自称“ダメ人間”芸人が、財布やケータイを失くしても「生きていける」ではダメだと感じた夜
更新日:2023/5/5
どうしようもない失敗をやらかしたり、人前で大恥をかいたり、調子に乗った言動をブチかましてしまったり……。そんな過去をふと思い出して、夜中に叫びたくなったことはないだろうか。かくいう筆者も、泥酔してアントニオ猪木の顔はめ看板から顔を出した状態で前方に倒れ、顔面大流血した夜を思い出すとヒーッとなる。そんな黒歴史を抱えた人にとって、『一旦書かせて頂きます』(オズワルド伊藤俊介/KADOKAWA)は救いとも言える一冊だ。だらしなくても、やらかしちゃっても、どっこい生きてる。何なら、めっちゃ楽しそうじゃないか。
そもそもオズワルド伊藤さんは、しっかり者とは言いがたいタイプだ。いや、この際はっきり言ってしまうが、まぁだらしない。酔っ払って電車で眠りこけたあげく、大事なこけら落とし公演をぶっちぎる。財布もケータイも失くす。売れない頃は妹の天才女優・伊藤沙莉さんと同居し、家具も家電も妹もち。家賃は妹の1/3しか払わず、自らを「ひもお兄さん」と呼んではばからないダメっぷりだ。
このエッセイ集でも、そんなダメダメな素顔を惜しむことなく見せている。交差点に落としたケータイが、通りすぎる車にガンガン轢かれまくっているのを見て、それでも「でもまあ、生きていけるなあ」と思ってしまうエピソードなんて、ダメ人間ほど「わかる……」と胸に刺さるはず。でも、「生きていけるなあ」じゃダメなことも、伊藤さんは知っている。「生きていく」じゃないと。自ら「生きていこう」と選択しないと。そんな葛藤すらも曝け出しているからこそ、どうしようもなく応援したくなってしまうのだ。
伊藤さんはだらしないだけでなく、欲を抱えた人でもある。売れたい。しこたま金を稼ぎたい。ひたすら褒められたい。M-1グランプリで何が何でも優勝したい。内に秘めた欲望を、これほど赤裸々に語る人がいるだろうか。普通なら世間体や好感度を気にしてマイルドに語りそうなものだが、彼の辞書に「オブラート」の文字はない。むきだしの欲望をぶつけてくるTHE 人間な姿に清々しささえ感じてしまう。
天下を取る人には、2タイプあると思う。ひとつは、強烈なリーダーシップで人を引っ張るタイプ。会ったことはないが、織田信長なんかは多分このタイプだろう。そして、もうひとつは「この人を何とかしてあげたい」と思わせるタイプ。一見すると頼りないけれど、どこか放っておけず、「しょうがないなあ」とひと肌脱ぎたくなってしまう。オズワルド伊藤さんは、圧倒的に後者だ。
もちろん、傑出した漫才の実力、エピソードトークの切れ味、類まれなワードセンス、当意即妙なツッコミ力があるからこそ、今のポジションを築けているのだろう。文章からも、才気がほとばしっている。「妹のプリンを食べてお腹をこわした」という話を、ここまでスリリングかつ臨場感たっぷりに、声に出して笑っちゃうほど面白く書ける人はそうそういない。
だが、それ以上にこのエッセイからは、人としての底力を感じるのだ。なんだ、この人間力の化け物は。ダメダメだけど、目で追ってしまう。次に何を言うのか、気になってしまう。彼がなぜM-1決勝に4回も進み、テレビに出まくっているのか、読めばその理由がわかるはず。伊藤俊介という底知れぬ才能の解像度を高めるとともに、世のダメ人間に希望を与えてくれる一冊だ。
文=野本由起