「一つだけ約束してください」例のVチューバーを決して探してはいけない/名著奇変(山月奇譚)⑦
公開日:2023/6/21
『名著奇変』(柊サナカ、奥野じゅん、相川英輔、明良悠生、大林利江子、山口優/飛鳥新社)第7回【全8回】
日本文学の名作を若手実力派作家たちがリメイクした、短編ホラーミステリ集『名著奇変』(柊サナカ、奥野じゅん、相川英輔、明良悠生、大林利江子、山口優/飛鳥新社)。ベストセラーのDNAを存分に活かしながら、現代の小説家が極上のミステリーに生まれ変わらせました。その中から、中島敦『山月記』をベースにした『山月奇譚』(山口優:著)をご紹介。じわじわと追い詰められていくような感覚に陥る現代ホラーをお楽しみください。
「それから……?」
私、山口は、若干身を乗り出して、袁田氏に尋ねた。
「知りたいですか?」
袁田氏は謎めいた笑みを浮かべた。
「ホラーというものは、主人公が無事だと分かると途端に面白さがなくなるものです。あ、そうだったんだ、無事だったんだね。じゃあ怖くないね、と。でも、ホラーで被害者が死んでしまったら、語り手は生き残った方、そう、加害者の方になってしまう。そこが難しいところです」
袁田氏は眉根を寄せた。
「ええ、まあ、そうですね、残念ながら」
私が曖昧に笑いながら言うと、袁田氏はじっと、真顔で私を見つめた。
「『私』の話には、二つ、ウソが混じってます」
「ええ? どこです?」
私は驚いて尋ねた。
「そうですねえ……。『泰賀李徴子』なんて名前の子が本当にいると思います?」
「ああ、そこですか。ご友人の名前ですものね。Vチューバーをやっていらっしゃいますし偽名にするのは当然です。それでもう一つは?」
「秘密です。でも、さっきの『李徴子』という名前がウソだったことと関係してるとだけ言っておきましょう」
袁田氏は言い、それから口をつぐんでしまった。私はシンとした雰囲気に耐えきれず、作り笑いを浮かべる。
「いやいや、でも、すごいネタですよ。ありがとうございます。できるだけ面白く加工してみますね」
私はお茶を濁すように言った。
「まあ、今の山口さんの印象では、結局面白くなかった、ということになってしまうんでしょうね」
袁田氏は淡々と言った。
「それで、その泰賀さん―いや、Vチューバーをやっていたご友人は、まだVチューバーを続けているんですか?」
「いえ、すっぱりと諦めて他の仕事をしているんだとか。出版関係らしいですね」
それから彼女はコーヒーの残りを飲み干し、じっと私を見つめる。
「一つだけ約束してください。この話に興味を持ったとしても、RI☆CHOをYouTubeで探さないこと。あなたがそれをしてしまったら、きっとよくないことが起こります」
袁田氏は不思議な笑顔をした。底の見えない、不思議な笑顔を。
「ええ、分かりましたよ。ネタ元をわざわざ確認するまでもないですからね」
私は気圧されて、そう答えざるを得なかった。
渋谷の喫茶店の窓の外を見ると、既に日はとっぷりと暮れていた。
帰り道、私は袁田氏の最後の奇妙な笑顔がずっと気になっていた。結局、『泰賀李徴子』―という偽名で語られた袁田氏の友人―と袁田氏はどうなったんだろう。あんなに攻撃的なメッセージを送り続け、バールのようなものを持って、マイナスドライバーで窓をこじ開けようとした『泰賀李徴子』は、袁田氏に本当に何もしなかったんだろうか?
<第7回に続く>