世界崩壊を防ぐため“家族を犠牲に”できるか?――M・ナイト・シャラマン監督による映画化も話題のホラー小説

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/24

終末の訪問者
終末の訪問者』(ポール・トレンブレイ:著、入間眞:訳/竹書房)

 世界の終わりを防ぐためには、自分の家族を一人犠牲にしなければならない――もしもあなたが、そんな理不尽な選択を迫られたらどう行動するだろう? ちょっと荒唐無稽すぎるかもしれないが、これは話題のホラー小説『終末の訪問者』(ポール・トレンブレイ:著、入間眞:訳/竹書房)が投げかける究極の問いでもある。

 7歳の養女ウェンとニュー・ハンプシャー州北部の人里離れたキャビンで夏の休暇をすごしていたゲイのカップルのエリックとアンドリュー。ある日、ウェンが庭でバッタ取りに夢中になっていると、突然、レナードという見知らぬ巨体の男が「一緒にバッタを取ろう」と親しげに現れる。ウェンはちょっと不審に思いながらも彼と遊ぶが、後方から奇妙で禍々しい道具を手にした二人の女と一人の男がやってくるのが見えると、驚いてキャビンに戻る。「話を聞いてくれ」とキャビンに入ってこようとする「彼ら」。その侵入を阻止しようとウェンたち家族はあがくが結局は組み伏せられてしまい、「世界を救うためには、家族の一人が犠牲にならなければならない。選択してくれ」と「彼ら」に迫られる。ウェンたちがその選択をしないと、大津波が起き、疫病が流行り、空が落ち、やがて世界は終わるというのだ――。

 圧倒的にわけがわからない不条理な申し出を、当然のごとく拒否する3人。その後におこったのは、「彼ら」の中から一人が身代わりに「犠牲」となる殺戮だった……(その描写はかなりグロテスクだ)。しかし結局は、彼らの予言通りに大地震による津波で大勢の人々が飲み込まれたとテレビのニュースが伝えることとなる。単なる偶然なのか、彼らは何者なのか、何かのカルトなのか、頭がおかしいのか、なんだってこの家族なのか……。次々に疑問ばかりが湧いてくるが、物語は圧倒的な「わけのわからなさ」を抱えたまま、刻一刻と状態だけは最悪に向かっていく。究極の問いを常に突きつけられる緊迫感、「何を信じたらいいのか」とぐらつく足元……血なまぐさい殺戮風景の衝撃もかなりのもので、そこに極限状態の心理戦がプラスされていく展開はスリリングでグロテスクで、とにかく目が離せない!

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 ちなみに本作は2018年に全米で発売された途端にベストセラーとなり、アメリカのホラー作家協会が主催するブラム・ストーカー賞の長編小説部門、英語圏におけるSF・ファンタジー文学賞であるローカス賞のホラー小説部門をそれぞれ受賞というお墨付きの1冊(あのスティーブン・キングも「示唆に富み、恐怖が鎖のように張り詰める」と絶賛しているそうだ)。著者のポール・トレンブレイ自身も多数の受賞歴があり、今回が初の翻訳本というのはちょっと驚きだ。まさにホラー小説ファンにとっては「待望の1冊」だ。

 実は本作は4月7日より映画『ノック 終末の訪問者』として全国公開が待っている。監督は『シックス・センス』『オールド』などで知られるM・ナイト・シャラマン。毎度作品にどんでん返しや驚愕の展開といった「仕掛け」をすることで知られる監督だけに、この緊迫した究極の世界をどう料理するのか興味津々。ちなみにシャラマン監督が「原作あり」の作品を映画化するのも初めてとのことで、なぜ彼はこの作品を映画化しようと思ったのか、小説の映像化はどんな「世界観の違い」を生むのか、そんな観点を味わうのも一興だ。両方楽しめば、さらに興奮(と恐怖)がぐんと増すのは間違いないだろう。

文=荒井理恵