ファミリーヒストリーは個人でもたどれる! 5代前の先祖までさかのぼり、最古の戸籍にあった住所を訪れたら大きなドラマがあった
公開日:2023/5/3
自分のルーツを、家系図作りで知ることができる。私は約8年前に、「先祖を知りたい! 家系図の作り方を学ぼう」と題したブックレビューを書いた。
家系図を作る場合、その道のプロである「専門家に依頼する」手段がまず思い浮かぶ。しかし、それなりの費用もかかりそうだ。ところが、それなりの手間ひまはかかるものの、なんと家系図は誰でも自作できるし、運が良ければ江戸時代を生きた先祖までたどることもできる。その方法を紹介したのが、本書『江戸時代の先祖と出会う 自分でつくれる 200年家系図』(橋本雅幸/旬報社)である。
自分の祖父母の父母(曽祖父母)、人によってはその父母(高祖父母)くらいまでは、名前がわかるかもしれない。しかし、江戸時代の先祖の名前まで知っている人は、そう多くはないだろう。
ブックレビューを書き上げたものの、そんな自分でも江戸時代の先祖まで本当にたどれるのだろうか。ちなみに、私は家系図を持っていないし、祖父母の名前までしか知らない。可能であれば江戸時代の先祖の名前を知りたいし、小学生の息子にルーツの意義を教える機会にもなるだろう。そうして私は、ブックレビュー執筆後すぐ、本書にそって家系図作りに取り組んだ。今回は、8年前の思い出をたぐりながら、一庶民による家系図作りの実際を綴ってみたい。正直なところ、8年前にもなると記憶が怪しい部分が多々あるが、できるだけ正確に思い出して綴るよう努めるので、事実とは多少の誤りがあっても目をつむってもらいたい。
さて、私は本書に従って、まずは自分自身の戸籍を出生までさかのぼってみた。具体的には、自分自身の本籍地がある自治体の役所に請求して、出生までさかのぼる戸籍謄本(こせきとうほん)を取り寄せる(戸籍の一部の人のみが記載された「戸籍抄本(こせきしょうほん)」ではなく、戸籍の全員が記載された「戸籍謄本」である)。「現戸籍」だけでなく、「除籍」や「改製原戸籍」ももれなく入手することが重要だ。
ちなみに、戸籍謄本とは、私たちが厚生年金や遺族年金などの受給申請、本籍地以外での結婚届・離婚届の提出、パスポートの発給申請ほかで必要になる、人生において無縁ではないものだ。これらを手に入れることは難しくない。
私は、現戸籍と呼ばれる現在効力をもつ「平成六年式」(最新形式である横書きの)戸籍と、この一つ前の「昭和二三年式」(この形式以前は縦書き)の戸籍を、発行してくれる自治体の役所まで自転車、あるいは電車で取りに行った(必要書類や手続き方法などは、本書にあたってもらいたい)。この「昭和二三年式」が私の最古の戸籍であり、私の父母の名前や、続柄、私がどこで生まれ、どの戸籍から抜けてこの戸籍が作られたか、などが書かれている。
私がこの戸籍の一つ前に入っていたのが、父の戸籍である。記載されている住所をたよりにして、家系図作りで次に必要な“一つ前の代の戸籍”を発行してくれる自治体の役所から入手する。私の場合は、電車で1時間ほどの距離にある実家の役所に行き、申請・入手した。父の現戸籍には、私や兄弟の名前があり、父がその前に入っていた(父が結婚前に入っていた)戸籍の住所がある。つまり、次に入手すべき「祖父の戸籍」である。
このようにして、一代ずつさかのぼって戸籍を収集していくことになる。この作業は、私にとって「手間ひまがかかるもの」ではなかった。なにしろ、私にとって未知だった真実がどんどん明らかになっていくのである。そして、約1週間おきに届く新しい戸籍が入った封書を、ワクワクしながら開封した。宝箱を開けるかのような気持ちだった。家系図作りは、作る過程も楽しめる極上の体験だと言いたい。
ところで、私にとって衝撃的だったはじめの出来事は、私の父に、私が知らないきょうだいがいたことだ。戸籍には、名前も知らなかったその叔母がどこで生まれ、わずか2カ月で亡くなったことが書かれていた。意外な事実が、ごく身近にあった。
さて、私が名前を知っている限界点である祖父は、どうやら京都の戸籍から転籍したとある。私の家系のルーツは京都にある、と幼い頃から父に聞かされてきたとおりだ。祖父の戸籍には私がはじめて見る祖父の父母(曽祖父母)の名前もあり、このあたりから未知の領域に踏み出したドキドキ感を味わった。
京都のその自治体の役所は、電車で行けなくもないが、まとまった時間が取りにくかったこともあり、郵送で取り寄せることにした。料金は現戸籍1通あたり450円、除籍・改製原戸籍1通あたり750円。各役所のホームページの「戸籍」に関するページを確認して、窓口宛に申請書など必要書類、戸籍取得費用分の定額小為替(現金を封書に入れることはできないため)、切手を貼った返信用封筒などをまとめて送る。ただ、発送時点では戸籍が何通発行されるかはわからない。そこで、定額小為替は多めに送る(差額は返金される)。また、戸籍枚数が切手分を超えることを想定して、返信用封筒には「不足料金受取人払い」と赤字で書いておく。ここらへんの実務的なことも、本書に詳しく書いてある。
私の家系図作りの続きだが、曽祖父、高祖父と代をさかのぼるにつれ、戸籍から歴史を感じることができた。例えば、曽祖父は7人きょうだい、高祖父は5人きょうだいであり、少子化の現代日本とは違った様子であったことを想像させられる。また、名前に変体仮名が散見されるようになる。例えば、私の場合では、漢字の「乃」や「葱」に似たような字に、ひらがなの「み」の女性名がはじめに登場した。他には、漢字の「川」の字のような字に、漢字の「志」の女性名。本書は付録に変体仮名の字体例があり、息子とあれかなこれかなと探しながら、先祖の名前を特定していった。先の例では、「たみ」と「い志」だ。「い」の変体仮名は過去によく使われていたのか、「いし」の他、「あい」「いよ」「てい」などにも見られた。
ところで、私の家系のルーツだが、先祖をさかのぼるにつれ、本籍地が京都を北上していった。そして、最終的には私の身にとってまったく馴染みがない石川県に到達した。私の知る範囲の血族の誰もが知らない新事実だ。最終的にたどり着けた先祖の名前は、佐藤兵衛(さとうべえ? さとべえ?)。その子孫が誕生した年齢を考えると、おそらく文化10年(1813年)以前の出生と思われる。出生年月日がはっきりとわかるのは、佐藤兵衛の長男であり、私の5代前の祖。天保4年(1833年)6月20日の出生。歴史の教科書で習った「天保の大飢饉」や「天保の改革」の、あの天保である。こうして、私は江戸時代の先祖までさかのぼることができた。
最後に、私にとってはここからが大きなドラマだったが、家系図作り自体とはあまり関係がないため、さらっと書きたい。
最古の戸籍にあった住所をインターネットで検索してみると、なんと、その戸籍に書かれていた人物の一人の氏名、住所が掲載されていたのだ。私たち家族は、旅行先をあれこれ話し合っていたタイミングでもあったので、思い切ってその地へ行ってみることにした。自動車でじつに片道5時間以上もかかる、そこそこの長距離旅行だ。
金沢を延々と北上し、山道を行く。インターネットに載っていた地点付近で車を降りる。そこは、ごく小さな集落だった。先祖が親しんでいたであろう山奥で田んぼの細道を通り小さな神社などを散策しているうち、一人の住民とお話できる機会に恵まれた。わけを話し、私の名字の方がいるか尋ねてみると、なんとご親切にも電話で呼んでくれた。駆けつけてくれた私の5代前の祖の子孫である男性は、ご自宅に招いてくださり、先祖の話を聞かせてくれた後、自宅奥の山中にある先祖代々の墓にもお参りさせてくれた。
私は、さらに私の母方の先祖、また妻の父母の先祖をたどれる限りたどり、一枚の家系図にして息子へ見せた。この経験が息子にとってどのような形で残っているかはわからないが、親としては自分のルーツが確かにあるという証拠を拠りどころとして、自分という存在を大切にしていってもらいたいと願っている。
文=ルートつつみ
(@root223)