明日はくる。でも、絶対じゃない。不思議な瞳を持つ猫と、幽霊たちが教えてくれたこと『猫の目を借りたい』

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/22

猫の目を借りたい
猫の目を借りたい』(槇あおい/双葉文庫)

「ごめんなさい」も、「ありがとう」も、今この瞬間に伝えればいいものを、私たちはつい先延ばしにしてしまう。明日が必ずくるなんて、そんな保証は、どこにもないのに。どうして人は、いつだって、失ってから悔やむのだろう。

 もしも不慮の事故や病気で唐突にこの世を去ってしまったら、遺された家族や大切な人に、最後の言葉を伝えることさえ叶わない。せめて一言、あと一度だけでいいから話がしたい。想いを伝えたい。そう願う魂は多かろう。槇あおい氏による小説『猫の目を借りたい』(双葉文庫)は、そんな故人の願いを叶えるべく奮闘する30歳の島村千鶴と、不思議な力を持つ猫・ユキ、この世に未練を残した幽霊たちが織りなす、不思議で温かい物語である。

 叔父の桔平が倒れたとの知らせを受け、千鶴が慌てて病院に駆けつける場面から物語ははじまる。叔父から愛猫・ユキの世話を頼まれ、二つ返事で引き受けた千鶴。だが、ユキにはある秘密があった。ユキは、自分の瞳に死者の魂を取り込み、生きている者へ故人の想いを伝える「猫語り」の能力を持っていたのである。単なる猫の世話を引き受けただけのつもりだった千鶴は、この日を境に、予想もしていなかった「猫語り」の世界に巻き込まれていく。

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 猫語りの依頼人は、唐突に現れる。妻に感謝を伝えそびれた老弁護士。妹に託したい願いがある消防士。この世に未練を残す魂は、みな一様に、生前伝えられなかった想いを胸の内に抱えていた。最初こそおっかなびっくり対応していた千鶴だったが、亡くなった人やご遺族の想いに触れるうち、訪ねてくる幽霊への恐怖心は和らぎ、彼らに心を寄せられるようになる。

 千鶴の本業はイラストレーターだったが、ある事件をきっかけに、絵が描けなくなっていた。それどころか、日常生活を送るのもやっとな状態だった。あらゆるものに怯え、隠れるように息を潜めて暮らしていた千鶴だったが、猫語りを通して少しずつ大切な感覚を取り戻していく。

 ちなみに、猫語りには、いくつかの条件がある。死者にとって“最良の思い出“を話してもらい、その内容にユキが満足すれば、契約成立だ。それぞれの幽霊たちが聞かせてくれた思い出話は、どれも一様に温かく、光景がくっきりと目に浮かぶほど鮮明だった。人がいつまでも覚えているのは、大切な誰かを想い、想われた記憶なのだと、本書を通して感じた。

 そして、猫語りには、もうひとつルールがある。生きている人間と話せるのは、ユキがまばたきを7回するまで。人間と比べると、猫のまばたきの回数は少ない。とはいえ、まばたき7回ぶんとなると、そこまで長い時間ではない。大切な人に最後の言葉を伝えたいのに、いざとなると上手く言葉が出てこない。時間は刻々と過ぎ、あっという間にリミットは訪れる。どんなに寂しくても、どんなに辛くても、決められた別れには抗いようがない。

 生きている者には、未来がある。別れの辛さが時間と共に薄まるのは、生きていくために必要な本能なのだろう。

“忘れたくなくても記憶は薄れる。そうやって、どうにか人は生きていく。”

 大切な人との辛い別れも、苦い記憶も、捨て去りたい過去も、いつかはちゃんと薄れる。そうして、本当に残したい思い出だけが残る。魂になってまで会いにきてくれた人が、最後に残してくれた言葉は、生きている者にとって何よりも強力なお守りとなるだろう。

 不要な痛みは手放し、温かなお守りを握りしめる。そんなふうに生きられたらいい。そのためにも、いま隣にある大切な存在を、ちゃんと抱きしめよう。「生きていればこそ」なのだ。喧嘩をするのも、「好き」を伝えるのも、体温を感じるハグができるのも、すべて。

 明日はくる。でも、絶対じゃない。私たちに与えられた「いま」を、私はこれから先、もっと大切に使おうと思う。ユキと千鶴が、その意味を教えてくれたから。

(文=碧月はる)