性虐待における代理受傷者の告発。「助けられなかった」という自責から描かれるノンフィクション
公開日:2023/2/28
国境なき医師団創設者のひとりである父。公法学者でフェミニストの母。著名な政治学者で憲法学者の継父。一見、知的で華やかな家庭で起きた「性的虐待」の事実を、被害者の姉、カミーユ・クシュネル氏が告発したノンフィクション作品『ファミリア・グランデ』は、発行と同時にフランス国内に激震を起こした。被害当事者の語りではなく、弟の被害を間近で目撃しながら「助けられなかった」と自責する代理受傷者による訴えが公に出ることは、非常に稀有である。原作が出版されたのは、2021年1月。翌年2022年に、土居佳代子氏の翻訳の元、柏書房から本書が刊行された。
私は幼少期、本書に登場する弟のヴィクトールと同じ立場であった。要するに、性虐待の被害者である。よって、この作品を手に取るのは正直勇気が要った。しかし、作者が何を思い、どんな未来を願ってこの本を書いたのか、知りたいと思った。
性的虐待は、被害に遭った側が羞恥心から「隠そう」とする場合が多い。この感情は、事実を隠蔽したい加害者側にとって、もっとも都合が良い。著者の弟、ヴィクトールも例外ではなかった。彼は自身の被害を認識しながらも、それを知る姉に口止めをした。
弟を助けたい。そう思う気持ちの裏側で、日頃優しい継父と事件との乖離に悩む著者。被害者(弟)と加害者(親)の間に挟まれ、身動きが取れなくなっていく心情を、著者はこう表現している。
“彼はわたしの部屋に入り、優しさとわたしたちの親密さ、わたしの彼に対する信頼を利用して、まったく穏やかに、暴力をふるうことなく、わたしの中に沈黙を深く植えつけたのだ。”
親が子の口を塞ぐのは、実に容易い。均衡がとれていない関係性においては、暴力や暴言を用いずに強者が欲を満たし、尚且つ沈黙を強いることが可能なのだ。これは親子にとどまらず、性差や職場の上下関係など、あらゆる場面で共通する被害構造である。言わずもがな、事件当時の著者は、被害者同様まだ子どもであった。にも関わらず、のちに事実を知った母は著者を責めた。救えなかった痛み、救われなかった痛み。交わり捻れる自罰感情は、どれほどの苦しみだろう。
虐待被害において、被害を間近で見ていた兄弟・姉妹たちが、被害当事者と同等の苦しみを植えつけられている事実は、あまり知られていないように思う。ひとりでも多くの方に、この現実を知ってほしい。何より、被害そのものがなくなってほしいと、当事者のひとりとして願わずにはいられない。
(文=碧月はる)