向井くんのこと、最初は「ビジネスリスナーでしょ?」と思った。パンサー向井慧×宮嵜守史【対談】/ラジオじゃないと届かない⑤
公開日:2023/3/29
パンサー向井
もがくことが原動力!? パンサー向井慧
向井君がラジオ好きなのは知っていたので、気になっていた。
二〇一九年、SNSで「#むかいの喋り方」の存在を知ってリスナーになった。丑三つドキドキ。radikoのエリアフリーで毎週聴くのが楽しみだった。
向井君は、まず声が聴きとりやすい。喋り方に癖がないのでしっかり耳に入ってくる。
次に話の順序だてが上手。あっち行ったりこっち行ったりしない。で、最後に性格が面倒くさい。これも向井君がパーソナリティとして評価される要素。あんなかわいい顔して。
向井君がラジオで発した名言。ここ最近の僕のお気に入りは、「スキルのない目立ちたがり屋が一番タチ悪い」。向井君のこういう蜂の一刺し的な言葉が大好きだ。
ラジオを聴いていると、向井君は常にもがいているように感じる。満たされない気持ちをどう潤そう、足りてない自分とどう折り合おう。そこに四苦八苦している様子をラジオで話す。で、それを生きる原動力にしている。生きるために話す。だからおもしろい。本人からしたらたまったもんじゃないか。
僕の中で向井君と山里さんがかぶるときがある。
数年前の「#むかいの喋り方」での一幕。ある日、向井君はハライチ岩井君とチョコレートプラネット長田庄平さんの三人でトークライブをした。終演後、エゴサーチをする向井君。するとお客さんの一人がSNSでそのトークライブの一部をレポートしていた。三人のやりとりをカギカッコで再現している。読むと、向井君が放ったおもしろワードを岩井君のセリフとして書いていた。それを見た向井君は「岩井ファンはそういうことをする」と不満を漏らした。
こういうことを気にしてネチネチするところに、山里さんと同じものを感じる。個人的には大好き。関取花さんのゲスト回も二人の自意識がシンクロしてて最高だった。
生きにくい性格なんだろうけど、ラジオという場所があるのは幸せなのか。逆にそんなラジオに押しつぶされそうになるパターンもあるのかな。不安を抱えて自らしんどい方に向かって苦悩する。すこぶる内弁慶。僕は向井君に勝手に親近感を持っていた。なんか通じ合えるんじゃないかって。
堂々巡りを続けるラジオ好きの自意識
宮嵜 ガッツリ仕事はできてないけど、向井君はずっと気になってる存在です。
向井 宮嵜さんとの最初の関わりって『メガネびいき』なんですね。二〇一四年ですか。
宮嵜 そのときは直接会ってないんだよね。「ザキヤマテレフォン」に電話で出てもらったときに話しただけで。
向井 すごい覚えてます。僕は愛知県出身なので、そもそも『JUNK』が聴けない地域だから、完全に『オールナイトニッポン』育ちなんですよ。地元のCBCラジオを聴いていて。だから、東京に出てきてビックリしたのがTBSラジオの『日曜日の秘密基地』と『JUNK』の存在だったんです。
宮嵜 向井君は『オールナイトニッポン』や名古屋で放送していたココリコさんの番組を聴いていたんでしょ。『JUNK』とは違いがあったわけ?
向井 CBCの番組は、東京のテレビで頑張っている人たちが地方に来て、東京で言えないことをちょっと話してくれるから、それを聴けるのが嬉しいという感覚でした。『オールナイトニッポン』は東京で活動している人たちの話が名古屋まで届いている感じだったんですけど、『JUNK』は東京でしか聴けないものがあったんだ、みたいな。
宮嵜 「ズル!」みたいな。
向井 しかも『JUNK』の並びは、僕がど真ん中で好きな人たちだったんです。僕は大学入学に合わせて「一緒に芸人になろう」って地元から幼馴染みと上京するはずが、その幼馴染みが受験に落ちちゃって、一年浪人することになったんです。だから、一人で東京には来たけど、芸人を始めようにもできず、空白の一年だったんですね。時間が有り余っていた中で、深夜は『オールナイトニッポン』一択だったのに、『JUNK』という衝撃を味わいました。芸人になってからも『JUNK』への憧れはずっとあったんですけど、まったく出る機会がなく、その状況での「ザキヤマテレフォン」だったんです。
宮嵜 恒例の企画になっていて、要はザキヤマさんがイタズラ電話をすると。スタッフとしては、いろんなパターンの人選をするわけ。向井君がラジオ好きというのも知っていたからJUNKリスナーの反応を見てみたいという興味もあった。
向井 そのころ、僕と宮嵜さんは一緒に仕事したことがなかったじゃないですか。ザキヤマさんにしても、おぎやはぎさんにしても、僕と関係性がなかったし、今だってそんなに密にあるわけじゃない方たちですよね。
宮嵜 あの企画って二人か三人に電話するのよ。一人は東京03の角田(晃広)さんみたいなザキヤマさんとツーカーの人を入れるわけ。だから逆に距離のある人を当ててみたくなっちゃうんだよね。知り合いじゃない相手にも果敢にアタックするザキヤマさんっておもしろいし。
向井 なるほど。その中の一人だったんですね。あのときは何が起こっているかあんまりよくわからないまま終わって、感情がグチャグチャだったというか。でも『JUNK』に出られたっぽいし、嬉しいという気持ちが勝っていたと思います。
宮嵜 事前に詳細を伝えられてないし、状況がわかったとて電話に出る側はスタジオのリアクションがあまり聞こえないから不安になるんだよね。
向井 たしかに手応えも別になかったし、とにかく「『JUNK』に出たんだ」って感じでした。当時は僕自身もラジオをやってなかったと思うんです。
宮嵜 向井君が裏の『ナインティナインのオールナイトニッポン』を聴いているのも知っていたし、個人的にはアイドル級に人気があるパンサーのイメージがあった。
向井 当時は人気ありましたねえ。この時期の私の人気たるやすごいですよ! これは間違いない。それは否定しません(笑)。
宮嵜 印象は「あんな人気あるのに、ラジオ聴いてるの?」だったもん。最初は「プロフィールに書きたいヤツでしょ? ビジネスリスナーでしょ?」と思ったよ(笑)。
向井 まさに当時は僕もそれを感じていた時期で。みんなそれぞれに好きなものってあるじゃないですか。「サッカーが好きです」と同じ感じで、ただただラジオが好きなのに、やっぱりそういう目にたくさん晒されたんです。ラジオを好きなことが、「カッコつけてる」とか、「深みのある人間ですよってアピールしている」ように見られてしまうから、逆に言わないほうがいいぐらいに感じていたかもしれないですね。
宮嵜 当時のラジオ界隈では、「ラジオが好き」って言うと、一気にリスナーを味方にできたのよ。最初はみんなピュアに好きだと言っていたんだけど、段々と「これは使えるぞ」という雰囲気が充満してきて。これは嫌な見方をしているだけかもしれないけど、最近はいきなりラジオ好きを色濃くアピールする人は「手法でやっちゃってない?」と思われるかもしれないね。
向井 やっぱり『オールナイトニッポン』を初めて担当するとなったら、ビタースイートサンバに反応しちゃうじゃないですか。「うわー、この曲でやりたかったんですよ」ってどうしても言っちゃうけど、長年聴いている人は「それはもういい。何百回も聴いたよ」って思っちゃいますよね。純粋に好きな気持ちをどのぐらい出すか、結構難しいです。
宮嵜 リスナーになるタイミングって、十人いれば十人違うわけじゃん? ずっと聴いているリスナーは「またやってるよ」ってなるんだけど、『オールナイトニッポン』を好きになったタイミングでビタースイートサンバが流れて涙するパーソナリティがいたら「うわー、すごいわかる」って感じるだろうから。
向井 でも、そういう自意識に搦め捕られやすい人のほうがラジオに向いてたりしますよね。だから、僕も堂々巡りになっちゃうんですけど。「こんなこと喋ったら、こう捉えられちゃうかな」ってグルグルグルグルと考えて、その苦悩をリアルタイムで喋るしかないと思うんです。でも、それを喋ったら、また裏側を喋っちゃったなって感じて、最初に戻ってくるという。これを繰り返しているような気がします。
宮嵜 ただ、ラジオの良さってさ、その繰り返しだとも言えるじゃん。
向井 そうなんですよね。ブーメランで自分を見ちゃうから、いろんなことができなくなっちゃうのは、ラジオ好き、ラジオ業界の方の〝あるある〟じゃないですか。そういう自意識って意味ないんですけど、それがないと作れないものもあるんですよね。
宮嵜 その自意識ループにハマって、「先週あんなことを言ってしまった」とこの一週間ずっと反省していた……とラジオで言える環境は誰にでもあるもんじゃないから。自分がラジオに携わっていて言うのもなんだけど、それって結構貴重な場だと思う。
向井 こんなに鮮度よく自分のリアルタイムな気持ちを言える場所って僕が芸人を始めた頃はラジオしかありませんでしたから。結局、そういう雰囲気が好きだったから自分も聴いていたというところにも戻ってくるんですけど。
気持ちが乗らないと人には伝わらない
宮嵜 『メガネびいき』に電話出演してもらってから、向井君との関わりはしばらくなかったけど、一方、そのちょっと前くらいからハライチと密に付き合うようになって、深夜に『デブッタンテ』を放送して、そこから『ハライチのターン!』が始まって。そんな折で岩井君から向井君と最近仲良くしていると聞いた気がする。
向井 飯とか行き始めた頃ですかね。
宮嵜 それで、二〇一九年ぐらいかな。自分のやっている番組を聴いてくれてるリスナーが向井君のことをTwitterでつぶやいてるのを見かけて、気になったからCBCの『#むかいの喋り方』を聴いたの。
向井 正直、東京でも僕は何度かラジオをやっているんですよ。『オールナイトニッポン』も、岡村(隆史)さんが一人でやられているとき、お正月休みに代わりにやらせていただいて。
宮嵜 それも聴いてたよ。
向井 しかもパンサーではなく、僕一人で。自分がラジオを聴くきっかけになったのがナイナイさんのオールナイトなんで、ある種、ゴールみたいなところがあったんです。でも、そのときの全力では絶対やってたんですけど……。
宮嵜 納得いってない?
向井 難しかったです。自分が究極の内弁慶だったんだなって今になったらわかるんですけど。やっぱり他者評価とか、ニッポン放送で喋っている状況とかが頭にこびりついて、切り離せなかったんですね。もちろん全力なんですけど、終わったあとに「やっぱり僕はラジオを聴くほうなんだなあ」って思ったんです。それで、ある種、一区切りがついたんですよ。
宮嵜 その状況で『#むかいの喋り方』の話が来たの?
向井 今のプロデューサーから「ナイターオフに三十~四十分の番組をやってみませんか?」と声をかけていただいたんです。それだったらやりたいなと思ったんですね。昔ずっと聴いていた地元のCBCラジオで、しかも東京には届かない。内弁慶が発揮できる場所として始めたのが『#むかいの喋り方』でした。
宮嵜 番組を始めて、どう思った?
向井 そのときの感覚はすごく覚えてますね。「うわー、喋りたいことを喋れてるなあ」って初めて思ったんです。とにかく楽しかった。そうしたら、今まで僕に対して興味を持ってなかったお笑いラジオ好きのリスナーがたくさんメールをくれたんですよ。そういう時期に、面識がほとんどなかった宮嵜さんが雑誌のインタビューで「『#むかいの喋り方』がおもしろい」と言ってくれたんです。そのとき、初めて自分がちゃんと認めてもらえた感覚になりました。
宮嵜 いや、俺だよ?(笑)。
向井 もう芸歴で言ったら十五年とかやってたんですけど、初めての感覚だったんですね。『JUNK』という僕が好きな番組を担当されている方におもしろいと言ってもらえたことが嬉しかった。だから、取り上げてもらった話をすぐ自分のラジオで喋っているんですけど(笑)。
宮嵜 向井君がさっき言ったように、名古屋は安心できる地元だから、いい意味でのローカル感があったんだよね。二時間じゃなくて、当時は三十分だったけど、あの三十分の喋り足りなさがよかった。「ここでもっと喋りたいことがあるのに」となっている感じが聴いているほうからしたら嬉しいじゃん。ラジオはもちろん腕前も大事なんだけど、その前に「今日はこれを喋りたい」「これだけは言いたい」という気持ちが乗っからないと、人に伝わらないと思っていて。
向井 好きにやらせてもらうなんてことがそれまでホントになかったんです。テレビはもちろんですけど、作ってもらった枠組の中で、頑張ってスタッフさんの想像以上の動きができるかどうかという仕事ばかりでした。でも、『#むかいの喋り方』はコーナーから全部自分で考えるし、メールも自分で選ぶし、こんなに自分のエキスを濃縮できる仕事はなくて、それを思いのほか、皆さんに喜んでもらえる経験ができたんです。
宮嵜 それ以前のフリが効いてたよね。
向井 効いてましたね。十五年間ぐらいの己のフリが。もちろんそれが身の丈なんですけど、薄味でやってきたみたいな時期がありましたから。
宮嵜 自分で自分を傷つけなくていいって(笑)。
向井 それは客観的に見てもホントにそうで。それが別に悪いとも言いたくないんですけど。
宮嵜 そういう場で、与えられた役割をこなすのも仕事だからね。
向井 それすらも肯定しないとやっぱりしんどくなるし。もちろんそのときも自分が全力でできることをやっていたんですけど、『#むかいの喋り方』は芸歴十五年以前と今が大きく違ってくるきっかけですね。
『#むかいの喋り方』の一曲目が飛ばせない理由
宮嵜 そのあと、火曜日で二時間半(現在は二時間)の生放送になったから、生活のサイクルと合わなくて、全部は聴けてないんだけど、それでもたまに聴いてると、ドラマの話とかするじゃん。本の中に書いているんだけど、伊集院さんが薦めるゲームや映画って「そんなのあるんだ」にプラスして、実際にやってみたい、見てみたいって思うんだよね。向井君にもそういうところがあると思う。だから、ドラマの『silent』も見るようになったし。
向井 最近は『silent』について宮嵜さんから毎回感想が送られてくるんですけど、その時点で僕はまだ見てないんですよ。ネタバレになるんで、一回落ち着いてもらっていいですか(笑)。
宮嵜 ごめん。
向井 でも、最初に二時間半の『チュウモリ』っていう新たな枠に入ってほしいと言われたときにメッチャ迷ったんですよ。
宮嵜 中部地方盛り上げプログラムね(笑)。
向井 三十分を走りきるスタイルが気持ちいいなって思ってたんですけど、二時間半の番組を作るのは今までとまったく違っていて。でも、一時間のフリートークは自分で絶対喋るということだけは決めました。こんなことを言ったらあれですけど、一時間喋りたいことがある日が毎回続くかって話なんですが、それでもなるべく噓をつかないように喋ろうとすると、起きた出来事だけのトークじゃやっぱり難しい。それなら、ドラマやアニメ、マンガなどに触れたときに感じたことを喋ろうと。なんとか一週間のうちの一時間は、自分の中で噓がないように作りたいなって思ったんです。初めてのチャレンジでしたけど、それができて血肉になった感じはありますね。
宮嵜 さっきフリの時期って言ったけど、それまでの仕事が絶対に役に立っていると思うんだよね。人に伝わりやすく喋れるのって、パンサーとして大忙しだった時期の経験が結構デカいんじゃないかと思う。ザ・表仕事を重ねてきたからこそ、ちゃんと順序立てられて、段取りを踏む形で話せると思うんだよ。あとさ、トークをして、最初に曲かけるじゃん? リスナーとして聴いていると、あそこで曲が飛ばせないの。それってすごいと思うよ。