一緒にいなくとも、ともに過ごした時間の意味は失われない…柚木麻子が新作に込めた「連帯しない」人間関係の価値

文芸・カルチャー

更新日:2023/4/21

オール・ノット
オール・ノット』(柚木麻子/講談社)

 柚木麻子さんの小説『オール・ノット』(講談社)を読んで、『ランチのアッコちゃん』(双葉社)を思い出す人も多いのではないだろうか。これはきっと、生きづらさを抱えた女性たちが手を取り合い、パワフルに道を切り開いていく姿を描いていく物語なのだろう、と。

 主人公の真央は、実家の援助を受けられず、奨学金の返済を抱え、切り詰めた生活を送りながら生活費を稼ぐ大学生で、ある日、バイト先のスーパーで50代くらいのおばさんにあたたかいお茶を差し出される。いるだけで店全体の商品が動く、といわれる名物試食販売員の彼女、四葉はどんなときも品があって、話せば知識が豊富で、そして心を豊かにしてくれるおやつやごはんをつくることができる。それもそのはず。四葉は、横浜・元町で栄華を誇った一家の娘だったのだ。今はなんらかの理由で財を失ったらしいが、アパート住まいであっても、彼女はいつだって余裕のある雰囲気を醸し出していた。

 四葉と親しくなり、自分自身を労ることを覚えていった真央は、ただ目の前の日々を生き抜くのではなく、将来どうなりたいかの夢を抱けるようになっていく。さらに、奨学金の返済の足しにと、四葉は代々受け継いできた宝石箱を真央に譲った。そんな二人の姿を見て、つらいとき・困ったときには四葉の存在が助けになってくれる、『ランチのアッコちゃん』で描かれたようなエピソードが展開していくのだと思った。

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 だが、違った。四葉からもらった宝石箱の宝石は大した額では売れず、真央は人生を好転させられなかった。その上、コロナ禍で希望とは異なる就職をせざるをえなくなった真央は、あんなによくしてくれた四葉に気まずさを感じてみずから遠ざけ、やがて会うことすらかなわなくなってしまう。かわりに、かつて四葉からもらったオーダーメイドシャツの仕立券をもって訪ねた店で、四葉の学生時代の友人・ミャーコに出会う。そして知っていくのだ。過去に四葉の家でどんな事件が起きたのか。真央とは違って裕福な家に生まれ育った彼女が知った、裕福さの裏にあった性暴力を。そして、女というだけで差別され、暴力をふるわれ、踏みつけにされる、そんな苦しみを目の当たりにしてきたのだということを。

 四葉と、その実家の恩恵を受けていたミャーコも、事件を境に四葉との交流を失っていた。今は絵画の才能をくすぶらせたまま、自堕落な生活を送っているミャーコに、ただのクズじゃないですか、と真央は言い放つ。だが、だめな人間だとわかっていても、ミャーコと月に一回会う約束が、真央にとって生活の小さな灯りになっていく。

 人の繋がりとは不思議なものだ。誰かを介して出会い、その誰かがいなくなったあとも、独自の縁が紡がれていく。その縁がとだえたように見えても、どこかでまた別の不思議なめぐりあわせが訪れる。一生の親友、なんてものが得られなかったとしても、人生の必要なポイントで、誰かに支えられ、助けられながら、生き延びていくことができるのだ。そしてその経験の積み重ねは、自分も誰かを助けたいという素直な欲求へと変わっていく。無償の愛でも自己犠牲でもない。よりよい世界にしてみんなで幸せになりたいという願いをこめて。

 真央もミャーコも、己の弱さから、四葉と手をとりあい続けることはできなかった。けれど、だからといって、ともに過ごした時間までもが失われるわけじゃない。いずれ時が来たら、また結びつくことができるかもしれない。その希望は、真央が四葉から託された真珠のネックレスにも重なる。

 ネックレスにほどこされた“オール・ノット”の加工は、真珠の粒のあいだに結び目をつくることで、ちぎれてもバラバラにならないようにするもの。異なる痛みを抱え、異なる人生を歩む別個の存在だからこそ、人は隔てられ、ときに対立してしまう。でも同時に、共倒れになることなく、必要なときに連なることもできるのだと、本書は力強く描き出してくれるのだ。

文=立花もも