オールナイトニッポン55周年! タレントの起用、2部制になった経緯…今もなお愛され続ける人気ラジオ番組の歴史と裏側
公開日:2023/4/27
中学生時代、寝ぼけまなこで聴いていた「Bittersweet Samba」の音色をいまだに覚えている。言わずと知れた、ニッポン放送の老舗ラジオ番組「オールナイトニッポン」のオープニングテーマだ。番組は放送開始55周年を迎えてもなお、たくさんのリスナーの心をつかんで離さない。
書籍『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』(亀渕昭信/小学館)は、番組立ち上げからの歴史を知る著者の亀渕昭信氏をはじめ、「オールナイトニッポン」関係者の証言を集めた貴重な一冊。脈々と続く老舗ラジオ番組の裏側は、たいへん興味深い。
カラーテレビの台頭に危機感。ラジオ業界、起死回生の一手
初回放送は、1967年10月2日。亀渕氏はオールナイト初期にパーソナリティを務め、ニッポン放送社員として番組に関わっていたという。
なぜ、今なお続く老舗ラジオ番組は生まれたのか。立ち上げ当時の背景にあったのは、メディアの変化だった。1960年代の半ばは、それまで天下を取ってきたラジオ業界がカラーテレビの台頭で、凋落の一途をたどりつつあった時代。そこで若者のための深夜ワイド番組を作ろうと、ニッポン放送のスタッフは奮闘した。
かくして、スタートした「オールナイトニッポン」。開始当初の1年間は「知名度のない番組はスポンサーに安く買い叩かれる。だったら人気が出るまでじっと我慢しよう」との理由で、あまりスポンサーをつけなかったという。
タレント起用、2部制導入。1970年代の転換期
当時の受験戦争の激化などを受けて、「オールナイトニッポン」は若者をターゲットにした深夜ワイド番組として一躍人気に。ライバル番組のTBSラジオ「パックインミュージック」や文化放送「セイ!ヤング」としのぎを削るようになった。
現在のように、タレントが日替わりでパーソナリティを担うようになったのは、1973年。オーディションにより選ばれた小林克也、泉谷しげる、あのねのね、斉藤安弘、カルメン、岸部シローが、記念すべき初代タレントパーソナリティ陣になった。
番組の2部制が導入されたのも同時期の1970年代だった。ニッポン放送は、「曲をカットされてしまうテレビなんか出たくねぇぜ」と思ってくれるアーティストを積極的に起用。番組の面白さはスタジオの熱気に比例する、リスナーを巻き込めない騒ぎはつまらないとして、リスナーからのハガキや電話を活用しながらの番組づくりに努めていたという。
さて、ここまでの話は「オールナイトニッポン」の歴史にとって、ほんの序章に過ぎない。本書では、タモリやビートたけし、中島みゆきなど伝説的なパーソナリティの逸話なども明かされている。「radiko」もありラジオブーム再燃中の今、「オールナイトニッポン」は、ラジオ界のけん引役としてなおも強い存在感を放つ。
文=カネコシュウヘイ