疲れた心にそっと届ける、癒しの一杯。注目の作家陣による短編小説集『ほろよい読書 おかわり』
公開日:2023/5/17
“今日も一日よくがんばった自分に、ご褒美の一杯を”
上記のキャッチコピーのもと、2021年に刊行され多くの人に親しまれた『ほろよい読書』の第2弾、『ほろよい読書 おかわり(双葉文庫)』(双葉社)が、新たに上梓された。
バーテンダーに想いを寄せる下戸の青年に差し出されたカクテル。本音を隠して出会った男女が、オイスターバーで繰り広げる飲み食い対決と心理戦。父の死後、16年ぶりに再会した継母と飲み交わす蒸留酒。「ありたい自分の姿」と「恋」の狭間で揺れる、少女の心とテキーラの滴。こだわりの日本酒が味わえる、ちょっと不思議な赤提灯の店。
全5編からなる短編小説集を手掛けるのは、青山美智子氏、朱野帰子氏、一穂ミチ氏、奥田亜希子氏、西條奈加氏の5名。注目を集める作家陣が、胸に一物がある主人公の葛藤、癒し、再生までを繊細に描く。
私が特に印象に残った作品は、一穂ミチ氏による『ホンサイホンベー』である。主人公の彩葉は、大学で日本文学の教鞭を執る父に育てられた。実母が病弱だったため、彩葉は幼い頃から父にべったりな娘であった。だが、大学生になった彩葉が帰省した折、父はベトナムからの留学生・ホアンとの再婚を告げる。
一学生として、教授の自宅に遊びに来ていたホアンは、教授の娘である彩葉とも親しい間柄だった。だからこそ、彩葉にとって、ホアンと父の再婚はすんなり受け入れられるものではなかった。突然の話に心をかき乱された彩葉は、疑心暗鬼に駆られ、言ってはならない台詞をホアンに投げつける。彩葉の父は、娘の暴言を許さなかった。それ以来、父が死ぬまで、彩葉は実家の敷居を跨ぐことはなかった。
ステップファミリーにとって最難関となるのが、「我が子と新しいパートナーとの関係」であると言われている。しかし、本作において、彩葉が父とホアンの再婚に激昂したのは、単に父親に対する独占欲からだけではなかった。もっと複雑に絡み合った激情が彩葉の中にはあって、だが、その感情を言葉にできるほど、当時の彩葉は大人ではなかった。
“言葉は武器である、とは父の口癖だった。ただし使い方によっては一撃で他者を殺し得るからどのように使うかよくよく考えなくてはいけない、とも。”
彩葉は、自分がホアンに対して使った言葉が「一撃で他者を殺し得る」類のものであると自覚していた。だからこそ、その日の自分を16年間恥じてきたのだ。大切な人が相手だと、つい甘えが出る。「わかってくれるはず」「許してもらえるはず」――そんな傲慢な甘えが、積み重ねてきた大切なものを一瞬で破壊する。
父の弔いの作業を済ませた彩葉とホアンは、お寿司をつまみながらジンを飲み交わす。ジンについて詳細に語るホアンの語り口は、滑らかで正確だった。ジンやウイスキーなどの蒸留酒は、ラテン語で「アクア・ヴィテ」と呼ばれる。「命の水」を意味するお酒は、香りも純度も高い。純度の高い想いほど、なぜか人を傷つける。その残酷な矛盾を噛みしめながら語り合う二人の姿は、傷つけ合っているようにも、愛し合っているようにも思えた。
「ホンサイホンベー」とは、彩葉に出会ったばかりのホアンが教えたベトナム語だ。この言葉の意味を、ホアンは「彩葉が大人になったら教えてあげます」と言った。父の死後、ホアンからの呼び出しを受けて帰った故郷で、彩葉はようやくこの言葉の意味を知る。16年前の“隠された”真実と共に。
他の作品においても、自身の失言や失った大切なものを思い、悔やむ登場人物の姿が描かれている。自責と共に浮き上がるやるせない感情は、行き場をなくし立ち尽くす。そんな澱を流してくれるのが、「お酒」、もしくは「お気に入りの一杯」の存在なのかもしれない。本書の第1章『きのこルクテル』では、「飲めない体質」に劣等感を抱く下戸の青年・永瀬が登場する。永瀬の存在により、本書はお酒を「飲める人」「飲めない人」双方が楽しめる作品に仕上がっている。
口内に広がる芳醇な香りと、心を満たす充足感。両者が絶妙に混ざり合う本書は、心地良い「ほろよい」を連れてくる。読了後にほどけた心身は、あなたの明日の足取りを軽やかにしてくれるだろう。
文=碧月はる