傑作コミック『水は海に向かって流れる』が待望の実写映画化! 原作者・田島列島×主演・広瀬すず対談
PR 更新日:2023/6/12
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年7月号からの転載になります。
2020年の弊誌「プラチナ本 OF THE YEAR」も獲得したマンガ『水は海に向かって流れる』。著者の田島列島さんは手塚治虫文化賞新生賞を獲得し、今、もっとも注目されるマンガ家の一人だ。実写映画化を記念して、改めてその魅力に迫った。
文:立花もも
最初に浮かんだのは、木立の道を二人が静かに歩く姿だった、と以前弊誌でのインタビューで原作者の田島列島さんは言った。映画『水は海に向かって流れる』もまた、二人が並んで歩く姿から始まる。高校進学を機に、叔父の住む家に身を寄せることになった直達と、傘を持って彼を迎えに来たシェアハウスの住人で26歳のOL・榊さん。雨の音は激しいが、闇夜に街灯がほのかに反射するその情景はとても、静かだ。原作とは違って、直達が叔父さんの彼女だろうかと疑う心の声は描かれない。けれど、これまで自分の日常には入り込む余地のなかった大人の女性と二人きりで歩くことの戸惑いは、少し離れて歩くその後ろ姿から伝わってくる。
そんな、冒頭の数分で、掴まれる。ああ、これは直達くんと榊さんだ。二人の、複雑でものがなしさを背負った、だけどどこかユーモアの溢れる関係性は、ここから紡がれていくのだという、予感に胸がときめく。二人を演じる大西利空さんと広瀬すずさんのまとう雰囲気も、見事にハマっている。
二人をとりまくシェアハウスの住人も、いい。会社を辞めてマンガ家となった直達の叔父・ニゲミチを演じるのは、高良健吾さん。いいかげんなようで土壇場に強い肝の太さと、唯一の身内である姉(直達の母)には逆らえない気の弱さの両方をいい塩梅で表現し、直達にとっていちばんの味方であるという安心感が醸し出されている。
直達のクラスメート・泉谷楓(當真あみ)の兄で占い師の颯を演じるのは戸塚純貴さん。仕事の正装である女装姿で猫を守るため子ども相手にも闘争心をむきだしにする率直な人柄は、シェアハウスに漂う風通しのよさに通じるものがある。
そして、世界を旅する文化人類学者・成瀬教授を演じるのが、生瀬勝久さんだ。留守にすることは多いものの、榊さんの過去を知る唯一の人物で、第二の父とも呼べる存在である彼がいてこそ、物語は引き締まる。
この3人に加え、拾い猫のミスタームーンライト(愛称ムーちゃん)との暮らしはとても賑やかだ。カラフルな装飾品や衣装で視覚的に華やか、ということもあるけれど、彼らがただそこにいるということがどれほど直達と榊さんにとって光なのかということが、原作以上に映画からは伝わってくる。
直達は、榊さんが抱えている傷をつくった過去と、実は関係がある。榊さんがそれを知ったのも、直達を迎えに行く直前、ニゲミチから年賀状を渡されたときだった。直達の顔は知らないが、未だ癒えない傷をつくった相手の顔は知っている。その相手は、いまも穏やかな日々を送っている。その心情はいかばかりであっただろうと、観ている人が気づくのは、彼女が年賀状を眺める場面が過ぎ去ってしばらくしたあとだ。教授と榊さんが話をしているのを立ち聞きした直達と同じように衝撃を受け、そしてどこか硬質で心を閉ざした感じのする榊さんの横顔を思う。彼女は今、なにを想っているのだろう、と。
もし二人の関係が1対1で紡がれるものだったら、あるいはシェアハウスにいる第三者がニゲミチだけだったら、二人の距離が縮まることはなかったかもしれない。よそよそしく、気を遣いあって、榊さんは憎むことも怒ることもできないまま、黙って出ていってしまったかもしれない。
だけどシェアハウスには、颯も教授もいる。存在するだけで人を幸せにする、ムーがいる。その家には、画面越しにもあたたかさの伝わってくる、笑顔があった。仮に二人が気まずい状況に陥っていたとしても、緩和してくれる誰かが、必ずいた。
家族とは、そういうものなんじゃないだろうか。一緒にごはんを食べ、おいしいねと言いあい、くだらないことで笑う。いちいち記憶に残していられないような些細なことの積み重ねが思い出となり、居場所をつくる。直達とニゲミチを除けばみんな他人だったけれど、家族とはそもそも、他人同士が手をとりあい、寄り添いあうところから始まる。直達と榊さんの関係性と並行して描かれるシェアハウスの人間模様は、観ている私たちにとっても一つの理想として示される。1対1で目をそらさずに対峙することも大事だけれど、ほんの少し視点をずらして、他の誰かを視界に入れておくこともまた、結果的に大切な人にまっすぐ向きあうことになるのだということも。
とはいえ、核心に触れないままやりすごすには、榊さんの抱えているものはあまりに重たい。かといって、直達は“知ってしまった”ことを容易には話せない。因縁の相手がシェアハウスを訪れ、榊さんと再会してしまったことで、物語は一気に動き始める。この、因縁の相手の情けなさが、とてもいい。開き直ることも、逃げ続けることもできずに、中途半端な善意をみせたことで、榊さんどころか今いちばん大切にすべき家族の逆鱗に触れてしまうが、そのしょうもなさがあまりに人間くさくて憎めない(なお榊さんの母はそうそう一筋縄ではいかず、原作とはまた違うかたちで対峙する圧巻のシーンが描かれるので、ぜひ観てほしい)。
でもそれは、だから許せ、ということではない。納得しきれないものを抱えながら許す道を選ぶ人もいる。けれど、自分を傷つけた相手を一生許さない選択をするのもまた、その人の権利だ。榊さんは、どうしたってわりきれない感情を、一人で抱え込み続けてきた。それを半分もちたい、と直達は言う。榊さんを、周囲の人びとを、常に自分ではない誰かを慮って、感情を押し殺してしまいがちな直達に触れて、榊さんの心は少しずつ開かれていく。
そんな二人の関係は、やがてどこにいきつくのか。原作とはまた少し違った結末を、劇場で受けとってほしい。