「今日は中華って感じじゃない」と思ってしまう理由を深掘り。故・宮沢章夫の頭の中をのぞくエッセイ

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公開日:2023/6/21

きょうはそういう感じじゃない
きょうはそういう感じじゃない』(宮沢章夫/河出書房新社)

 人と食事のメニューを決める際に「今日は何が食べたい?」と聞かれた経験はあるでしょう。ついつい言ってしまいがちですが「何でもいい」と答えてしまうのは本末転倒です。似たような話題で、「今日は中華にしようと思うんだけど」と疑問符がつくかつかないかぐらいのニュアンスで問いかけたとき「今日は中華って感じじゃない」と言われてしまったら、罵詈雑言が口から飛び出してきてしまいかねません。

きょうはそういう感じじゃない』(宮沢章夫/河出書房新社)は、2022年9月に逝去した劇作家で演出家、そして小説家の宮沢章夫氏によって、先述したような誰でも経験したことがありながら、深掘りされにくい感情を中心に綴った一冊です。文芸PR誌『読楽』で2014~2015年にかけて連載されていたエッセイ「オール・アバウト・ネクスト・マンス」と、雑誌『東京人』で2020年と2021年に掲載された2つの論考をとりまとめた「私的シティ・ポップ論」。そして、2016年まで刊行されていた演劇専門誌『演劇ぶっく』に2010年に掲載された1万字のインタビューが添えられています。

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 脱力感がありつつも深い地点まで考えを掘り下げていく著者が描く対象は、道端からPC画面、はたまた自分の脳内の動きまで実に多様です。たとえば著者の場合、Amazonで書籍やDVDなどを衝動買いした後、やれやれついつい買ってしまったと思いつつ画面に出る「キャンセル理由」の多様さと謎さに気付くやいなや、4ページ分ほど突き詰めてあれこれ考えます。

「間違えて注文した」を選ぶときというのは、わらび餅を買おうと思ってわらじを買うことなんてないだろうし、なんとも恥ずかしい。「商品の価格が高すぎる」は、幼い頃から言い訳ばかりしてきたと自称する自分としては落ち着かない。そう考えた末、結局もっとも謎めかしい「その他」を選択してしまうのが著者です。

「反対した人に会いたい」と題された章では、革命的な商品の開発当初を描くエピソードには必ず反対派がつきものだという話題から、ウォークマン発売に反対した人の様々な論拠と大ヒット後の身の振り方を妄想した後に、創作のタネとも思えるような発想にたどり着きます。

むしろ、「反対課」という部署を設けたほうが製品の発売には大事だ。
なんでも反対する。たとえば「爪楊枝製造会社」で、新製品の、ちょっとだけ従来より本数が多い「爪楊枝(増量)」という製品を出したとしても反対だ。
「そんなもの売れるわけがない。だって増量だぞ。そんなにたくさん爪楊枝があったからって、人はなんに使うんだ。本当だったら、爪楊枝なんかいらないものなんだ」
爪楊枝製造会社の人とは思えないような反対理由だ。

 1988年に著者が仕事を全て辞めてマダガスカルに数カ月滞在するなどといった行動に象徴されるように、先のことを考えずに行動をすることをモットーとしてきました。そんな自由な生き方の著者を、比較的規律や拘束の多い大学教員という職に誘ったのは、その大学の教授で「沈黙劇」と呼ばれる独特なジャンルを打ち立てた劇作家・太田省吾氏でした。「さほど難解な文章ではないけれども、書いてあることが難しい」というような文章を書くと著者が称する太田氏がどのような振る舞いをするのか、著者は傍らで見たかったためその誘いを受けたのだといいます。

 自由にオルタナティブな表現を探し求めてきた著者。本書によって、サッとスマホ画面をスワイプするように人生の一コマ一コマを進ませてしまいがちな現代人に対して、地引網を引くかのように呼吸をあわせながらじっくり腰を据えて物事に向き合うような、そんな思考の作業に誘い込んでくれます。

文=神保慶政