日本のサブカルチャーが大きく動き出した転換点を描く! 『ギャラリーフェイク』細野不二彦の自伝的ストーリー『1978年のまんが虫』

マンガ

公開日:2023/4/14

1978年のまんが虫
1978年のまんが虫』(細野不二彦/小学館)

 1978年は日本にSFブームが到来し、マンガ・アニメ史の転換点になった年だという。大きいのは映画『スター・ウォーズ』の日本公開だろうか。いずれにしてもSF関連の需要が至るところで発生したことは確かで、作品はもちろんクリエイターも必要とされていた。その大きな波にのまれるように、業界へ足を踏み入れた若者たちの物語が『1978年のまんが虫』(細野不二彦/小学館)である。

 本作は細野不二彦氏の自伝的作品。マンガを読み、描くときだけは退屈な日常を忘れて至福の時間に浸れると感じていた大学生・細納不二雄(さいのふじお:以下、不二雄)が主人公だ。彼が漫画家としてデビューするまでのストーリーと、1978年を中心にマンガ・アニメ業界で活躍を始めた若きクリエイターたちの青春が描かれている。

 細野氏といえばアニメにもなった『さすがの猿飛』『GU-GUガンモ』や、青年誌での『ママ』『ギャラリーフェイク』(いずれも小学館)などで知られる。ただデビュー時の細野氏はアニメ『超時空要塞マクロス』で一躍その名を馳せた「スタジオぬえ」に所属していた。本作はこのSFクリエイター集団を中心に描かれており、当時のマンガ・アニメ業界の状況が詳細に語られているのだ。

 1978年、不二雄は自分の描いたイラストを「スタジオぬえ」主催のSFイラスト同人の会合で見せる。ここから物語と彼の人生が大きく動きだす。

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マンガ好き大学生がプロに。デビュー作は傑作スペースオペラのコミカライズ

 不二雄は大学に居心地の悪さを感じ、なじめずにいた。普通に学生生活を謳歌する友人たちとは住む世界が違うと感じていたのだ。彼は東京の下町出身でド庶民なうえに性格も地味だったからだ。「何もかもかったるい」「なじめない学校へ通うのもだるい」そんな生活の中で唯一の楽しみがマンガやイラストを描くことだった。そしてその制作物は、高校時代からの友人の集まり「丘の上グループ」や「スタジオぬえ」主催のSF同人の会で披露していた。

マンガを読む。
マンガを書く。
昔から、この時間だけが退屈な日常を忘れ去る至福……
黄金の時間だ……!!

 しかし描いていれば楽しかった時間は終わる。ある日、プロである「スタジオぬえ」の松崎健一氏が不二雄の原稿を読んで、厳しい言葉を投げかけてきたのだ。

だってお前さん、あわよくばマンガ家になりたいと思ってるだろ?

 作品に対しての批評ではなく、自分の心のうちを言い当てられた不二雄は衝撃を受ける。そこで自分がマンガでメシを食っていきたいのだと気づかされたからだ。「“あわよくば”くらいの気持ちではダメ」なのは当然である。プロはなりたいと思っただけでなれるものではないからだ。こうして決意を新たにした不二雄は「スタジオぬえ」に通ってマンガを見てもらい、ときにはイラストの仕事をもらうようにもなる。

 そして――ある日意外な形で、降って湧いたようにデビューが決まった。「ぬえ」の社長・高千穂遥氏のスペースオペラ小説『クラッシャージョウ』のマンガ制作、いわゆるコミカライズを任されたのだ。念願のプロ漫画家の道への第一歩である。“熱く”ならざるをえないが、1978年時点で大人気作品だった『クラッシャージョウ』と、作者・高千穂氏のプレッシャーはすさまじく、簡単にはいかない。

 オリジナルのストーリーやキャラクターについて悩み、悪戦苦闘の不二雄はいかにして『クラッシャージョウ』を完成させるのか……。

マンガ・アニメ業界に大きな影響を与えた1978年のスタジオぬえ

 不二雄こと細野不二彦氏が漫画家を志し、プロとしてやっていくのに1978年は絶妙なタイミングだった。最初に書いたようにSFブームが巻き起こっており、彼を導いた「スタジオぬえ」が飛ぶ鳥を落とす勢いだったからだ。

 本書を読むと、当時の「スタジオぬえ」を中心とした、マンガ・アニメ業界の状況を知ることができる。もちろん作中には有名クリエイターたちが多数登場する。小説家で『クラッシャージョウ』や『ダーティペア』シリーズの作者・高千穂遥氏。『機動戦士ガンダム』の「ミノフスキー粒子」の考案者としても有名な脚本家・松崎健一氏。「SFマガジン」の表紙を描く加藤直之氏。『宇宙戦艦ヤマト』『キャプテンハーロック』などのメカをデザインした宮武一貴氏。さらに少女漫画家の瑞原芽理氏(瑞原氏は後にアニメにもなったSF小説の主人公のモデルになった女性)も。

「スタジオぬえ」所属の1978年時点でプロだったクリエイターに加え、不二雄の高校からの同級生である河森正治氏と美樹本晴彦氏(作中では斎藤明彦)の若き日も描いている。後に漫画家、メカデザイン、キャラデザインの各分野でその名を知られるようになる3人が同じ高校と大学に通い、ついに「スタジオぬえ」を通してプロの仲間にもなっていくのだ。

 今も活躍中のクリエイターたちが若き日に、けして広くないビルの中でお互い刺激し合って創作活動を続けていくエピソードは、マンガ・アニメファンならきっとぐっとくるはずだ。そんな彼らが不二雄の背中を押す。あるいはその姿勢を質していくのだ。

 細納不二雄氏が、業界にとっても自身にとっても転機となった一年を、どう駆け抜けていったのか、ぜひ読んで確かめてみてほしい。本作は1978年からの約一年を描いて完結しているが、できることなら彼ら若きクリエイターたちが“飛翔”していく1979年以降のまんが虫も読んでみたい。あなたも読み終えたとき、同じ思いにかられるはずだ。

文=古林恭