『女性の品格』坂東眞理子が男性に伝えたい、無意識の思い込みから解放されるメリット「周囲の女性に敬意をもたれなくなって傷つくくらいなら…」

暮らし

公開日:2023/3/2

坂東眞理子さん

 大ベストセラーとなった『女性の品格』(PHP研究所)以来、女性たちへの応援本を数多く執筆してきた昭和女子大学理事長・総長の坂東眞理子さんが、このほど男女を問わず多くの現代人が抱える「アンコンシャス・バイアス」(=無意識の思い込み)について警鐘を鳴らす『思い込みにとらわれない生き方』(ポプラ社)を上梓した。「あなたの当たり前は他の人の当たり前ではない」「思い込みからとき放たれたら、人間関係は豊かになる」と力強いメッセージを伝える本書に込めた想いとは――坂東さんにお話をうかがった。

(取材・文=荒井理恵 撮影=川口宗道)

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自分で自分の可能性に目隠しするなんて、もったいない!

――まずは執筆の動機から教えてください。

坂東眞理子さん(以下、坂東):一番のきっかけは森喜朗さんの「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」発言です。元首相ともあろう方が、偏見に満ちた発言をすることに大きな批判が集まりましたが、実際には森さんだけではなく、おじさんたちの中には「女性は――」といろいろな無意識の思い込み(=アンコンシャス・バイアス)をもっていらっしゃる方がいっぱいいるんですよね。さらには女性自身もそうしたいろんな方のアンコンシャス・バイアスにとらわれて、自分の可能性を押しつぶしている――これはなんとかしなきゃいけない、できたらいいな、というのが最大の執筆の動機です。ほかにも社会には年齢だったり、国籍だったり、職業だったり…ほんとうにたくさんの思い込みがあります。そうしたものが日本人の一種の「閉塞感」のようなものにつながっているんじゃないか、発想だけでなしに生き方が縮こまっていることに影響を与えているんじゃないかとも思いましたね。

――現在、昭和女子大学の理事長をされていますが、女子学生をみていてアンコンシャス・バイアスを感じることはありますか?

坂東:女子大というのは、ある意味で同世代の男性のアンコンシャス・バイアスから解放されるメリットがある場所ではあります。なんですが、女性自身が自分で「私は女だからほどほどがよい」と思い込んでしまうところがありますね。おかげさまで本学は12年連続で実就職率が全国の女子大でトップ(※2022年実就職率ランキング、大学通信調べ)なんですが、どういうところに就職したいかと聞くと「ワークライフバランス、家庭と仕事が両立できるようなところに就職したい」ってみんな答えるんです。だから私は「まだ結婚するかも、子どもが生まれるかも決まってないんでしょ」っていつも言ってるんです。こうした「家庭と仕事の両立」みたいな考え方もアンコンシャス・バイアス以外の何物でもないですよね。もっと今の自分の可能性を最大限に発揮する、それを育ててくれるところに就職するというのでいいと思うんですよ。今、やらなきゃならないことよりも、「将来こうなったらどうだ」というアンコンシャス・バイアスで形作られた未来を慮りすぎる気はしますね。

――確かに、何も決まってないのにもったいないですね。

坂東:そうなんです! 日本は18世紀でも庶民の女子が寺子屋に通わせてもらっていましたが、それでもたくさんの才能をもった女性たちが、それを発揮する機会のないまま人生を終えていました。そうした時代に比べたら、私たちはたまたますごく恵まれた環境にいるわけです。社会にゆとりがないときは、「女性とはこうだ」という思い込みの中で生きていくほうが効率がよかったんでしょうが、今の社会は豊かなんですから。自分で自分の可能性に目隠しして生きていくのはもったいないですよね。

――自分の思い込みを外すことで、社会と利害の衝突は起きませんか?

坂東:たとえば女性自身がなぜアンコンシャス・バイアスにとらわれているかというと、「自分には社会のルール、思い込み、おじさんたちの考え方をひっくり返すだけの力がない」と、「喧嘩しても負ける、負ける戦はしないほうがいい」と、考えてきたからだと思うんです。実際、反発はありますよ。でも、その反発に打ち勝つ力がない自己評価の低さが、私たちがアンコンシャス・バイアスを受け入れてきた大きな原因じゃないかと思いますね。よくアメリカの女性たちから「日本の女性はずるい。なんで戦わないのか」と批判されることがありますが、彼女たちは「自分の力で世の中を変えることができる、他者に影響を与えることができる」と思い込んでいる人が多いんですね。それに対して日本の女性たちは「とても自分にはその力はない」と諦めて折り合っていく。枠組みを変えることはできないけど、枠組みの中でできるだけのことをやろうとしてきたわけですが、「なぜその枠組みをこわそうとチャレンジしないのか」と言われるわけです。

――打ち破る「勇気」をもたなければいけないわけですね。

坂東:そうですね。どこからその勇気がうまれてくるかというと、やっぱり一人一人が考えることでしょう。思い込みにとらわれないで、たとえばがんばっている女性を応援するとか、自分はできなくてもチャレンジしようとしている人をサポートするとか、そういうことの積み重ねじゃないかと思いますね。

男性もアンコンシャス・バイアスから解放されたら身軽になる!

坂東眞理子さん

――今までのご著書は女性向けが多い印象ですが、今回は女性に限らず、広いスタンスで書かれていますね。

坂東:私の著書の中で一番たくさんの方に読んでいただいた本は『女性の品格』(2006年/PHP研究所)で、あの本は86%が女性の読者といわれています。自分自身が女性ですし、男女共同参画の政策に携わるなど、女性向けの問題意識が高かったのは確かですが、一方で、仕事を通じて日本社会全体のさまざまな問題にも関心を持っていたので、今回、対象を男女問わず広く書かせていただけたのはとてもラッキーだと思っています。男の人も「人生のピークは50歳くらいで、あとはどんどん下り坂。衰えるので上手に手放さなければいけない」などといった年齢についての考え方にとらわれているなど、立場的に女性より恵まれているとはいえアンコンシャス・バイアスはいろいろあるんですよね。

――男女両方に向けて書くことに、難しさはありましたか?

坂東:たとえば具体例を出すときに、どうしても自分の経験から限定されるところはあります。とはいえ、私はこれまで男の人たちと仕事をしてきたので、むしろ困難よりも「そうよ、これを言いたかったのよ。あれも言いたかったのよ!」という感じで、正直楽しかった(笑)。

――文句じゃないにしても(笑)、そういうのをちゃんと男性に伝えられたわけですね。

坂東:そうなんです。だから男性にもぜひ読んでほしいんですが、やっぱり著者が女性だと自分には関係ないと思っちゃうんじゃないかしら…。男性が女性の書いたものを読みたくないのは、責められている、批判されていると思ってしまうようですが、「いや、そうじゃないんですよ。あなたたちにとっても、このほうが幸せなんですよ」という事実をどこまで伝えられるかですよね。『女性の品格』にも少ない男性の読者はいましたが、一方で「女性の――」と入っていると読む気がしないという方もいました。今回はタイトルには入っていないものの、やっぱり私が書いたということで「あいつはいつも女性の味方だろう」って思う方がいるかもしれない(笑)。

――じゃあ、この記事でちゃんと「男女に向けて」と伝えますね!(笑) 先生が、男性たちに一番伝えたいことはどのあたりでしたか?

坂東:男性は「男性自身が日本の社会では優遇されている」ということを無自覚に当たり前だと思っている人が多いんです。それにはちょっと気をつけたほうがいいし、気がついてほしいですね。自分たちが恵まれていると同時に、縛られてもいるわけですから。その両方から自由になることで、男性も身軽にいろんな可能性にチャレンジできるんじゃないかしら。

――その状態を自覚するかどうかで生き方も変わると。

坂東:たとえば中年の男性や、会社を引退したばかりの人って、女性から敬意をもって話をしてもらえない、ということにいたく傷つくんです。「俺はポストを失ったからこんな若い女の子にもバカにされて…」とか。それは今までがちょっと「特別」に大事にされていただけのことで、「失ったからバカにされた」とか考えないほうが幸せですよって。新しいステージなんですから、そのときに今までの思い込みから解放されなきゃだめなんですよ。

昔は昔、今は今。常識は変わるもの!

坂東眞理子さん

――それにしても、人類からずっとアンコンシャス・バイアスがなくならないのは、それが社会にとって都合がよいからなんですかね。

坂東:おそらく統計的にリスクをとらない人が生存確率が高くなったからでしょうね。先人のいわれた通りにして、冒険をしない心配性の人のほうが生き延びる確率は高くて、そういう人たちが生き残ってきたということなんだと思います。

――ある意味、アンコンシャス・バイアスは暗黙のルールみたいなものであり、それによって社会が安定した?

坂東:したんだと思います。今、私たちは「安定」というのをネガティブに捉えるようになっていますけども、もっと人類が脆弱だった時代は「安定」ということの価値は高かったんじゃないかしら。たとえばこの一世代くらいで「女性は子どもをもたなければいけない」っていうのが「女性の自由な生き方を阻害する」と強く言われるようになりましたけど、長い間人類は「産めよ増やせよ」と言ってきたわけです。お正月には数の子を食べ、子孫繁栄を祈る。それが一番、幸せだと思ってきたし、人生の目的と考えたからこそ、命をつないできたわけです。

――アンコンシャス・バイアスが「ちょっと違うんじゃないか」となったのはどのくらいだと思われますか?

坂東:それは豊かな社会になってから、ここ1世紀半くらいのことでしょう。産業革命以降、急に二酸化炭素が増えましたが、あの頃から急に人口も増えていて、それまでなん億年も生物が積み上げてきたサスティナブルな常識と違うものになりました。それまでは食べていくこと、生命を維持すること、子孫を残すこと以外の選択はできなかったと思いますからね。

――最近はさらに「昔なら許されたが今は許されない発言」もすごく増えてきましたね。

坂東:自分が全然悪気がなく思っていることが、実は人を傷つけて、古いタイプの仕方のない人と思われて…それこそ森さんも全然悪気はなかったわけで、まったく普通のことを言っているつもりが、周りからは「そんなに古い考えなのか」って自分では予期しないような批判をあびているわけです。彼は公人だからもっと気をつけるべきですが、普通の人でも「こんなこと言ってる」って内心反発されて損してる人もいると思いますね。

――時代が変わる中で、そういう自分を疑い直すことは必要ですね。

坂東:常識だと思っていたことが常識じゃなくなって、冗談も言えない、愛の鞭もいれられないって嘆く人もいますが、それはある世界にしか通じない常識だったということ。つまりそれは常識じゃなかったんだと気がついたほうがいいですね。ちょっと離れてみると「自分は小さなことにくよくよしてたんだな」とか、気が楽になったりすることもありますから。

――本にはさまざまなアンコンシャス・バイアスの外し方が紹介されていますが、最後に「すぐできる、アンコンシャス・バイアスの外し方」のアドバイスがあったら教えてください!

坂東:「昔は昔、今は今」だと思うことでしょう。「日々新たなり」でもいいですね、環境も、自分も昔と今では変わっているわけですから。長い時間の中で変わることは「当然」なんだと思えたら、もっと自由になれます。