村上春樹『女のいない男たち』『国境の南、太陽の西』の青山を歩く。【村上主義者のための“巡礼の年”③】

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/5

 6年ぶりに出版された村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』。その舞台である街と図書館があるのは福島県Z**町とされており、その場所が実際にはどこなのか特定しようとする動きもあるようだ。久々に長編小説が出た今年を“巡礼の年”として、これまでの村上作品で描かれた場所を訪ねた。

村上主義者のための“巡礼の年” 第3回 青山
「木野」

女のいない男たち
女のいない男たち』(村上春樹/文藝春秋)

村上作品における青山は往々にして“魔窟”である

「木野」(村上春樹/『女のいない男たち』所収/文藝春秋)

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根津美術館

 村上春樹の作品には、東京都港区の“青山”が登場することが多い。小説やエッセイに出てくるエリアは、だいたい代々木駅から総武線で信濃町駅まで、そこから外苑東通りを南下して青山一丁目の交差点を通過、青山墓地の辺りまで行き、西麻布の交差点を右に折れて六本木通りを渋谷まで、そして山手線に乗ってスタート地点である代々木駅までを囲った、おおよそ一周9キロほどの場所だ。ここには村上が国分寺から越して再オープンしたジャズ・バー「Peter-Cat」があった千駄ヶ谷や、執筆のための仕事場、ファンであるヤクルトスワローズの本拠地である神宮球場があるなど、村上の生活の場でもあった。

 普通、青山というと洗練された都会を想起させるが、村上作品ではなぜか魔窟のような場所として出てくる。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では地下鉄銀座線の青山一丁目駅近くの線路脇が、正体不明のやみくろが棲む地下の世界へつながっていた。また『国境の南、太陽の西』では主人公・始が経営する青山のバーへ決まって静かな雨の降る夜にやって来る島本さんは得も言われぬ不思議な魅力のある女性であるが、おそらく彼女はこの世の人ではない。そんな魔窟・青山の中でも際立って不気味なのが、短編集『女のいない男たち』に収められている「木野」だ。

 木野には独身の伯母がいた。母親の姉で、顔立ちがよかった。その伯母は子供の頃から木野をかわいがってくれた。伯母には長くつきあった年上の恋人がいて(愛人といったほうが近いかもしれない)、その男は彼女に気前よく青山に小さな一軒家を用意してくれた。古き良き時代の話だ。彼女はそこの二階に住み、一階で喫茶店を経営した。小さな前庭があり、立派な柳の木が緑の葉を豊かに垂らしていた。根津美術館の裏手の路地の奥にあり、客商売にはまったく向かない立地だったが、伯母には不思議に人を惹きつける力があり、それなりに繁盛していた。「木野」

 妻に浮気をされ離婚を決意した木野は、すでに店を畳んで施設に住む伯母の店舗兼住宅に移りバーを開く。初めは順調だったが、ある客が来てからというもの奇妙な出来事に巻き込まれ(この短編は理不尽な展開ばかりだ)、木野をじりじりと追い詰めていく。しかし木野を追い詰める得体の知れない存在について詳しく説明されないまま物語が閉じられてしまうので、非常に後味が悪いのだ。

 根津美術館は傾斜地にあり、写真の手前の道を左へ折れて美術館の裏手へと行く道は西麻布方面へ向かってずっと下り坂になっている。そこは根津美術館の敷地から湧き出た水が流れ込む、笄川という川が流れていた場所だ。水と雨が「木野」の中で重要な意味を持つことと無関係ではないように感じる。

 しかし村上のエッセイに登場する青山は小説とはまったく別だ。『村上朝日堂』の共著者で、イラストレーターである安西水丸についてはこんなことを書いている(郊外で昼間にぶらぶらしていると学生に間違われる、という話からつながっている)。

 都心ではそんなことは絶対になかった。青山通りを昼間散歩していると同じような人々によく出会ったものである。とくにイラストレーターの安西水丸さんには度々出会った。
「安西さん、何してんですか?」
「あ、いや、まあ、なんか、ちょっとね」
 などといった具合である。安西さんという人は本当に暇なのか、それとも実は忙しいのだけれどそれが顔にでないのか、そのへんがまったくわからない人である。『村上朝日堂』

 青山の街で出くわす二人の話は要領を得ないが、どこか不思議さとおかしみがある。しかし原稿やイラストの納品を今か今かと待っている(おそらく締切日を過ぎているであろう)編集者の目には、二人が暇を持て余してぶらぶらと散歩をする魔窟での理不尽な出来事として映ってしまうかもしれない。やれやれ。

文・写真=成田全(ナリタタモツ)