「私が親友を殺したの?」――18人の証言者によって明かされる“真実”とは…韓国青少年文学の名手が描くミステリー
公開日:2023/4/24
私たち親友だよね、と一生の仲を誓い合った友達のうち、果たして何人が大人になってからも交流が続いているだろう。友達は一生の宝、なんてよくいうけれど、その定義は曖昧で、唯一無二の仲良しみたいな顔をして、心の奥底では嫉妬や軽蔑が入り混じっている、なんてこともよくある話。小説『殺したい子』(イ・コンニム:著、矢島暁子:訳/アストラハウス)で描かれるのは、そんないびつな友情に端を発する殺人事件である。
高校一年生のソウンが校舎裏で死体となって発見され、親友のジュヨンが殺人事件の被疑者として拘留された。凶器とおぼしきレンガにはジュヨンの指紋がついていたし、前日の放課後、その場所で二人が会う約束をしていたことは、メッセージアプリの履歴に残っている。だが、肝心のジュヨンには、罪を犯した記憶がなかった。というより、放課後に大喧嘩したのは覚えているものの、どんな話をして、どう別れたのか、まったく覚えていないのだ。もちろん、殺した覚えなんて、かけらもない。
混乱するジュヨンのかわりに、二人の関係について語り、空白を埋めていくのは18人の証言者たちだ。裕福な家庭で育ち、勉強もできて、容姿にも恵まれたジュヨンと、父親を交通事故で失い、貧しいながらもつつましく日々を暮らしていたソウン。正反対の二人の関係は、ジュヨンがソウンを庇護することで成立していた。それが、18人の共通する認識である。だが、ある人はソウンが調子に乗ってジュヨンから金銭をせびろうとしていたと言い、ある人はジュヨンがソウンを一方的に支配し虐げていたと言う。ジュヨンは稀代の嘘つきで、保身のためならためらいなく人を陥れるおそろしい一面をもっていた、とも。
ジュヨンがそんなひどいことをするはずがない、という擁護の証言は、読みすすめていくうち、どんどんかき消されて、傲慢で横暴な印象を植えつけられていく。しだいに自分の言うことを聞かなくなっていったソウンを、ジュヨンならおもちゃを捨てるように殺してもおかしくないと。警察はもちろん、ジュヨンの両親にも、大金で雇われた敏腕弁護士にも、誰にも無実を信じてもらえないジュヨンもまた、しだいに「自分が殺したのかもしれない」と思うようになっていく。だって、「殺したい」と思ったのは事実なのだから、と。
人はみな、見たいものを見て、信じたいものを信じる。真実が証言者たちの主観によってねじまげられていくように、読み手である私たちもまた、証言者たちの声に押し流されて、ジュヨンとソウンに対する印象を変えていく。いったい誰の言うことが本当なのかさだめられないまま、物語は思いもよらぬ方向へと転がっていく。
あとがきで著者は〈『殺したい子』は、真実と「信じる」ということについての物語だ〉と述べている。18人の証言者たちはみな、自分の見たこと・聞いたことが真実なのだと信じていた。だが本当は、他者ではなく自分こそを疑わねばならないのではないだろうか。真実を知りたいのならば、まずはそこから始めるしかないのかもしれない。
文=立花もも