「お前が指示したら選手が下手になる」ーー元サッカー日本代表監督オシムが遺した、人々の人生を変えた言葉とその真意とは

スポーツ・科学

公開日:2023/5/19

オシムの遺産(レガシー)
オシムの遺産(レガシー)』(島沢優子/竹書房)

「私は日本のサッカーを日本化するつもりだ」

 Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉をリーグ屈指の強豪へと変革したイビチャ・オシム監督が、2006年に日本代表監督に就任した記者会見で放った言葉だ。2敗1分でグループリーグ敗退したドイツワールドカップ直後の当時、この言葉は失意の中に射した光のように感じながらも、「日本化」したサッカーとはどんなものなのか疑問にも思った。

 昨年5月に80歳で亡くなったイビチャ・オシムは、旧ユーゴスラビア代表監督として1990年イタリアワールドカップでベスト8。2003年にはJリーグのジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任。1年目から首位を走り優勝争いを演じ、2005年にはヤマザキナビスコカップ優勝し、チームに初タイトルをもたらす(約3年半での勝利数はジェフの歴代監督の中で1位である)。2006年には日本代表監督に就任するも翌年に脳梗塞で倒れ、道半ばで監督を辞任した。

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 島沢優子『オシムの遺産(レガシー)』(竹書房)は、オシムと関わりのあった選手、通訳、コーチなどの証言から、彼が日本に“遺していったもの”を知ることができる一冊だ。

 オシムと言えば、目立たないがチームに献身的でなくてはならない重要な選手を指して「水を運ぶ人」と呼ぶなど、独特の表現から溢れる含蓄ある“語録”が知られるが、本書もまた含蓄に富んでいる。例えば「プロスポーツは結果がすべて」とよくいうが、オシムは結果よりも、そこに至るプロセスを重視する。ゴールそれ自体を褒めることはめったにしないオシムは、得点に至るスペースの動きや、起点となるプレーなど、チーム全体の得点へのプロセスを評価するのだ。それはサッカーがプレーの積み重ねで成り立っているスポーツだからである。ジェフのレジェンドである佐藤勇人は、首位争いしていたジュビロ磐田戦のロスタイムに決定機を外してしまうが、記者会見でオシムはあの時間帯でゴール前まで走った佐藤のプレーに賛辞を送った。責任を感じていた佐藤は、ゴール前までに至るプレーをしっかりと見てくれていた監督に感激したという。オシムが佐藤に語った「サッカーは人生と同じなんだ」という言葉とあわせて、オシムのサッカー観と人生観が垣間見えるエピソードである。

「おまえが指示を出したら、その選手が下手になる」

 本書でもっとも印象的だったのが、当時ジェフのコーチであった小倉勉のエピソードである。練習試合中に選手に指示を出していた小倉はオシムから「おまえが指示を出したら、その選手が下手になる」と指示禁止を言い渡される。練習後に理由を訊ねると、ミスする選手には異なった理由があり、異なるミスをした選手を小倉は同じように扱っているというオシムの指摘だった。特にプレーの選択肢がたくさんあったために判断が遅れてミスした選手への指示は、逆に選択肢を狭めてしまい、結果として創造性豊かな選手のアイデアを潰してしまうことになるという。選手の特徴や個性、才能を把握することがプロのコーチであるという指摘は、サッカーだけにとどまらずとても示唆に富むエピソードである。

 名監督は結果を残すことにとどまるが、名指導者は人を遺す。オシムはまさに後者であった。ジェフの佐藤勇人は一度はサッカーを諦めたものの、復帰しオシムと出会ったことでいまではチームのレジェンド的存在となった。ジェフ監督時代のオシムの通訳であった間瀬秀一は、通訳を通じてコーチに転身しモンゴル代表監督を務めた。また医療福祉大学のサッカー部だった夏原隆之は、ジェフでオシムの薫陶を受けたサッカー部監督の秋山隆之から指導を受け、オシムのリーダーシップ研究の論文を発表することになる。オシムと関わった人々は、オシムのサッカーを通じて人生が動いていくのである。

 驚くのは、オシムは日本人以上に日本人を理解し、またサッカーというスポーツを通して日本人の社会や精神性への深い洞察があったことである。決められたルールから逸脱することができず、またルールを重視するあまり個々の主体性が失われ、行動に対してリスクを負わない。そうした習性を持つ日本人の行動原理を、オシムはサッカーを通じて変えていこうとしていたのが本書から見えてくる。そしてそんな彼の洞察による日本のためのサッカー哲学は、選手だけでなく、コーチや指導者にも受け継がれている。

「私は日本のサッカーを日本化するつもりだ」という言葉は、一見して日本人の伝統や文化を活かすことでサッカーの「日本化」を目指す言葉だと思えるが、実のところはサッカーにおいて弱点となる日本的な行動原理を日本人に気付かせ、自らが考えて主体的にリスクを負ってサッカーを変えていくことが、オシムの言った「日本化」だったのではないだろうか。本書に登場する人々を見ると、真の「日本化」というオシムの遺産(レガシー)は着実に日本のサッカーに遺されていると感じるのである。

文=すずきたけし