ロザン菅広文「もし宇治原さんがいなかったら?」40代の視点から綴ったシリーズ最新刊『京大中年』インタビュー

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/22

菅広文さん

 6月8日、お笑いコンビ・ロザンの菅広文さんの35万部超のベストセラーシリーズに最新刊『京大中年』(幻冬舎)が登場した。『京大芸人』、『京大少年』(新刊の発売と同時に初文庫化)に続き、実に14年ぶりの刊行となる。なぜ今だったのだろう? ご本人に著書への思いをうかがった。

取材・文=荒井理恵 撮影=金澤正平

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●40代後半で「もう書いてもいい頃」と思えた

――京大芸人シリーズとしては前作から14年ぶりですね。なぜ今だったのでしょう?

 前の2作では「勉強法」みたいなことを書いていて、仕事に関してはあんまり書いてなかったんです。いずれ書きたいとは思ってたんですが、30代ではまだおこがましい気がして、40代後半になって「もう書いてもいい頃かな」と。

――それは30代では形になりきらなかったということでしょうか? だいぶ売れっ子ではありましたよね。

 そうですねぇ(笑)。ただ僕の中の感覚で売れるっていうのは、「どれぐらい継続できるか」というのが大きいんですよ。もちろん単発でも売れると表現してもいいとは思いますが、僕の中では「継続してある程度のご飯が食べられる」というのがあって。それが感覚として掴めたのが、40代くらいからだったんです。

――少し視点も変わるのでしょうか?

 20代って基本的にあんまりNOというのがないというか、これやってくださいと言われたものをやる。30代くらいで得意不得意がわかってきて、40代になってそれが整理できて、得意なもので勝負できてるっていう状態になる。

――仕事に対するモチベーションも変わりそうですね。

 変わってはきてるんじゃないですか。たぶんそれまではもがいてた部分もあったでしょうし。40代になって「仕事とは何か」みたいなものも明確に言えるようになりました。

――それってどういう?

 僕にとって仕事は「人のためにやること」なんです。お仕事をくださった方というのは、やってほしいという事柄があって僕に頼んできているわけです。なので「相手のためになること」をするのが仕事。自分のためにやるのは「趣味」に近いので、仕事か趣味か明確に分けられます。ただ最近は、ある程度趣味に近い領域になってきたというのはありますけど(笑)。

――そこにはベテランになった余裕もありますか?

 うーん、時代の変化もあるんじゃないですか。「これがやりたい」ってなったときに、以前はテレビに出て認められなければならないっていうのがありましたから。ならYouTubeは誰の許可もいらないですし、書くのにしてもnoteだったら誰の許可もいらないわけで。そういうものが増えてきたこともあると思います。

菅広文さん

●「書く」ことは基本。枕が題材でもすぐ書ける

――菅さんは日々noteも更新されています。そんな中で今回『京大中年』を書かれたわけですが、どう「書く」ことを使いわけているんですか?

 実は戦略的にやっていて、本を出すためにnoteを使わせてもらってる感じです。僕のnoteは有料なので、読者が「これはほんまに読みたい」っていうのがわかるんですよ。なので「有料でも読みたい」というのを集めてできたのがこの本でもあるんです。吉本とnoteが提携するようになる前から、それこそ本を書こうと思う前から書いてたので余裕もありましたし。

――「書く」という作業は、芸人的な「動」の面とまた違いますよね。ご自身の中ではどう棲み分けていらっしゃるんですか?

 僕は基本的な軸はどれも「書く」ことだと思ってるんですよ。YouTubeにしてもどういう話をすべきかみたいなことは書き出してるし、サムネイルも書きます。起承転結もつけますし。

――昔から文章を書くのは得意だったんですか?

 みたいですね。僕はあんまり思ってなかったんですが、この前ふと思い出したんですけど、小学校のときに作文で賞とってたなって。でも『京大芸人』まではぜんぜん書いてなかったです。

――『京大芸人』以降はコンスタントに?

 いや、ぜんぜん(笑)。

――なんと! でもnoteは書いている、と。

 あれは仕事になったので(笑)。

――あー(笑)。でも毎日書くのってネタに困りませんか?

 みんなそうおっしゃるんですけど、逆やと思うんです。毎日書くとなると、書くための行動をとるんで。ただ僕、たとえば「布団」で書けって言われたら書けるんです。「枕で1000字書いてください」って言われたら書けるんです。絵を描くのと一緒で。「メガネの絵、描いてください」って言われても、あんまり困らないじゃないですか。それに近いっていうか。

――なるほど。そこは才能ですね。

 どうなんやろうな。「みなさん、どのような枕を使ってるでしょう。この前、自分専用の枕を買いにいったんですけど~」って…。それで「話の“まくら”としても適してる」って落とすとかね。芸人ならみんな、そこそこできると思いますよ。書くかどうかは別として。

菅広文さん

●教科書でも自分で決めたことでも「はじめに」は大事

――『京大中年』には大人になってわかった大事なことが「教科書」としてまとめられています。前作でテーマにした「勉強法」にもつながりますね。

 勉強って社会に出たらあまり役に立たないってよく言われますけど、僕はそんなことはないと思っていて。基本的には「礎」というか、学校の勉強が社会に出てから役立つこともいっぱいある。我々はそうしているから、それがうまく表現できたらなと思って、それで「教科書」にしたわけです。

――中でも教科書の「はじめに」の大事さを強くメッセージしていますね。

 今の時代、パッと見てパッと動くみたいな世の中の動きがあって、たとえば企業の行動なんかも「全部利益優先やろ」みたいな感じにすぐ思われます。でも実はそうじゃなくて、根っこには「我々はこういうことをする。そのためにこういうことをする」っていう企業理念みたいなのがあるのに、そこは見てもらえない。僕はそういう社会にちょっと「?」って思ってるんですよ。ほんとはそこを見ないとあかんやろと。たとえばそれが教科書だと「はじめに」にあたるわけです。一個人においては、「はじめに」の部分って自分の決めたことだから、なんでもいい。自分の目標みたいなのをおけばいいし、ロザンの場合はそれが「二人でしゃべることができる環境を作り続けること」だったわけで。そこがみんな歳をとってくると変わってくるじゃないですか。変わっていってもいいと思うんですけど、はじめの「はじめに」がまだ続いてるかのようにやると失敗しますよね。

――その「はじめに」をキープするために、本ではいくつかポイントがあがっています。中でも大事なのってなんでしょう?

「親しき仲にも礼儀あり」が一番大きい気がします。長く続ける上では、夫婦間でも友達でもなんでも言えると思うんですけど、すべてがすべて話し合えることが果たして「仲がいい」のかというのがあって。人ってそこを求めたりするじゃないですか。全部言うとか。僕らはそもそもそうじゃなくて、二人でしゃべるんですが、買い物行こうかとなると違う人と行ったりとか。「二人でずっといたい」というと「依存してる」かのようにも見えるかと思うんですけど、そうじゃないですし。

――普段「宇治原さん」と呼んで敬語でお話しされているのも印象的です。ちなみに宇治原さんがいなかったら、菅さんはどうされていたんでしょう?

 あー、それは面白い視点です。でもね、ぜんぜんちゃんとすると思います(笑)。芸人になってもならなくても、ちゃんと一人で仕事すると思います。

――自分の「強み」はどんなところだと思いますか?

 さっきの「仕事」のこととかぶりますけど、「こんな感じでやってほしいんでしょ」というのがめっちゃわかることですかね(笑)。ポジショニングはけっこう得意かもしれません。

――じゃあ、お笑いをやってなくてもうまく生き残る?

 (小さな声で)…正直、できると思います…ははは(笑)。

菅広文さん

●宇治原さんとは仕事の楽しい悲しいを同じレベルで味わえる

――本の中には吉本の闇営業問題やコロナの影響など、シビアなことも書いています。やはり考え方に影響しましたか?

 あったと思います。宇治原さんともいろいろ話していろいろ明確になった気はします。結局、いろいろ分断してたってことが見えてきちゃいましたよね。僕はそもそも元から分断してたと思ってたんで、それが可視化した感じでしたけど。「けっこう、崖あったよね」みたいな。

――それが明らかになったときに、ロザンはどうしていこうとか話されましたか?

 コロナ禍になって「この人こんな考え方やったんや」みたいに驚いたことってあったと思います。友達どうしでも「え? そうなん?」みたいな。でも宇治原さんとの間にはそういうのがなくって、二人でも「それはよかったよね」って話してました。つながりもより強くなった面もあるかもしれません。

――ちなみに宇治原さんはこの本は読まれたんですか?

 最近ですね。面白かったって言ってました。

――ご自身のことを書かれることについては何か言われるんですか?

 いや、ぜんぜん言われません。

――やっぱり信頼関係がベースにあるからですか。

 そうなんですかね…。でも、そもそも僕の頭には宇治原さんに「確認」をとらなければっていうのがなかったんです。

――え! そうなんですか? でも本の中ではネタにされていますよね。

 いや、僕、ちょっと青天の霹靂で。前にも取材で「宇治原さんに確認とったんですか?」って言われて、「え? 確認なんているんですか?」って(笑)。小説やし、ノンフィクションじゃないですから。

――それは「信頼関係のなせる業」に思えます…。ところでズバリ、宇治原さんって菅さんにとってどういう存在なんですか?

 なんやろうなぁ。そのときそのときによって変わるかもしれません。最近は友達みたいな感じに戻ってきつつ、でもお互いの家を行き来するかっていったら、たぶん今後ももうないやろうし。高校卒業してこの世界に入ってなかったとしても今も話してたろうし、面白いですよね。なんなんですかねえ…うーん「登場人物」。

――あー、オレの物語の!

 あははは(笑)。一登場人物(笑)。まぁでも、仕事でこれ楽しい、これ悲しいとかをほんまに僕と同じレベルで味わえてるのって宇治原さんしかいないんで、そういう意味で稀有ですよ。

――いやすばらしいコンビだと思います! 最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

 ダ・ヴィンチ読まれてる方って、けっこう昔勉強されてた方が多いような気がしていて。勉強って「個」の力なんで、社会に出て「集団」が多くなると意味なかったって否定しがちなところがあると思うんですけど、集団でうまくやるのには絶対に個の力が必要なんですよ。個の力が強くないと横でつながったときに力を発揮できないんで。だからもともと個人で勉強してきたことはまったく否定する必要はないんです。たとえばコミュニケーションの取り方なんかも、国語で習ったことそのものじゃなくて、国語的思考を学ぶことやと思うし、そういうのは絶対身についてるはずやし。この本が、なんかそういうことに気がつくきっかけになればいいかなと思います。

――笑いながら発見できたら最高です。ありがとうございました!