ジェーン・スーさんが13人の女性たちを通して見えた共通点とは。書籍タイトルを『闘いの庭 咲く女』とした意味と現代を生きる女性たちに向けたメッセージ
公開日:2023/5/2
このほど、足掛け6年にわたって手がけてきた『文春WOMAN』でのインタビュー連載を、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)にまとめられたコラムニストのジェーン・スーさん。「伝記になる人物より身近な女性の成功譚を聞きたかった」というスーさんは、一条ゆかりさん、北斗晶さん、田中みな実さん、辻希美さん……世代も活躍する世界もバラバラな13人の女性たちのゼロ地点からの「奮闘」を追っていく。一冊の本としてまとまった今、何が見えてくるのか。スーさんにお話をうかがった。
取材・文=荒井理恵 撮影=島本絵梨佳
「自分で自分の居場所を作った人たち」に話を聞きたかった
――本書にはさまざまな女性たちが登場します。まずは、この方たちを選んだ理由を教えてください。
ジェーン・スーさん(以下、スー):「自分で自分の居場所を作ったんだろうな」と私が感じた、私の好きな方たちですね。みなさんのお仕事を拝見していると、どの方もこの人にしかできない仕事、この人にしか作れなかったであろうポジションがあると気付いて。それで、お話を聞いてみたくなったんです。
――本書の掲載順は基になったインタビューと同じ順番ですか?
スー:単行本では変えています。インタビューの第一回は柴田理恵さんでした。ちょうど私のやっているラジオ番組の前の時間帯の番組で柴田さんが曜日パートナーをされていて、すごくお話が面白くて。ほとんど面識はなかったんですが、お話きかせてくださいとお願いをしました。
――どのようにインタビューを申し込まれたのでしょう?
スー:編集の方からお願いしていただきました。みなさんに最初にお話ししたのは、前書きに書いたようなことです。女性が「自分にもできるかも」とか、「こういうふうになってみたい」と思えるような成功譚がほんとに少ないので、そういうものを世に出したいとこの連載を始めたのでご協力ください、と。
――インタビューは難しかったですか?
スー:全部チャレンジでしたね。連載をスタートするまでインタビューの経験はほとんどゼロでしたし、文章に仕立てる作法もわからなかったし、手探りでした。「できないからこそ、やれることは全部やる」と、事前にインタビューや記事を大宅壮一文庫で集めてもらったのを読み、著書も読みました。毎回6~8万字くらいの文字起こしになったので、それを削って1万字より少なくして、とにかく私はストーリーテラーに徹して、読者が気持ちよく読めるように書こうとは思っていました。
――実際、スーさんのストーリーテリングによって、より彼女たちの「人生のポイント」がわかります。
スー:感じるところは人それぞれだと思うんですが、私が感じ入ったところはハイライトするつもりで書きました。自分で役割と居場所を作った人たちのクリエイティビティには、通底するものがありましたね。
「ふてくされない」「自分を諦めない」「めげない」
――どうしても「成功した後」の姿でみなさんを捉えてしまいますが、そこまでに通ってきた道は意外なことも多く興味深かったです。どう感じられましたか?
スー:みなさん簡単に現在のポジションを獲得したわけではないんですよね。獲得というよりは「自分の花を咲かせた」というイメージ。それで本のタイトルには、連載時の『彼女がそこにいる理由』のまえに『闘いの庭 咲く女』をつけました。伺ったお話のなかは知らないこともたくさんありましたけど、あらかじめ準備された道があったわけでも、目的地にまっすぐに行けたわけでもないだろうと思っていたので、意外だったというより「やっぱりそうだったか」という感じでした。みなさんのお話を通して聞いてみると、濃淡はあれど、共通点がありました。
――その共通点とは?
スー:帯にも入れましたが「ふてくされない」「自分を諦めない」「めげない」ですね。あとは「自分のやりたいことがちゃんとある」ということ。人が喜ぶ顔を見るのが好きとか、サービス精神もみなさんすごくある。
――自分に対して客観的でもありますよね。
スー:そうですね。うまくいくために必要なことのひとつとして、自分を客観視できるかというのはあると思います。みなさん自分だけでなく周囲への観察力もすごくあります。
――意外だったのは、成功している方は「自己肯定感が高め」なのかと思っていたらそうでもなくて……。
スー:そうなんですよね。吉田羊さんや田中みな実さんがそうだったなんて、にわかには信じがたいことでした。実は望まれて生まれたわけではなかったという方が何人かいらっしゃったのも、すごく象徴的でした。自分の存在を自分で証明しなければいけない、というプレッシャーを燃料にされたんでしょうね。一条ゆかりさんなんか最たるものですが、北斗晶さんもそうでしたし、自分で自分に「存在していい」理由を示す必要があったのでしょう。
――家族との関係、特に母親との関係は女性の人生に大きな影響があったりしますが、そのあたりはどう感じましたか?
スー:同性である母親とは、父親とは違う関係性が育まれるとは思いますけれど、母親との密な関係って同時に父親との無関係と背中合わせなんですよね。父親とのコミュニケーションを一番積極的に話していらしたのは吉田羊さんでしたが、それ以外の方は父親が子育てに参加する世代ではなかった分、どうしても母親との縁が濃厚になりますよね。ただ、そこをことさら強調するつもりはありませんでした。結果としてみなさんからそういうお話が出てくることは多かったのですが、単純にコミュニケーションを取る相手として、お父様よりお母様だったんだろうなという。「母と娘との関係」というアウトラインを強調していくのは、もう時代じゃないなとも思っていて。普遍性のあることではあるんですけど、そこを読んでほしいわけではないので。
――それよりも「自分を信じる強さ」とか、自分自身のことというわけですね。
スー:どなたも自分の信じているものを信じ続ける力を身につけていらっしゃるし、周囲やご自身に対する観察力がずば抜けています。扉が開かなくてもあきらめず、いろいろ試して工夫して突破口を見つけることに関して、みなさんすごく長けていらっしゃいます。
――そういうことを「あなたにも応用できる」と女性たちに受け取ってほしいと?
スー:そうです。社会の期待に従順に生きていたら、どうしたって女性は自分に自信が持てないシステムになっています。「私には無理」と思う人がいたとして、それは自分の資質や能力のせいではなく、性別で振り分けられた役割を真面目に担ってきたからかもしれない。思い込みかもしれないと気づいてもらえたらいいなと。みなさん、何者でもないところから始まった話を書いたので、読者のみなさんに共感していただけるポイントはたくさんあると思いますね。
一歩踏み出せなくて「自分」が困るなら、なんとかしないと
――連載は足掛け6年とのことで、社会も少しずつ変わってきてもいます。でも、やっぱりこの方たちの生き方から学ぶタフさの重要性みたいなものは変わっていないと思われますか?
スー:社会の構造が変わらないと、ある種のタフさが女性に必要な状況は一朝一夕には変わらないでしょうね。歪な社会構造が生む問題が女性にしわ寄せされることが、私はすごくいやなんです。なぜ自分が納得のいかない状態になっているのかを紐といていけば、そうならざるをえなかった「自分の資質や能力のせいではない」理由が必ずあると思う。それが見つかったら、自分で解除できる心的要因や環境的要因を取り除いて、可能性を存分に味わえるようになるといいなと思っています。
――結果だけを見がちですけど、そのプロセスを見ていくことの大事さをこの本でとても感じました。
スー:私もそれを伝えたかったんです。最初から幸運の女神にほほえまれた人も、神様みたいな人から突然フックアップされた人もいないと。みなさん本当に一筋縄ではいかないところを、諦めずに粘って道を作ってきた方ばかりです。めげず、くさらず、っていうところが一番じゃないですかね。自分を信じているからできるんだと思います。
――自分を信じる力。その根源ってどんな風に考えられますか?
スー:最近、「となりの雑談」というポッドキャスト番組を桜林直子さんと始めたんですけど、そこで彼女が「みんな自分のお気に入りの傷があって、そこを撫でに戻ってくる」っておっしゃったんですね。「私はダメなんだ」とか「私にはこういうところが足りない」とか、撫でてると安心するようなある種の自己憐憫に近い傷や思い込みがあると。「私には無理」も同じで、そう思っていたほうが傷つかない。そういうものに飲み込まれないようにするには、やっぱり練習するしかないんですよね。イヤなときにはNOと言うとか、やってみたいときには手をあげるとか。そうやって、少しずつ自分を尊重して信じてあげられるようになるんだと思います。今持ってるものが自分を幸せにしているかを吟味することも、自分自身を客観的に見ることも、全部練習しかないと思います。間違えないと成功もしないですから。一歩踏み出すのがどうしてもできないとおっしゃる方もいますが、今の状態が心地よいならそれでいいんです。でも、それでは自分が困ると思うなら、なんとかしないとね、と思います。
――この本を読む人たちは、そのへんをキャッチしてくるような気がします。
スー:小学校の頃、図書室にあった女性の伝記は、自己犠牲や他者への献身、何重もの苦難を克服するとか、そういった話が多かったように思います。キュリー夫人のように探究心にあふれていて、ノーベル賞を二度受賞するという成果をきちんと残した人でも、伝記のタイトルは「キュリー『夫人』」なんですね。キュリー氏の妻であって、私が彼女の下の名前を知ったのはずいぶんあとでした。そういう話ばかりでは、やりたいことで夢を叶えるなんてことは、ある種「おこがましい」と思ったり、自分には能力がないと思ってしまったりするのが容易に想像できます。男性の場合は日経新聞の「私の履歴書」のような成功譚が身近にあるわけですが、女性には乏しい。だとしたら、女性たちを「自分にもできるかも」と思いやすい状況にまず持っていきたい。それが今回の私の欲望ですよね。
――今、ジェンダーに関する教育も盛んだったりと、以前より環境は変わってきている面もあります。この先、女性をとりまく社会は変わっていくと思いますか?
スー:少しずつですが、良いほうに変わっていくでしょう。社会が変われば人も変わっていく。でも、それまでのびのびと生きてきた若い世代が社会に出てみたら、昭和の残滓みたいな人たちから価値観や振る舞いをジャッジされて凹んだ、なんてことにならないといいな。どうしてもそれを避けられないとしたら、あらがうだけの武器なり鎧なりを授けられるといいなと思います。
――この本が伝えてくれるエッセンスも、そうした武器になるかもしれませんね。
スー:そうだといいですね。