カナダで乳がんになったーー医療制度の違いを乗り越え治療に励んだ日々を綴る、西加奈子のノンフィクション作品
公開日:2023/6/17
カナダで、がんになった――。直木賞作家・西加奈子氏の最新刊『くもをさがす』(河出書房新社)は、同国で乳がんとコロナに罹患した彼女によるノンフィクション作品だ。西氏いわく、心身が前に進むための手段として綴った手記だというが、これはいわゆる「闘病記」とは異なる類の本に思える。むしろ、自らの病状を定点観測した、観察記のような様相を呈しているからだ。
西氏が病に苦しむ姿は、読んでいて、なんて痛そうで辛そうなんだ、と我が事のように胸が痛む。様々な薬を服用して苦しむ彼女の姿に、熱烈に感情移入せずにはいられなかった。まるで自分もその痛みを共有しているような感覚になったのだ。
がんの治癒は一向に安定しない。一進一退の攻防である。ここが良くなったと思ったら別のところが悪くなるなど、治療は果てが見えない。救急車を呼ぶために這い上がる気力もなく、必要としている鎮痛剤がなかなか入手できない。更に、夫も子供も愛猫も病を患い、思うように身動きが取れなくなることもある。そんな西氏の実感のこもった文章はヘヴィでシリアスだ。
だが、重い状態に陥る彼女の周囲には、いたわりの言葉をかけてくれる人がたくさん存在する。皆、聡明で思慮深く、西氏は皆に救われている。俗っぽい言い方になるが、友人たちは「キャラ立ち」しているので、読んでいて彼ら/彼女らに親近感が湧く。また面白いのは、カナダ人が話す英語が、本書ではすべて関西弁になっているところ。皆の人の良さや温かさが行間から滲み出るのは、そのせいだろう。
医療制度が日本とカナダで大きく異なるのも、西氏が難儀したことのひとつ。同国では診療のアポイントメントを取るのに膨大な時間を要することも。読んでいて思わずじりじりしてしまう場面もある。すべてを放り投げてどこかに逃げ、消えてしまいたい。そんな心境にもなる西氏だが、それでも治癒を諦めない生命力と底力にはいたく感動した。
一時的に日本で過ごす日々もある彼女だが、そこでもカナダの習慣とのギャップを感じる。西氏は、久々に訪れた日本で、脅しのような広告やポルノ紛いの絵や写真を街で見かけて、唖然とする。カナダではありえない光景だからだ。障害者への配慮でも、彼ら/彼女らがひとりで移動できるように街がデザインされているカナダとの落差にも驚いたという。
本書の最大の見せ場と筆者が思ったのは、がん治療が終わったあとの日々だ。西氏の友人は、病が寛解し、闘病の日々が終わってから、生きる目的を失ってしまったという。一種の虚脱状態というべきだろうか。中には病が去ってから幸せ過ぎて怖いという人や、もっと自分に不幸が降りかかるのではないか、という人もいる。
治療が辛かった時に西氏は、がんが治ったらやりたいことのリストを作っていて、治療後にそのすべてを遂行する。だが、先出のがん患者の例のように、西氏はいわく言いがたい複雑な感情に囚われてしまう。平和な時間を取り戻した西氏は「こんなに幸せやのに、なんでこんなに不安なんだろう」と漏らす。健康で平穏な日常が戻ってきても、がんの残像がどうしても拭えないのだろう。だが、彼女にとって快癒はエンディングではなく、スタート地点である。今後の西氏の創作活動も気になるところだ。
外国で暮らす日本人女性の雑記という点で、本書はイギリスのブライトン在住のブレイディみかこ氏の著書とも通じるところがある。本書を読んで感じ入ることがあったら、彼女の著作にも手を伸ばしてほしい。想像していたよりもずっと、国ごとの生活や慣習が異なることを実感できるはずだ。
文=土佐有明