東京大学歴代総長の式辞にはツッコミどころもあり!? 若者たちに贈った言葉が映し出すのは、日本近現代史の明と暗

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公開日:2023/3/31

東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉
東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』(石井洋二郎/新潮社)

 2023年3月24日に、令和4年度の東京大学の卒業式が行われました。近年各種メディアでは、大学の入学式、卒業式の式辞や祝辞がしばしば話題になります。紹介する『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』(石井洋二郎/新潮社)の巻頭では、原則的に式辞というのは「閉ざされた場」での語りかけだったと前置きしています。つまり、たちまちのうちにニュースやSNSで式辞の内容の拡散がなされるというのは、とても現代的な現象ということです。実際、著者の石井洋二郎氏は東京大学教養学部長を務めたときの「学位記伝達式」で、批判も含んで過去の東京大学の式辞の歴史を振り返った際に、思いもよらぬ勢いで拡散されたという経験を持っています。

 東京大学は1877年(明治10年)に創設され、本書では1997年に創立120周年を記念して出版された約900ページの『東京大学歴代総長式辞告辞集』に記載されている内容を中心に、明治時代の式辞から振り返っています。ちなみに、本書の発刊後になされた令和4年度の卒業式の式辞で藤井輝夫総長は、昨秋に新設されたメタバース工学部の紹介もまじえながら、VR、AR、AIのテクノロジーの発展が爆発的に加速していく中で「リアリティ」「体験」とは何なのかということを説いた上で、自分の専門領域をより多くの人に理解してもらう際の「翻訳」の重要度が今後より増していく、ということをテーマにしました。

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 この式辞に関しては穏健かつ希望に満ちた部類に入るかと思いますが、歴史を振り返ってみると、解釈が難しい式辞、現代的な基準で考えるのであれば言い回しがマズい式辞、そしてプロパガンダを含んだ式辞もありました。石井氏は東京大学の名誉教授ということで、大学本体に深いゆかりを持ちながらも、本書では勇敢に過去の式辞の問題点を指摘しています。

 たとえば、1985年から1989年まで総長を務めた森亘氏が外遊先から卒業生に贈った言葉の中に「女性というのは浅はかで打算的である」という価値観がにじみでてしまっている言い回しがあったり、「ナウイ(これが、私の知る最新の言葉である)」と当時の若者言葉を揶揄しながら使ってみたり、東大男子が交際する女性に関して「かくして神様が東大出に割り当てて下さるのは、ほぼ東大と同様にダサイ某女子大学の卒業生程度である」と表現されていることについて、著者は当時の時代背景とともに意見を素直に述べています。

これまでの歴代総長の式辞の中にも、今日であれば危ないと思われる箇所はいくつかありましたし、折に触れて指摘もしてきました。だから森総長の言葉もけっして例外というわけではないですが、彼が就任した直後の一九八五年五月には男女雇用機会均等法が制定されたわけですから、その二年後になってもなおこうした文章が、それも東京大学総長という立場にある人間によって書かれてしまったことには、やはり率直な驚きと落胆の念を禁じ得ません。

 もちろん、ガッカリしてしまうような言葉や批判だけではなく、知的好奇心を掻き立てられるような内容も本書には多く含まれています。特に、「独創性」「教養」とはどういうことなのかという点について、近年話題になったロバート・キャンベル氏や上野千鶴子氏の来賓祝辞(式辞というテーマからははずれるので「補章」として紹介)も取り上げながら掘り下げられています。たとえば、著者が評価している式辞のひとつに、歴史学者の林健太郎総長による1976年の入学式式辞があり、そこではノブレス・オブリージュ(貴族の義務)という考え方が示されました。

受験戦争を勝ち抜いて東京大学に合格したこと自体が「ノブレス」の証でもなんでもないことは、言うまでもありません。新入生たちがまずなすべきことは、これからの時間を使って、「オブリージュ」(義務を負わせる)という動詞にふさわしい本物のノブレスになるべく努力することであり、彼らはその出発点に立ったにすぎないのです。

 45年以上前の言葉ですが、多種多様な社会課題の中から自分の責務をどのように見出していくかという点が、現代社会における学生たちの学びにおいて大いに参考になるのではと感じました。様々なタイプの式辞から、今現在進行系でなされている式辞が数十年後の人々にどのように受け取られるかという、時代を超えた視座も読者に与えてくれる一冊です。

文=神保慶政