幼稚園で初めての作曲、YMOの成功、知人の死…。自らの言葉で綴った坂本龍一激動の半生

文芸・カルチャー

公開日:2023/4/28

音楽は自由にする(新潮文庫)
音楽は自由にする(新潮文庫)』(坂本龍一/新潮社)

 2023年3月に惜しまれつつこの世を去った音楽家・アーティストの坂本龍一氏。2009年に出版された自伝『音楽は自由にする』が、このたび文庫化されました。人生における分岐点や、周囲からどんな影響を受けながら育ってきたかが振り返られています。

 東京で生まれ育った幼少期に早速、大きな分岐点が登場します。毎週のようにピアノを弾き自分で作曲までする幼稚園に、母の意向もあって坂本氏は通っていたそうですが、そうした環境でなかったら作曲はしていなかったか、もしくはもっと遅くに関心を持っただろうと振り返られています。

 譜面は無くなってしまったものの、その時に初めて作曲したのが「ウサちゃんのうた」というタイトルの曲で、夏休みの間、順繰りに各家庭にまわってきたウサギの飼育経験がベースになっていたそうです。「ウサギを飼ってみたときの気持ちを歌にしてください」というお題をもとに作曲したところ、くすぐったいような、「変なことをしちゃった」というような、一生頭に残るような記憶になったと語られています。

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 大人の棚からレコードを拝借したりして見識を深めていく中でフランスの音楽家・ドビュッシーの世界観に心酔するようになったり、ビートルズやローリング・ストーンズなど海外スターの影響も受けたりしながら、東京藝術大学で学んだ坂本氏は「手っ取り早く稼げるから」という理由で音楽を仕事にしていきます。地下鉄の工事など、高賃金の重労働系アルバイトも一度はトライしたものの、雇い主から「君はこの仕事に向いていない」と告げられ、数日で辞めることになったといいます。

 そうしているうちに、同じ東京なのに全く違う背景で育ってきた細野晴臣や高橋幸宏と出会い、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の活動が1978年に開始されます。1979年には初のワールドツアーを行い、スタートの地・ロンドンの光景は、「ウサちゃんのうた」の原初体験同様に、脳裏に焼き付いている記憶がスローモーション再生されているかのような筆致で綴られています。自分が演奏している目の前で、現地の聴衆のカップルが踊り始めた様を見たときのことです。

こんなカッコいいカップルを踊らせているんだから、俺たちって、俺ってすごいぜ、みたいな、そんな恍惚感を演奏しながら覚えた。電気が走るような感じ。そして「そうだ、これでいいんだ」と思った。

ぼくはそれまでずっと、自分はこういう方向性で生きていくんだ、と思い定めるようなことはなるべく避けていました。できるだけ可能性を残しておく方がいいと思ってもいた。でもそのときロンドンで、「この形でいいんだ」と思った。

「自分の進むべき方向を、自分で選び取った瞬間」とも坂本氏は述べていますが、様々な葛藤や迷いを土台にした転機というものがあったということには、多くの読者がとても勇気づけられるのではないかと思います。

 一方で、学生時代から親しくしていた知人を亡くしたことを振り返る坂本氏の言葉からは、死によって知人の存在が一気に遠くなってしまったことを痛感させられます。「音楽の中に生き続けている」と言うのは簡単ですが、やはり寂しさも感じざるを得ません。

ただ、そういう親しい人が死ぬと、いかに人間と人間は遠いか、いかに自分はその人のことを知らなかったかということを思い知らされます。生きている時は、お互い適当にしゃべったりすることもできるから、なんだか相手のことを分かったような気になっている。でも、その人が死んだとき、まったくそうでないことがわかる。いつもそうですね。僕の場合は。

「戦場のメリークリスマス」や「ラスト・エンペラー」の作曲、出演を同時に果たしたことなど、華々しいように思える坂本氏の生き方、キャリアにも、坂本氏なりの不自由や葛藤がありました。そんな中でもできるだけ「自由」であろうと志向した人生は、本書が出版された2009年以降にも貫徹されているように思います。いまいちど本書をもとに、坂本龍一氏が一歩一歩どのように進んでいったのか、振り返ってみてはいかがでしょうか。

文=神保慶政