『月曜日の抹茶カフェ』が待望の文庫化!一軒のカフェを中心とした“つがい”の物語――青山美智子インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/8

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年7月号からの転載になります。

『月曜日の抹茶カフェ』カバー写真

 『お探し物は図書室まで』と『赤と青とエスキース』、『月の立つ林で』が本屋大賞に3年連続ノミネートされ、うち2作が2位に輝いた青山美智子さん。このたび文庫化された『月曜日の抹茶カフェ』は、累計29万部を突破したデビュー作『木曜日にはココアを』の続編にあたり、著者自身が「原点回帰した」と語る重要な作品だ。その想いを、改めてうかがった。

取材・文=立花もも 写真=田中達也(ミニチュアライフ)

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『月曜日の抹茶カフェ』
『月曜日の抹茶カフェ』宝島社文庫 760円(税込)

 単行本が刊行された2021年のインタビューで「作家として4歳を迎えたタイミングでこの作品を書いたことで、改めて原点回帰できたような気がする」と語っていた青山さん。

「インタビューを受けた時のことを振り返ると、作家として駆け出しのまだまだこれからというときに原点回帰だなんて、恐れ多いことを言ったなと反省しています(笑)。ただ、その勢いがあったからこそ書けた作品でもあって。今の私なら、観光でしか訪れたことのない京都に暮らす人々を、お抹茶や和菓子をめぐる物語として描くなんて、絶対にできなかった。当時も自分なりに取材などはしましたが、おいそれと手を出してはいけない深い愛の詰まったテーマだということを、今の私はいっそう理解していますからね。未知のジャンルに飛び込む勇気を初期に得られたという意味でも、ターニングポイントの作品だったなと思います」

 デビュー作でもある『木曜日にはココアを』は、東京の静かな住宅街の片隅で、川沿いにひっそりたたずむマーブル・カフェを中心に繰り広げられる群像劇……なのだが、舞台はカフェを飛び出して、オーストラリアのシドニーと東京を行ったり来たりしながら展開していく。『月曜日の抹茶カフェ』もまた同じ。マーブル・カフェが物語の発端ではあるものの、京都と東京の人間模様が交錯しながら広がっていく連作短編集である。

「実は私、『木曜日にはココアを』を書いたときから、さほどマーブル・カフェが中心の物語とは思っていなかったんです。読者のみなさんがお店やココアさんを大切に思ってくださったことで、カフェのお話として育てていただいたところがあります。今作で描く抹茶カフェなんて、定休日に一日だけ行われた限定イベントですしね。カフェのマスターが、〈人でも物でも、一度でも出会ったらご縁があったってこと〉と言っているように、一回きりしか出会えなかったと落胆するのではなく、その小さな縁から芽生えた種を育てて次に繋げていきたい、という願いは、舞台をマーブル・カフェに限定しなかったからこそ描けたのかもしれません。単行本刊行当時、宝島社の局長さんから“この作品は『木曜日にはココアを』のアンサーですね”とご感想をいただき、私としても、この2作には、つがいを見守るような愛しさを感じています」

縁は脆弱なものだからこそ強く握りすぎて壊さないように

『木曜日にはココアを』
『木曜日にはココアを』宝島社文庫 704円(税込)

 舞台を一カ所に限定しない、というところも含め、青山さんの小説には、手放すことを躊躇わない潔さがある。たとえば好きなことを諦めてまで婚約した相手と直前で別れた佐知と、紙芝居のパフォーマンスに生きがいを持つ友人の光都。そんな光都に厳しくあたり続ける和菓子屋の元女将である祖母のタヅ。時流に合わせて伝統を変えていくスタイルがタヅと合わない嫁の加奈子。彼女たちの縁が結ばれていく過程には、どうしたって理解し合えないものがあるということも、肯定的に描かれる。

「わずかでも相手との関係性ができたとたん、人はどうしても理解し合いたい欲が生まれてしまうものですが、それはとても難しいことだと心を初期設定しておいたほうがいいと思うんです。そうすれば、ほんの一瞬、心が通じ合えただけで嬉しくなるし、そのありがたさを大切に積み上げていこうと謙虚でいられる。相手の手を強く握りしめすぎないほうが、縁は長く続いていく。それは私自身、年を重ねるうちに理解できるようになってきたことです。そのためには、関係性に依存することなく、相手がいなくとも自分の力で立てる強さを備えなきゃいけないんだということも。縁って実はとても脆弱なもの、と作中である人物が言う場面がありますが、そこが私のすごく言いたいことだったのだと、読み返して改めて感じました。だから、文庫の巻末で、けんごさんがそのセリフを引用しながら解説を書いてくださったのが、とても嬉しかった」

 脆弱だからこそ、縁は努力だけでは紡いでいけない。お互い心から愛していたとしても、破綻してしまうことはある。そのことに打ちのめされる佐知の心の叫びもまた、本作が優しいばかりの物語ではないことを表している。

「他の生き物と違い、人間はあるがままでは生きられない。心を隠したり、嘘をついたり、複雑な状態になりながらも、幸せを願わずにはいられない。身の内にドロドロとした部分を秘めながら生きることのしんどさを、踏み込んで書いてみたい気持ちもあるのですが、それよりも私は、佐知に寄り添った光都のように、近づきすぎず見守ってくれる誰かの微笑みの力を、より尊重したいのだと思います。SNSで名前も知らない誰かが「いいね」をしてくれた、そんな些細なことで今日一日を乗り切れることってあるじゃないですか。誰かに注いでもらったあたたかな気持ちが、自分も別の誰かに優しくするための力になってくれる。現実には、すれ違ってしまいがちな人間関係のほうが多いのだとしても、相互作用の優しさでうまくいく未来を小説の中でくらいは信じてもいいんじゃないか、と思いながら書いています」

飄々と自由に生きるマスターという存在の愛おしさ

 距離感のある優しさ、の最たる例が、本作においてはマーブル・カフェのマスター。気の向くままに人々を援助し、縁を繋げる、謎多き人物である。

「小説家としてデビューする前、マスターのような人が現れてくれないかなといつも夢想していたんですよね。たった一人でいいから、君の小説はおもしろいよ、世に出ていかなきゃだめだよ、と背中を押してくれる誰か。実力不足や勉強不足は努力でしか補えないとわかっていても、誰しも、どん底の気持ちでいるときには、無条件で味方してくれる人が欲しくなるでしょう。私の小説を読んで救われたと言ってくださる方がいらっしゃるとしたらそれはたぶん、私自身が救われたいと思いながら書いているからだと思います。だからマスターのことは、どこかファンタジックな存在としてとらえていたんですが……最近、彼のような人は案外、世の中のあちこちに存在しているのだと気づきました。彼らは『自分がやってやった』なんて思っていない。自分が成したことの大きさに気づかず、飄々と自由に生きるマスターという存在の大きさも、伝わってくれると嬉しいです」

 マスターの結んだ縁は、物語のあちこちで芽吹いて大輪の花となり世界を彩る。その彩りが、読む人にとっても、今日と明日を繋げる希望となっていくのだ。

「私自身、縁が折り重なって広がっていく世界の情景に、わくわくされっぱなし。そのわくわくがある限り、私はいつまでも小説を書いていけるのだと、この作品は改めて教えてくれたような気がします」

青山美智子
あおやま・みちこ●1970年生まれ、愛知県出身。シドニーで新聞記者として勤務したのち上京、雑誌編集者を経て執筆活動に入る。デビュー作『木曜日にはココアを』が宮崎本大賞受賞。『猫のお告げは樹の下で』が天竜文学賞受賞(『月曜日の抹茶カフェ』にも関連人物が登場)。他の著書に『鎌倉うずまき案内所』『ただいま神様当番』など多数。