お笑い芸人から清掃業へ――カラテカ・入江慎也の失敗と後悔。そして今磨き上げている新たな人間力
公開日:2023/2/24
手段だったはずのことが、目的になってしまう。目標を設けたのはいいものの、その目的が曖昧だ。ビジネスにおいて、そういった事態は往々にして起こり得ます。そして人生においても、この「こんがらがり」は多くの人にとって悩みのタネです。
『信用』(入江慎也/新潮社)は、2019年にいわゆる「闇営業」(事務所をスキップした直接のクライアント営業、および、本人としては不本意ながらも反社会的勢力と接触していたこと)問題で吉本興業から契約を解除された元お笑いタレントの入江慎也氏が、2020年に清掃会社・株式会社ピカピカを立ち上げ、再起を果たすまでの経緯を自身で綴った一冊です。
テレビ番組『進ぬ!電波少年』で人気を博した相方の矢部太郎と、お笑いコンビ・カラテカとして芸能活動をしてきた著者のウリは「人脈力」でした。目下の人脈に対するアプローチを総称した「後輩力」をテーマに書籍も出版した著者は、目標を設ける大切さについて後輩たちに説いてきたといいます。
目標がなければ、ただ漫然と作業を繰り返すだけだ。そんなことは時間の無駄だと思っていた。
芸人の後輩たちにも「ただ生活のためにバイトするのはやめろよ。そういう時間があるなら、ネタをつくったり、先輩と遊んだりしたほうがよっぽど芸人として役に立つ。同じバイトをするなら、ネタを探すつもりでやれよ」と、よく言っていた。
「友達5000人芸人」として『笑っていいとも!』でコーナーを持ったり、「人脈力芸人」として企業や団体から研修・講演のオファーを続々と獲得したりと、はたから見るとこの上なく好調な人生。しかし背後では、手段と目的が静かにすり替わっていました。その摩擦音のようなものに著者自身も気付いていたことが書中で振り返られています。
目の前にいる人にどんどん興味がわいて、あれこれ質問して、いつの間にか仲良くなっている、昔の僕はいなくなっていた。
無理やり人と会って、無理やりテレビで話せる話、ネタになりそうな話を引き出そうとした。
自分で自分が嫌いになった。それでもまだ人に会い続けた。仕事を失うことが怖かったから。
「闇営業問題」の発覚が報じられ、お笑い芸人としての歩みを止めざるを得なくなった著者は、渋谷のボランティア掃除にふとした思いつきで参加してから、清掃の持つポテンシャルに気付き始めます。
ちゃんと掃除をすると、その場所の利用者が快適になるだけでなく、掃除した人の心をもキレイにしてくれること。そして、清掃業においては同業者同士で「競業」ではなく「協業」がしやすいことなどを、約1年のアルバイトやその後の起業を通して発見していきます。その発見の中には、目的・手段のバランスコントロールも引き続き含まれており、「お笑い」と「清掃」という一見全く違うトピックを一連の物語として紡ぎあげることに寄与しています。
たとえば、アルバイト先の清掃会社のスタッフにとって「ただの昼ごはん」だった昼食時間が、著者持ち前のテンションによって「楽しみ」に進化し、勤務開始早々「今日のランチはどうしましょうか」と同僚に聞かれるようになったプロセスが本書には記されています。著者は同僚のリアクションから、日々変わる勤務場所界隈のランチスポットは必ず事前に調べて、より良いランチ時間を過ごすための「ランチシステム」に発展させます。
こうした姿勢からは「友達5000人芸人」のポジティブなパワーが持続していることが垣間見えます。一方で、いまだに目的・手段の「こんがらがり」や執拗なまでの「目標設定」へのパッションが原因で、退職者を出してしまっているというネガティブな出来事への生々しい後悔の言葉も正直に語られています。
そんな著者にとって、清掃を始めた当初特にツラさを感じたのは「空室清掃」だといいます。華やかなエンタメ業界とは異なり、反応や評価が返ってきにくい孤独な仕事です。どのように解決したのかは書中で確認できますが、そのプロセスは多くの読者にとって、仕事や生き方のヒントになることと思います。「芸人ではなくなった自分のまわりにどれだけの人が残るか」と自身に問いかけ続け、「人間力」を日々磨いている著者からパワーを受け取ることができる一冊です。
文=神保慶政