梶井基次郎『檸檬』あらすじ紹介。レモンを爆弾に見立て、書店を木っ端微塵!? 男の憂鬱を晴らしたユニークな空想
公開日:2023/4/4
昭和期の小説家・梶井基次郎は、感覚的なものと知的なものを融合させ、色彩豊かに、かつ詩的に書き上げる文体が高く評価されています。これから初めて梶井基次郎の作品を読んでみたいと考えている人におすすめなのが、彼の代表作として名高い『檸檬』(レモン)です。今回は『檸檬』について作品を解説し、登場人物とあらすじをご紹介します。
『檸檬』の作品解説
梶井基次郎が中谷孝雄、外村繁らとともに創刊した雑誌『青空』の1925年創刊号に発表された作品です。1931年には武蔵野書院から創作集『檸檬』が刊行されました。
得体の知れない憂鬱な心情や、ふと心に抱いたいたずらな感情を、梶井基次郎の得意とする色彩豊かな感覚で詩的に描いた作品として知られており、梶井基次郎の代表作の1つに挙げられる作品です。
研ぎ澄まされた感覚を詩的に表現する文体は、梶井基次郎の文学作品の真骨頂といえ、『檸檬』はもちろん、後に書いた作品の多くにも認められるものです。
『檸檬』の主な登場人物
「私」:本作の主人公。京都に下宿していた時の作者がモデル。
『檸檬』のあらすじ
「えたいの知れない不吉な魂」に始終抑えつけられていた「私」。それは肺の病気や神経衰弱や、借金のせいばかりではなかった。いけないのはその不吉な魂であると「私」は考えている。もはや好きな音楽や詩にも心が癒されず、よく通っていた丸善(文具書店)でさえも、借金取りに追われる身である「私」には重苦しい場所へと変わってしまった。
ある日、京都の街や裏通りをあてどなくさまよっていた「私」は、前から気に入っていた寺町通の果物屋の前で足を止める。そこには珍しく「私」の好きなレモンが並べてあった。「私」はレモンを1つ買い、それを握ってみると、始終「私」を抑えつけていた不吉な魂がいくらかゆるんで、「私」は街の中で非常に幸福を感じた。
「私」は久しぶりに丸善に立ち寄ってみることにした。しかし、憂鬱が再び立ちこめてきて、次から次へ画集を見ても憂鬱な気持ちは晴れなかった。「私」は買ってきたレモンを思い出し、積み上げた画集の上に置いてみた。
やがてあたりを見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えわたった。そして「私」は、レモンを爆弾に見立てて、それをそのまま置いて丸善を出た。「私」は、木っ端微塵になる丸善を愉快に想像しながら、京極の通りを下っていった。
<第62回に続く>