彼はなぜ42人を殺したのか…松山ケンイチ×長澤まさみ共演の映画『ロストケア』原作小説がつきつける、介護の闇と“正義”

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/10

ロスト・ケア
ロスト・ケア』(葉真中顕/光文社文庫)

 彼はなぜ42人を殺したのか――衝撃的なコピーが目を引く、映画『ロストケア』。実力派俳優・松山ケンイチと長澤まさみの共演でも話題の本作だが、テーマとするのは「介護の闇」という社会の暗部だ。原作は社会派ミステリーの名手・葉真中顕さんの同名小説『ロスト・ケア』(光文社文庫)。2013年、選考委員満場一致で日本ミステリー文学大賞新人賞に選ばれた、緻密に構成された骨太のミステリーだ。

 物語はいくつかの視点が重なりあって進んでいく。主軸となるのは検察官の大友秀樹。ある日、大手総合介護企業「フォレスト」の営業部長をつとめる旧友の佐久間功一郎の紹介で、高齢の父を高級老人ホーム「フォレスト・ガーデン」に預けることになる。「介護保険によって介護はビジネス、資本の論理の上に乗せられた。それはつまり、助かるために金が必要になったってことだ」と豪語する佐久間に違和感はあったものの、大友は「助かる」方を選択した(できた)のだった。

 第二の視点は佐久間。常に「正しさ」をふりかざす大友を内心嫌っていた佐久間は、介護ビジネスの実態をつきつけ大友の心を揺さぶる。だがその数日後、「フォレスト」は不正を行い廃業。行き場を失う直前に、特殊詐欺を行う組織に闇堕ちしてしまう。

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 そして第三の視点はX県八賀市の人々。要介護の母を突然失った羽田洋子。そんな人々の苦しみを介護士として身近に見つめる斯波宗典。そして新たなターゲットを探る〈彼〉――バラバラに進んでいくかのような物語はやがてつながり、「介護の闇」という社会の暗部を見せつける。

 実は物語は、戦後犯罪史に残る大量殺人を行った凶悪犯〈彼〉の裁判から始まる。当たり前のように言い渡される「死刑判決」だが、なぜ彼はそれほどの人命を奪ったのだろうか? 次第に明らかになる事件の背後に見えてくるのは、「地獄」と化した家族介護の現実。家族を支えてきたはずの親が要介護の高齢者となったとき、家族を破壊していく存在となることがある。〈彼〉が手をかけたのは、家族を精神的にも肉体的にもギリギリに追い込んだ、そうした要介護の高齢者たちだったのだ。

 人を殺すことは悪い。だが地獄に苦しむ家族は見殺しにしてもいいのか……。この物語がつきつける問いは重く鋭い。超高齢化社会が加速する中、誰もが他人事ではいられない究極の問いでもあるだろう。本来ならば誰もが「助かる」のが理想の社会だが、残念ながら現実はそうとはいえない。社会の「歪み」はぽっかりと口をあけ、誰もが堕ちないように必死に耐えている。本書は、そんな現実を圧倒的なリアリティと構成力で一級のエンタメ作品として「読ませる」のだ。

 映画も原作同様にこの重いテーマに果敢に挑む。原作に惚れ込んだという前田哲監督の手によって物語はよりシンプルに構成し直され、大友検事も男性ではなく長澤まさみ演じる女性へと変わっているが、鑑賞後に残される大きな問いの手応えは同じだ。それだけこの原作が圧倒的な存在感を持つ証といえるだろう。映画の公開は3月24日。事前に本書を読んで映画にそなえるのもよし、映画と原作には違いもあるので、映画を見た後に原作小説との違いを考察するのもよし、ぜひ両方を楽しんでいただきたい。

文=荒井理恵