「全米批評家協会賞」日本人初ノミネート! 人付き合いが苦手な女性が、ある男性との出会いをきっかけに見つけたものは。川上未映子著『すべて真夜中の恋人たち』

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/17

すべて真夜中の恋人たち
すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子/講談社)

 2023年2月、日本の文学界に嬉しいニュースが駆け巡った。川上未映子氏の『すべて真夜中の恋人たち』(講談社)が、世界で最も権威ある文学賞の一つである「全米批評家協会賞」の小説部門最終候補に、日本人作家として初ノミネートされたのだ。同部門の受賞者にはこれまで、ロベルト・ボラーニョ、ジョン・アップダイク、イアン・マキューアンなどそうそうたる作家たちが名を連ねる。また、本作は2011年に刊行され世界40カ国以上で翻訳されており「TIME誌が選ぶ今年の100冊」「ワシントンポストが選ぶ2022年の最高の50冊」などに選ばれてきた世界的ベストセラー小説だ。

 もっとも、権威ある文学賞の候補作だからといって身構える必要はない。傑作であることは間違いないけれど、権威とか栄光とか煌びやかさとはむしろ対極にあるような、世界のほんの片隅に流れるゆったりとした時間を優しくすくい上げたような物語なのだ。

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 主人公の冬子は、アパートで一人暮らしをしながらフリーランスで校閲の仕事をしている34歳。もとは小さな出版社で校閲者として働いていたが、職場の独特の雰囲気になじめず、知人のすすめもあって退職しフリーとなった。

〈人とでかけたり、付きあったりすることはもちろん、言葉をかわしたりふつうに会話することさえうまくできず、小さなころからそういったことに自信のなかった〉冬子の人生。周囲からは「変わった人」扱いされ、距離を置かれてしまう。「あなたを見ているとイライラする」と異口同音に言われ、ますます自信を失くしていく。

 冬子のような性格は、今風にいえばコミュ障、陰キャ。でも、それでいいのだろうか。冬子が会話に苦手意識を持つのは、相手を気遣いつつ100%噓偽りのない言葉を伝えようとするから。決しておべっかや上っ面の言葉でごまかそうとしない。読み進めていくうちに、冬子のまっすぐな姿勢には憧れさえわいてくる。

 そんな冬子に訪れた、三束さんという年の離れた男性との出会い。少しずつ冬子の中に経験したことのない感情が芽生えていく。週一回、木曜日に喫茶店に行くと三束さんがいて、ふたりでお茶しながら他愛もない話をする。冬子は三束さんとなら上手く話せる……ということはなく、何を聞かれても「はい」「はい」と返すだけだったり、「わかりました」を「わかました」と言ってしまったり。毎週会っているはずなのに、冬子は三束さんがどこに住んでいるのかも、結婚しているのかも、下の名前すら知らない。分かっているのは、三束さんが58歳で、高校で物理を教えていることくらい。

 一方の三束さんは、冬子がゆっくりと紡ぐ言葉を一つ一つ丁寧に受けとめていく。冬子がおとなしいからといって、決して上からものを言ったり余計なアドバイスをしたりしない。冬子にとって三束さんとの時間はやがて、真夜中にいるからこそ気づける、美しい光のような時間となる。そのような時間を冬子が得られたのは、これまで他人にどう思われようと、周囲を気遣い誠実に生きてきたからではないだろうか。

 本作を“恋愛小説”と一括りにしたくはない。何かもっと普遍的な、人が生きるうえで大切なことが描かれているからこそ、刊行から10年以上経っても世界中で読まれているのだろう。

 このたびのノミネートをきっかけに、この美しく優しい物語が、さらに多くの人に届いてほしい。

文=林亮子