圧倒的な熱量と愛で語られる沢田研二の足跡。今なお輝き続ける“ジュリー”の魅力を追ったノンフィクション
公開日:2023/6/12
映画監督のギレルモ・デル・トロ監督やJ・J・エイブラムス監督なども訪れるサブカルの聖地として知られる、東京・中野駅前にある中野ブロードウェイ。地下1階から地上4階まで様々な業態の店が出店しているが、1966(昭和41)年に完成したこの建物は商業住宅複合ビルで、商店街の上には昭和の時代には珍しかったオートロックを備えた総戸数200戸超のマンションがある。その屋上には住民専用の庭園や屋外プールが完備されているのだが、「そこで泳いでいた」とブロードウェイに住む人たちに今なお伝説を残しているのが、建物が出来たばかりの頃ここに住んでいた“ジュリー”の愛称で知られる歌手の沢田研二だ。
1967年にザ・タイガースのリード・ボーカルとしてデビュー、その後ソロ歌手として一時代を築き、今も第一線で歌い続けるジュリーについて、多くの関係者やファンにインタビューを重ね、足跡を追ったのが、『安井かずみがいた時代』(集英社)や『森瑤子の帽子』(幻冬舎)などを著したノンフィクションライターの島﨑今日子氏だ。約2年にわたって『週刊文春』に連載、さらに書籍化にあたり新たな取材を重ねて大幅な加筆修正を加え、“沢田研二ノンフィクションの決定版”として上梓された。島﨑氏は編集部からの「誰か書きませんか」という誘いに「書きたい人と挙げた筆頭にジュリーの名前があった」と述懐し、「今回、二十年越しの思いが叶った」「この取材は私のライター人生の集大成とは言えないが、総決算みたいだ、と感じることがままあった」と本書の「連載を終えて──後書きのようなもの」に記している。約380ページの分厚い本からは、筆者からジュリーへの熱い愛が伝わってくる。
近年はドタキャン騒動や、外見を「カーネル・サンダースみたい」と揶揄されることもあるジュリーだが、動画サイト、音楽や映画のサブスクリプション・サービスなどで新たにファンになる人も多いという。当時のジュリーがどれほどの人気者であったのか、ザ・タイガースを発掘した内田裕也(ドラマ『ムー一族』でジュリーのポスターに向かって「ジュリィィィ~~!」と身を捩って叫ぶお婆ちゃん役を演じた樹木希林の夫だ)が当時の人気ぶりをこう表現している。
八三年に公開された大島渚監督の大作「戦場のメリークリスマス」は、第二次世界大戦時の日本占領下にあったジャワ島の日本軍捕虜収容所を描き、男同士の関係がフィーチャーされた映画である。内田は大島に頼まれて沢田を引き合わせたが、坂本龍一が演じた大尉の役を彼は断った。一年前から決まっているライブを映画のためにとりやめると五百人のスタッフが生活に困る、なんとか撮影スケジュールを変えてもらえないかという沢田の頼みを、大島が言下に蹴ったからだ。『俺は最低な奴さ』で、内田は沢田を礼賛する。
〈沢田は偉いやつだよ。「戦場のメリークリスマス」ね、あいつ断ったんだよ。あのときのデヴィッド・ボウイと沢田研二って、あれ以外ないキャスティングなのよ、わかんだろ。両方ともキラキラして、キラキラ星だよ、わかる?〉
本書ではデビュー前から少しずつ時間を進めながら、聞く人や出来事のフォーカスが変わると少し時間を戻してエピソードを重ね、昭和~平成~令和と半世紀以上活躍するジュリーの姿を丹念に追っていく。本人への直接の取材は叶わなかったそうだが、当時の関係者の証言や数々のメディアでの発言などから、ジュリーの魅力をつぶさに検証する。歌へのスタンス、「勝手にしやがれ」や「TOKIO」といった楽曲制作の背景や過激な衣装について、事務所から独立してからの歌との向き合い方、昭和の時代の芸能界の実情など、多くの人からの愛と羨望の眼差しを一身に受け、表現者としてプロの意見に身を委ねて戦い続けるジュリーの姿が浮き彫りになっていく。
そして「今も活躍するジュリーのことを書いているのに、『ジュリーがいた』というタイトルはどうなの?」と思ってしまった方、ぜひ本書の最後「連載を終えて──後書きのようなもの」の島﨑氏の言葉をお読みいただきたい。タイトルの意味を知ると、本書に込められた熱量と愛の大きさ、そしてジェンダーを超えた圧倒的なジュリーの美の深淵を窺い知ることができるだろう。
文=成田全(ナリタタモツ)