐一の悪童」っぷりが痛快です。その天邪鬼な気質も。

門井 まぁ、ただの不良ですよね(笑)。作中に著わした彼の天邪鬼な気質は、資料にはあっても非常に弱いニュアンスのもので、退助の言動をつぶさに追っていくなか、僕のなかに浮かびあがってきたものなんです。この長い、長い物語のなかで、その天邪鬼という気質は、退助の人間像に綾をつけ、単調になることなくストーリーを展開させていくものにもなりました。

――外では豪放磊落な退助ですが、家庭では大きな問題を抱えています。心を病んだ父の家族に対する横暴なふるまい。退助も幼少期から父の言動に悩み、苦しんでいます。

門井 そうした家庭に育ったためか、少年期から青年期にかけての退助は、父という存在を求めてさすらっている感じがしたんです。後に退助を抜擢する吉田東洋や、元土佐藩主・山内容堂にも父という存在を求めていた気がする。そういう意味で、退助の精神的自立は、当時の人としては遅かったかもしれません。けれど現代人の精神的自立年齢とは近いゆえ、逆に心を重ねやすいかなと思えました。

――一方で、母は退助を思い切り甘えさせてくれました。そんな母の記憶は、「自由とは欲」という、後に退助が発するキーワードにもつながっていきます。乳のみ子を抱いた女こじきに、姉の着物を与え、激怒する姉の横で、あなたは民々を安らからしめる神童である、と退助を褒めちぎった母の話は、自由民権運動の萌芽ともなっていきます。

門井 女こじきの話は実際にあったことなんです。人間の欲望というものをすべて肯定していい、というのがまさに人権論ですが、このエピソードからは、板垣退助の場合、それが理論ではなく、自分の体験として、身体感覚、肌感覚としてわかっていたところが大きいんだろうなという気がしました。自由民権運動の際、言論や知識で退助を超える人は当時、いくらでもいたわけです。けれどそうした人たちではなく、人々の尊敬を一身に集めたのは退助でした。それは、退助が心の底から、全身で、その運動の根幹にある理論を理解していたからだと思うんです。

――黒船が来航し、尊王攘夷の気運が高まる少年期から青年期にかけては「時勢」を口にする者が多くなっていきます。けれど退助は、「時勢というやつは、はえのようなもので、払っても払っても追ってくる」とそっぽを向いている。そんな退助を時勢に引き込んでいくのは、彼を藩の重要職に抜擢する吉田東洋。退助や後藤象二郎と同じ、馬廻り格の上士(上級武士)でありながら、「制度も役人も古漬けじゃ」と、土佐藩に新風を吹かせていく人物です。

門井 これがひとつの盲点になるわけですけれども、退助の家は、藩のなかで最上級の格の家なんですね。幕末土佐というと、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太らの名を思いつきますが、この人たちは皆、下級武士。歴史小説でもそうした下層階級の人物が立ち上がって、活躍する話が多いですよね。そして上士は倒されるべき存在、坂本龍馬らの邪魔をする存在であると従来、思われてきました。けれど下の層の人たちだけで、世の中すべてが動いていくことはありえない。彼らに知識を与え、世の中に対しても意識的な上の層の人がいて初めて下の層の人たちが活躍できる。そして彼らの活躍を見て、上の人たちが我が身を顧みるという相互作用のなかで物事というものは動いていくと思うんです。上士である退助の立場から書くことができた本作は、これまでの歴史小説のなかにはあまりなかったものだと自負しています。

江藤新平を見捨てた辛い決断に退助らしさが滲み出ている

――作中では様々なエピソードが重ねられていきますが、門井さんが最も退助らしいと思われた史実、それを前にご執筆されるなか、退助の人間像が最も腑に落ちたものとは?

門井 辛い話ですが、維新後、佐賀で士族の反乱を起こして敗走し、土佐まで助けを求めてきた江藤新平を、退助は見捨てるんですよね。それは非常に辛い決断で、けれど退助らしいぎりぎりの判断であったと思うんです。理性と感情があった場合、55:45で理性を取ったというか。その判断が、僕はすごく退助らしいと思いますし、歴史に対しては価値があるのではないかと。

――結果として江藤新平は元士族として、最もとも言える哀れな最期を迎えることになります。退助が彼を前に、その決断をする場面は心が締め付けられるようでした。

門井 人としてどうなんだ?と言われる方もいらっしゃるかもしれません。でも江藤新平を助けてしまえば、今度は土佐でも反乱が始まってしまうことは必定だった。辛い決断でしたが、僕は退助らしい良さが出た、純粋に感情でもなく、純粋に頭だけでもない、という人の良さが出た場面だと思いました。

――まるで映像を観ているような戊辰戦争の場面では、軍人としての退助の姿が描かれます。壮絶な戦いのあと、彼が言う「いくさとはつまらぬもの」「戦争は人命の無駄遣い」という言葉は、今“戦争”のニュースに日々触れる私たちにも何かを示唆してくれるようです。

門井 退助は最終的に戦争を否定することを選んだ人です。かといって、軍事的に無能かと言えば全く逆で、その才能に優れていた人でした。けれど最終的に戦争はムダだと悟るんですよね。でもそれは、戦争自体から目を背けるということではないんです。退助の言葉は、何も学ぼうとせず、戦場の実際を知ろうともせず、手で顔を覆って、「ムダだよ」と言うのは説得力がないということを示唆しているのではないかと思います。

言葉で世界を変える人は2種類いる
ひとつは政治家、ひとつは詩人

――その後、退助は言論で政治を、世を変えていく道を選んでいきます。門井さんご自身も、言葉で世の中を変えていこうとする、作家という“言葉で戦う人”でもあります。退助の信念とご自身の思いには重なるところがあったのではないでしょうか。

門井 言葉で世界を変える人は、基本的に2種類いると思うんです。ひとつは政治家、ひとつは詩人。政治家は世の中を変えようとして言葉を使いますが、詩人はそれを受け取る個人を変えるために、言葉を操る人だと思うんです。そういう意味で、小説家というのは、詩人と政治家の間にあるものだという基本認識がおそらく僕にはあると思います。政治に関心がある、ない、ということとは別次元の問題として、純粋に読者個人に対して訴えかけようという部分と、社会に対して訴えかけたいという部分が両方あり、その真ん中にあるのがいわゆる作家の書く、言論でも詩でもない「散文」というものだと思うんです。

――退助を中心に、自由民権運動をすすめていく人々の間で交わされる、激論の場面も心が躍りました。

門井 実際、退助および自由民権の党士たちは、ここで書かれた場面よりも、もっと政治寄りの話をしていたと思うんです。けれど当時の人の言っていることは四角四面と言いますか、わかりづらい。そこは多少、今の我々の感覚に引き寄せて書いています。討論の場面は、史実を忠実に再現するというより、「言葉とは何か」ということに焦点を当てて書きたいと思いました。

「板垣死すとも自由は死せず」というセリフが
ひとり歩きをしている

――そして「板垣死すとも自由は死せず」という名言が生まれた、退助暗殺未遂事件の場面ではきっと驚いてしまう読者の方が数多いるのではないでしょうか。その名言があまりにも強すぎるがゆえ、自分が歴史の思い込みをしてしまっていたことに。

門井 歴史の思い込みってありますよね(笑)。『銀河鉄道の父』を読んだ方のなかに、“宮沢賢治は貧乏な子だと思っていた”と言う方が多くいらっしゃるようにね(笑)。

――その事件を起こしたのが、政敵ではなく、「きまじめな暗殺者」だったことも驚きでした。

門井 一種の不平士族の変形みたいな人ですね。暗殺者にもいろいろあって、同情できない人もいますけど、彼については、やや同情に値すると言ったら変ですけど、そうしたことも書かなければ、一方的な退助=正義の話になってしまう。そしておっしゃるとおり、「板垣死すとも自由は死せず」というセリフはひとり歩きしていますよね。そのセリフだけを頼りに、読者が事件を追いかけていってしまうことにもなりかねないので、そこは注意して書きました。

――晩年のシーンでは老成していく退助の姿からも学ぶことが多いです。

門井 人は誰しも時代遅れになるときが必ず来る。長生きすれば、時代に取り残される日々が必ず来るわけで、退助も例外ではなかったわけですけれど、彼は世の中の邪魔をしなかった、無理をしなかった。無理をして若い世代に張り合おうともしなかったし、人のために何かをしようとも思わなかった。今の自分にできる範囲で何かやろうという姿勢は一貫していますね。その姿は非常に美しいなぁと思いました。その美しさをなんとか出したく、かといって、美しいばかりだと小説としては説得力がないので、広い意味での老衰、そして良い年の取り方を両方うまく出せたらと思って書いた欲がありました。

――この作品は、没後100年を経たひとりの人間を振り返ることで、“今”が見えてくる物語です。文庫化に際し、読者の皆さんへお伝えしたいこととは。

門井 我々、口では言論は大事だ、言論で解決しよう、と言うわけですけれども、言論なるものの中味を見ると、とても言論とは言えないものが残念ながらある。それは素人にも玄人にもあるし、政治家にも我々、小説家にもある。日本全体が今、そういう状況だと思うんです。「そもそも言論ってなんだっけ?」と疑問に思ったときは、黙ってこの本を読んでいただきたいと思います。