ギャンブルで全てを失った男が辿り着いた「とある仕事」を取材。ベストセラー作家・上原隆による最新ノンフィクション・コラム

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/28

ひそかに胸にやどる悔いあり
ひそかに胸にやどる悔いあり』(上原隆/双葉文庫)

 高校生活の終わりごろ、祖父が『平家物語』の文庫本をくれた。古いそれは、長く祖父の本棚に並んでいたのだろう。うれしく受け取ったものの、大学受験が終わったばかりで遊ぶことに忙しく、しばらく読めないままでいた。それからほどなく、祖父は急病のため亡くなった。予想もしない、突然の死だった。いまでも本棚の『平家物語』を見るたびに、もしかすると祖父は私の感想を待っていたのではないか、早く読んでおけばよかったと、やるせない思いにとらわれる。

 おそらく誰しも私と同じに、過ぎた日に抱えたものを、胸に秘めたまま生きているのだろう。『ひそかに胸にやどる悔いあり』(上原隆/双葉文庫)には、そんな人々から滲み出るものが、丁寧に綴られている。

 たとえば、看板を持って街角に立つ男の話、「街のサンドイッチマン」。ギャンブルですべてを失くした彼は、流浪の末に、看板を持って一日立ち続ける仕事を得た。飢え死にしそうだった以前に比べて、「オレ、いま幸せなんですよ」と話したが、一日がかりの取材の終わりに、著者に小さな嘘をつく。

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 家族の不在時に、自宅で愛娘を殺された父親が語る、「娘は二十一のまま」。当時21歳だった彼の娘は、留学の準備をしながらひとり、家にいた。そこに男が侵入し、娘を殺して、家に火をつけたのだという。警察で遺体の確認をし、事情聴取を受け、解放されたのは夜の十時近く。「そのときになってはじめて、家が燃えてしまって、帰るところがないことに気がついたんです」「なぜうちの娘が、なぜ我が家がってことが頭の中で渦巻いてましたから」。

 運動会前日の午後六時、ファミリーレストランに食事に来た二人組の会話が聞こえてくる「おばあちゃんと孫」。孫のショーちゃんは、タンドリーチキンを頬ばりながら、「女の子ってよくわかんない」。夜勤の母のかわりにショーちゃんの面倒を見ているらしいおばあちゃんは、明日の運動会を撮るカメラの説明書を読みながら、「大きくなってもよくわかんないのが女の子だからさ、覚悟しといてよ」。

 本書に収録された19編に登場する彼らが胸に抱えたもの、あるいはこれから抱えることになるだろう風景は、著者の存在をきっかけに解消することも、変化することもない。ただ彼らは、著者の前でひととき言葉をこぼし、彼らの日常へと戻っていく。著者は著者で、彼らの暮らしに介入しようとはしない。支持も支援もしない。ただ淡々と彼らに寄り添い、まなざしを注ぎ、その言葉に耳をかたむけている。そうやって描き出されるものに、私たちはあらためて気づかされるのだ。「私たちの周囲にいる人間も、たとえそうではないように見えても、みな胸のうちに自分と同じ後悔を、悲しみを、虚しさを、怒りを抱えているのかもしれない」ということに。

 ベストセラー『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫)の著者による最新ノンフィクション・コラムが、ついに文庫化した本書。読了後は、自分がずっと抱え込んでいるものを、それまでよりもやさしい気持ちで考えられるに違いない。

文=三田ゆき