『土偶を読む』を考古学者が論破。サントリー文芸賞受賞作品を10人の専門家たちはどう読んだか
更新日:2023/6/29
全員が本気だ。
「縄文ZINE」の望月昭秀氏をはじめとした10人の考古学研究者が執筆した『土偶を読むを読む』(文学通信)は、『土偶を読む』(竹倉史人/晶文社/2021年)へのアンサーとして編まれた。〈ついに土偶の正体を解明しました〉から始まる『土偶を読む』の評価は考古学内外で大きく分かれ、ベストセラーとなりサントリー文芸賞を受賞する一方、考古学側からは評価されなかった。そうした『土偶を読む』の、どこがどのように問題なのか、検証不足や論理の破綻をじっくり解説したのが『土偶を読むを読む』だ。文圧は強く、しかし決して投げ捨てるような物言いではなく、むしろその検証の丁寧で鮮やかな過程に、「考古学、おもしろ!」となってしまう。『土偶を読む』を読んだ人はもちろん、読んでいない人も楽しめる一冊である。
ひとつエピソードを紹介しよう。『土偶を読む』には、「土偶はクリのフィギュア」だとする説が書かれている。
素人の私たちからすると、「土偶の顔とクリは似ている、だから土偶はクリのフィギュアなんです」と言われれば、「ああ、まあ、そうなんですか」とうなずいてしまいそうになる。しかし、『土偶を読むを読む』ではストップがかかる。「それってあなたの感想ですよね」と。
クリのフィギュアとされた国宝の中空土偶や合掌土偶の頭には、ふたつの穴が空いている。『土偶を読むを読む』には画像で詳しく紹介されているのでご覧いただきたいのだが(そして『土偶を読む』にある画像では「角度的に確認できない」のだが)、この穴はいったいなんなのだろうか。
〈実は中空土偶の顔は完形(欠損のない状態)ではない。〉
〈もともとラッパのような突起が二つ付く土偶だとされているのだ。〉
〈これらの類例を見て、クリとカックウ(筆者注:中空土偶の愛称)は似ていると言えるであろうか?〉(『土偶を読むを読む』)
こうした「検証」がひとつひとつ続いていく。『土偶を読む』の根底にある思想は、土偶は植物の姿をかたどっている、というものである。
〈(前略)それらの植物には手と足が付いていたのである。じつはこれは「植物の人体化」と呼ばれるべき現象で、土偶に限らず、古代に製作されたフィギュアを理解するうえで極めて重要な概念である。〉(『土偶を読む』)
オニクルミ、トチノミ、イネ、ヒエ……。それらの「人体化=フィギュア」だとするのが『土偶を読む』の仮説であり、〈そんなわけあるかいっ!〉と斬っていくのが『土偶を読むを読む』である。
しかし、考古学者の間では、とんでもない仮説はキリがないから無視しておけ、という声もあったのだという。『土偶を読む』がベストセラーになった背景には、福島第一原発事故から起こった「専門知批判」があったということも『土偶を読むを読む』で解説されている。ではなぜ『土偶を読むを読む』が編まれたのか。最後に本書の「おわりに」から一文引用したい。
たとえ正しくなかったとしても、たとえオカルトでも面白い方がいいよね、という考え方があるのもわかる。オカルトは楽しいし魅力的なエンタメだ。しかし、事実に基づかないのであれば、その先は必ず行き止まりになる。入り口がオカルトだとしても、より深くより楽しく知りたい人は、いつか絶対に正しい情報を選んだ方が良い。より深い方の沼はこちらの沼だ。(『土偶を読むを読む』)
その矜持と共に、我々も「より深い沼」にハマりに行こうではないか。
文=高松霞